2016年12月25日

手型

本日は支部道場の師走の御祭りに参加致しました。昨日に続いて本日の行も非常素晴らしかったです。行の途中で道場の天井が無くなってしまい青空が見えているような感覚になりました。目は瞑っているわけですから不思議な事と思います。本日も昨日同様によく晴れていましたが気温はかなり低く、石油ストーブなしでは手がかじかんでしまうほどでした。

午後からは本部道場講師による研修会が開催されました。
本日は「手型」について学びました。魂清浄の行の時に合掌している手が様々な手型を示す場合があります。これらの手型によって何の霊が体内から出ているのかが客観的に知る事ができます。本日講義では手型の写真資料が配布され、参加者は自分の行の時の手型がないかを調べました。

これらの写真は開祖天霊師時代の研究成果であり、今回の講師が当時の約100枚の写真から資料を作成されました。非常に理解しやすい資料で永久保存版と思います。迷霊を深く研究したところであまり益はなく、すぐに昇天させてしまえば良いわけですが、迷霊は確認されると早急に昇天する傾向があるようですので、自分の体内の霊の種類を把握する事はあながち無駄ではないと考えております。迷霊の種類が分かれば体のどこにいるのか等を特定する糸口にもなり、早急な昇天をはかる事が可能となります。

いかなる研究も、その成果をもって後進の方々のお役に立てるように志して行く必要があると思います。これからも魂清浄の神法を通じて、霊研究を進め、後進の方々の行の一助となる成果が得られるように努力していきたいと考えております。

12月31日、1月1日は年送り年迎えの大祭です。皆泊まり込みで参加されます。新しい年になる瞬間を本部道場で大國主大神様と一緒にお迎えできる事は本当に幸せです。

2016年12月24日

予言の日(12月24日)

本日は本部道場の予言の日に参加致しました。
二代目天霊師を始め各道場主と開祖天霊師のご息女である育子さんご夫婦も参加されました。遠方の道場主の方は朝3時に家を出発されたということで本当にお疲れ様でした。

本部道場にて皆一様に感じたのは、毎月のお祭りとは全く雰囲気が異なるということでした。空気が澄んでいるというか、抵抗感が全く無くなってしまったような、まるで真空下にいるかのような感覚の中で祭式が行われました。その後約二時間近く皆で魂清浄ののりとを唱えました。まあ今年一番の行になったと言えるのではないでしょうか。自分が無くなってしまうような感覚が何度もあり、気がついてみたら膝で神前に進み何か頂くような仕草になってみたりと貴重な体験をさせて頂きました。
今日は色々書きたい事もありましたが、濃厚な行の後に心地よい疲れがありますのでこれ位にしておきます。

直会の時間に来年に向けての新しい企画の話をお聞きしました。2017年の大切なイベントになるでしょう。たいそう楽しみにしております。

2016年12月18日

修行の日

本日は本部道場の修行の日と研修会に参加させて頂きました。
日曜日でしたので全国から道場に入りきれないほどの会員の方が参加され、凄い熱気の中、汗をかきながらの修行となりました。
午後からの研修会では、天霊師御臨席の下で除霊石の使用方法、大幣の裁断・組立方法、大幣を使用するときの所作を一つ一つ皆で再確認致しました。

除霊石の講習では、除霊石を自分自身、他の方に使用する実習を参加者全員が一斉に行いました。その相乗効果は凄まじく、迷霊が大挙して昇天するのが感得されました。他の方を除霊石で浄めると自分についたものも一緒に昇天しますので自分自身も楽になります。

大幣の作り方の実習では、分派から来られた方々が分派で教わったという間違った作り方を訂正する事が出来て有意義だった事と思います。旦紙の枚数や幣の折り方や取付方法まで間違えて(敢えて変更?)いる分派があるそうです。

今日の甲府はよく晴れて富士山が見事でした。
来週12/24は本部道場の予言の日です。各支部のお祭りもありますし、年送り年迎えの大祭も控えており、年末は多くの神事の中で過ごすことになりそうです。

今日は20代の魂清浄の神法を全く知らない方が来訪されましたが、早速入会され帰りには天霊先生から魂清浄の色紙とお守りを授かって御帰りになりました。若い人は行動が早いですね。感性が良いのでしょう。
本日の天霊先生は終始ニコニコ顔で、お昼ご飯も食後のデザートも奉賛会の会員と同量をきちんとお召し上がりになりました。御歳90歳とは信じられないほどです。

[解説] 魂清浄の神法の三位一体


開祖天霊師より魂清浄の神法において「天霊」「魂清浄ののりと」「十七霊界」は三位一体(さんみいったい)であると教えられております。
この三位一体(さんみいったい)とは、「天霊」「魂清浄ののりと」「十七霊界」の内、どれか一つでも否定すると、祈願しても正神はお働きくださらないということです。
例えば、天霊師と関係を持たなくても、「魂清浄ののりと」さえ唱えれば良いとか、天霊師と関係を持ちさえすれば、「魂清浄ののりと」を唱えなくても霊は昇天するだろう等ということは絶対にございません。

開祖天霊師の教えは、「天霊」とは「職」であり、魂清浄の神法における現世における最高責任者であるということです。また、この天霊職に神格位一階位が付与されているのです。この天霊職は天地宇宙大神(天御中主大神)、産霊大神の依代(よりしろ)となります。そしてこの天霊職は現世に生きる人間が順次継承するように大神により決められております。
これについて生前、開祖天霊師御自身も御自分が17霊界に昇天をされる時にはこの「天霊職」を離れ、大國主大神の弟子に戻ると仰っておられまし た。

それでは何故、このような仕組みが必要となっているのでしょうか。
これについて開祖自らが教えられた時の記録が残されております。

「(開祖天霊師)魂清浄の神法は分派活動が許されないようになっております。と申しますのは近頃の宗教は盛んに分派活動をして、宗教同士の戦争をやっております。そんな関係で分派活動を許しません。これ(上写真の額)はそのためにあそこに書かれてあります。(中略)
これ(上写真の辞令)は生きている者で初めて貰っているのは私が、要するに私というよりも「天霊という言葉」です。これが貰ってあるわけです。従いまして、その責任者を忘れると霊が昇天をしません。しませんというよりも、大神達がそれを許さんようにしておるわけです。それは何のためにかと言うと、分派活動を許さない。霊的抗争を起こさないために、頂点を外していない、こういうことでございます。」(第一回幹部研究会資料より)

また,初級研修会においても以下の通りご説明されております。

「(開祖天霊師)神格位の問題に入ります。そこに額(上写真)があります。『仰いで無限の生命を知り、伏して 千代萬の神を知る。キリスト生誕一九六〇年九月一日宇宙この天体に神人を生す。それ 天霊にして神格位一階位に叙す。』という辞令を頂きました。(中略)
私が偉いから頂いたのではございません。というのは、天地宇宙大神ならびに産霊大神のご霊媒をするためと、十七霊界を造るために必要となったために授かったわけでございます。すなわち、人間の言葉では自然神を律することはできません。神の言葉でないと神を拘束できないその必要から授かったものでございます。魂清浄の神法ができて初めて宇宙人類に神格位というものができたわけでございます。(中略)
神格位一階位は私が偉いからではございません。生きている者に必要性があって一階位を授かったわけでございます。宇宙の人類には魂清浄の神法ができて以来、これが必要になってきたわけでございます。(中略)
この階位は初めてできたものでありますために継承されます。継承されるのは人類であるということ。ただし、この継承者は私(開祖天霊師)の親族の者ではありません。白人になるか黒 人になるか、あるいはまた黄色人種になるか大和民族になるかわかりません。誰が二代目天霊になるかわかりません。しかし、人類が継承することに間違いはありません。」(初級研修会資料より)

魂清浄の神法においては分派活動を許さないために、また天地宇宙大神、産霊大神のご霊媒のために、 十七霊界を造るために、この「天霊」という職が必要になってきたということです。
開祖天霊師は当初十六霊界の創成時には神格位十一位を授かっていたという事ですが、後にもう一つ霊界を加えて「十七霊界」が1959年6月16日に完成し、その約一年後に開祖天霊師が神格位一階位を授かりました。
どんな方でも色々な願い事をお持ちであると思いますが、正神の世界においては、現世内のことは現世に生きる者の「祈願」によってのみ大神が動くことができるという鉄則があるということです。この十七霊界創設のように、神霊界のみならず現世にまで大きな影響を及ぼす大改革を断行するため、現世で生きる人間であった開祖天霊師に神格位第一位である「天霊職」を授ける必要が生じたということです。

その後この天霊職は、開祖天霊師がお亡くなりになる一年前の昭和49年2月10日に、開祖自らの御遺言として、二代目天霊師(遠藤守霊師)に継承されました。
そのため現在は、魂清浄の神法を修行していく上で、二代目天霊師と関係を持ちながら行をして頂く事で上記の三位一体を保持できるという事になります。

この三位一体を否定した場合についても開祖天霊師の御言葉が残されております。

「(開祖天霊師)(三位一体を否定すると)大國主大神はもうお動きになりません。動くと乱れますから。それはもう断じて動かない。そういう形になっております。 魂清浄は素晴らしいものだから天霊(師)と関係を持たないでいいや、というような考え方(分派)を持ちますと、大神様の方がお動きになりません。では、(分派において)大神のような顔をして動いてい るのは何かといいますと迷霊がやっております。」(第三回幹部研究会資料より)

以上の内容を、しっかりとご理解の上、各自の修行を進めて頂きたいと存じます。


《上記は魂清浄の神法において最も重要な内容であるため、魂清浄の神法の本のあとがきの一部分を少し読みやすくするため、許可を得て再編集の上、抜粋させて頂きました。》

2016年12月10日

師走の御祭

今日の甲府はよく晴れてポカポカ日和でした。本日は本部道場の師走の御祭に参拝させて頂きました。師も走るという師走ゆえかバタバタしていて8日に参加する事ができず、10日になってしまいました。8日に参加できない場合は9、10日に参加できますが、できる限り8日に参加すべきと思います。

本日初めて遠方から本部道場に来訪された方が、初めて魂清浄の” のりと ”を唱えられました。唱え事をする事に慣れておられない方は初めて魂清浄を唱える事に戸惑うこともあるかと思います。そのご様子を見ていて自分自身が初めて自分の口を使って戸惑いつつも一生懸命に魂清浄を唱えた日の事を思い出しました。同時に二代目天霊師の下で魂清浄の神法を通じて自分と家族の人生が大きく好転した事に感謝の念が湧いてきました。今更ながら魂清浄の神法に出会う事ができて本当に良かったです。
今日初めて来られた方も本日奉賛会会員になられましたので今後のご発展が楽しみです。二代目天霊師の下で行を進める事で必ずや良き変化が起きるものと確信しております。

今日は個人的に今後の進路について、本部道場のお姿(大國主大神様の石像)の重い軽いで確認して頂きました。大國主大神様の石像に向かって質問事項を口に出して” 言上 ”し、例えば「答えがYESの場合はお姿を軽く、NOの場合はお姿を重くしてください」などとお願いしてから、無心の状態でお姿(石像)を両手で持ち上げ、その重さの感覚(重いor軽い)で大神様のお答えを受け取る方法です。無心で行う事が必要ということもあり、自分自身の事や家族についての質問などでは、我(が)が出て無心になりきれず、正しい答えが得られない場合があります。そういう場合は、できるだけ質問内容と直接関係がない方に確認をお願いするようにしています。
今日は自分も含めて3人でお姿による重い軽いの確認をしましたが、皆同じ結果となりました。本部道場ではお姿(石像)の重さの違いがはっきりと感じられます。10kg以上の重さがあるお姿(石像)が軽くなる場合は簡単に頭の上まで持ち上がりますし、重くなる場合には全く持ち上がりません。

このお姿を用いた確認で正しい答えを得るためには、質問の仕方にも工夫が必要と思います。できる限り具体的な” 選択肢 ”を用意して、それぞれについてYES、NOで答えられる質問をする必要があります。抽象的な質問に対する答えはやはり曖昧になると思います。
いわゆる「5W2H(いつ、どこで、誰が、何を、どうする、何故、いくら)」をきちんと説明してから質問する事が肝要と存じます。例えば「明日の天気はどうですか?」などという質問に対しては、どの場所の何時の天気の事を聞いているのか分かりませんので正しい答えが得られないと思います。「大神様は何でも分かるはずだから説明不要だろう」等という考え方は不遜です。辞を低くして詳しく説明・質問して頂きたいと思います。

また、大神様にお伺いしてお答えを頂いた場合は、できるだけその通りに実行する事が大切と思います。人間関係でも同じ事と思いますが、せっかくお答えを頂いたにも関わらず、その通りに実行せず、あくまでも自分の意見で物事を進めるのであれば、大神様に質問する意味がなくなり「勝手にせよ」と言われるのがオチでしょう。そういう意味では、大神様に質問するにもそれなりの” 覚悟 ”が必要と思います。ご自分に都合の良い答えばかりが出るわけではありません。自分の意図と異なる答えを受け取った時には、それが何故なのかを自分なりに精査し、理解できるように大神様に祈願するようにしています。
今回の質問に対するお答えも意味が分かりましたので、授かったお答え通りに実行する積りです。

今日は本部道場で「生姜の葉の霊薬」をたくさん頂きました。これも開祖天霊師から伝わる霊薬の一つです。今度うちに来訪された方々と一緒にこの霊薬を飲んでみたいと思います。ある病気の良薬になると言い伝えられています。

今日はたくさんの子供達も参加していました。若い世代にも魂清浄が行き届いている事を感じ、若い皆さんが大神様の庇護のもとで成長をしていく姿を見るのが本当に楽しみです。どんどん応援したくなります。
二代目天霊師の下には、赤ん坊からお年寄りまで各世代の会員の方がおられますが、皆本当の身内のように感じます。まさに「魂清浄を唱えるものは皆身内である」ですね。