9月8日、本日は長月の御祭りでした。涼しく秋を感じさせる一日でした。
朝、本部道場に参りましたら、会員の方の産まれて間もない赤ちゃんが天霊先生のそばの座布団に寝かされていました。その赤ちゃんは目をぱっちり開けて、そばに座っていらっしゃった二代目天霊師に向かって一生懸命に何か話しているようなそぶりをし続けていて、天霊師もそれに対してよしよしと優しく接していらっしゃいました。その年齢差88歳。何だか不思議で微笑ましい光景でした。赤ちゃんの素直な心には天霊師が分かるのかもしれませんね。ここは本当にホッと出来る空間だと思いました。
御祭りの後の直会では、開祖天霊師の次女である育子さんは二代目天霊師が開祖に指名されている事を開祖の遺筆によっても確認されている事を話しておられました。実は分派に所属されている方の中にも以前からこの事を知っておられた方もおられるそうで、本当の事を知りながらも二代目天霊師を認められない(認めたくない?)方々もおられると仰っておられました。
正神の大神様と開祖天霊師が一緒に決められた事(お約束されている)について一般の人間があれこれ口を挟む事は出来ないように思うのですが、どこからそのような自信(?)が生まれてくるのでしょう。不思議です。個人的には、これは天に向かって唾するに似た行為に思えます。
2014年9月8日
2014年9月1日
天霊師生誕祭 9月1日
本日9月1日,本部道場にて天霊師生誕祭が行われました。
今から54年前の今日、1960年9月1日に神格位一位である天霊師という存在が誕生致しました。これにより魂清浄の神法が「宗教の頂点」に位置付けられ、地上における魂清浄の神法の責任者として天霊師が存在しております。この「天霊師」は順次継承されることになっており「職」であります。
この天霊師に直接または間接的に繋がって魂清浄の祝詞を唱えてはじめて、迷霊の17霊界への昇天が可能となります。
二代目天霊師(遠藤守先生)が現在の天霊師であり、魂清浄の神法の地上における責任者です。
今から54年前の今日、1960年9月1日に神格位一位である天霊師という存在が誕生致しました。これにより魂清浄の神法が「宗教の頂点」に位置付けられ、地上における魂清浄の神法の責任者として天霊師が存在しております。この「天霊師」は順次継承されることになっており「職」であります。
この天霊師に直接または間接的に繋がって魂清浄の祝詞を唱えてはじめて、迷霊の17霊界への昇天が可能となります。
二代目天霊師(遠藤守先生)が現在の天霊師であり、魂清浄の神法の地上における責任者です。
2014年8月8日
[解説] 魂清浄
病気とは気を病むと昔の人々は云いますが、私に言わせますと「氣を病まされる」と申上げます。自分自身の霊以外の霊が居ります所が病気になるのです。
つまり病気の原因はすべて迷霊の居る所が病となるのです。正常でない処、これが病気です。病気には肉体的病気、家庭的病気、経済的病気等がある筈です。
皆これらが迷霊の作用から醸されています。では迷霊はどうして皆さんの胎内に入るのか、これは信仰から来るものが大多数です。
良く今の人々は俺は信仰などしておらぬと申しますが、今の人々はやらなくとも先祖がやっておりますので,迷霊は肉体を通して継承されています。
これから正神を信仰しない人々は、この世からだんだん整理されて行きます。魂清浄の神法は皆様方が正神に仕える事の出来る神法である事を夢々忘れてはなりません。
又、霊魂は普通の方々には見えません。もっとも見えましたら恐ろしくて身のおきどころに悩むでしょう。見えないから一面から申せば幸福かもしれません。私どもから言わせますと見えないから説明が仕憎いのです。又中々解って貰えないので大変です。人間は何処までも嘘と欲の権化です。困った時のみ神様お願いしますと称し、平常は神様などあるものかと否定します。又否定するのが文化人であるかの如く装ほっているのが現代人ですが本当は誤った思想であり考えであります。神様信仰は私達が何でもない時から信仰するべきものであり、一度神様より救助若しくは援助していただいた事の認識を得たら継続して信仰すべきものです。
良く喉元過ぎれば熱さを忘れて得手勝手の振舞いをし、救われて仕まえばそれまでよ式の人々が澤山おりますが、この様な人々は再度神様は愛の手を伸ばして下さいません。自分自身が救われたら更に他の人々を天霊につないで互いに多くの人々を救う様に仕向けて行かねば、この世は闇になるのです。
神様は肉体の医者ではありません。人間達のすべてに亘って幸福を授け日々好日の楽しき人生を送らせて呉れる私達の応援者であるのです。
しかし乍ら皆様が心から誠を以ってお願いしないと神様方には通じません。
又天霊は皆様と神様との仲取持役であるのです。どうかその事を深く御認識なされて大いに天霊を活用なされん事を申し上げ今回の解説といたします。
開祖天霊師 (1969年4月8日発表 )
つまり病気の原因はすべて迷霊の居る所が病となるのです。正常でない処、これが病気です。病気には肉体的病気、家庭的病気、経済的病気等がある筈です。
皆これらが迷霊の作用から醸されています。では迷霊はどうして皆さんの胎内に入るのか、これは信仰から来るものが大多数です。
良く今の人々は俺は信仰などしておらぬと申しますが、今の人々はやらなくとも先祖がやっておりますので,迷霊は肉体を通して継承されています。
これから正神を信仰しない人々は、この世からだんだん整理されて行きます。魂清浄の神法は皆様方が正神に仕える事の出来る神法である事を夢々忘れてはなりません。
又、霊魂は普通の方々には見えません。もっとも見えましたら恐ろしくて身のおきどころに悩むでしょう。見えないから一面から申せば幸福かもしれません。私どもから言わせますと見えないから説明が仕憎いのです。又中々解って貰えないので大変です。人間は何処までも嘘と欲の権化です。困った時のみ神様お願いしますと称し、平常は神様などあるものかと否定します。又否定するのが文化人であるかの如く装ほっているのが現代人ですが本当は誤った思想であり考えであります。神様信仰は私達が何でもない時から信仰するべきものであり、一度神様より救助若しくは援助していただいた事の認識を得たら継続して信仰すべきものです。
良く喉元過ぎれば熱さを忘れて得手勝手の振舞いをし、救われて仕まえばそれまでよ式の人々が澤山おりますが、この様な人々は再度神様は愛の手を伸ばして下さいません。自分自身が救われたら更に他の人々を天霊につないで互いに多くの人々を救う様に仕向けて行かねば、この世は闇になるのです。
神様は肉体の医者ではありません。人間達のすべてに亘って幸福を授け日々好日の楽しき人生を送らせて呉れる私達の応援者であるのです。
しかし乍ら皆様が心から誠を以ってお願いしないと神様方には通じません。
又天霊は皆様と神様との仲取持役であるのです。どうかその事を深く御認識なされて大いに天霊を活用なされん事を申し上げ今回の解説といたします。
開祖天霊師 (1969年4月8日発表 )
2014年7月20日
2014年7月10日
[解説] 魂清浄の神法の三位一体
開祖天霊師より魂清浄の神法において「天霊」「魂清浄ののりと」「十七霊界」は三位一体(さんみいったい)であると教えられております。
この三位一体(さんみいったい)とは、「天霊」「魂清浄ののりと」「十七霊界」の内、どれか一つでも否定すると、祈願しても正神はお働きくださらないということです。
例えば、天霊師と関係を持たなくても、「魂清浄ののりと」さえ唱えれば良いとか、天霊師と関係を持ちさえすれば、「魂清浄ののりと」を唱えなくても霊は昇天するだろう等ということは絶対にございません。
開祖天霊師の教えは、「天霊」とは「職」であり、魂清浄の神法における現世における最高責任者であるということです。また、この天霊職に神格位一階位が付与されているのです。この天霊職は天地宇宙大神(天御中主大神)、産霊大神の依代(よりしろ)となります。そしてこの天霊職は現世に生きる人間が順次継承するように大神により決められております。
これについて生前、開祖天霊師御自身も御自分が17霊界に昇天をされる時にはこの「天霊職」を離れ、大國主大神の弟子に戻ると仰っておられまし た。それでは何故、このような仕組みが必要となっているのでしょうか。
これについて開祖自らが教えられた時の記録が残されております。
「(開祖天霊師)魂清浄の神法は分派活動が許されないようになっております。と申しますのは近頃の宗教は盛んに分派活動をして、宗教同士の戦争をやっております。そんな関係で分派活動を許しません。これ(上写真の額)はそのためにあそこに書かれてあります。(中略)
これ(上写真の辞令)は生きている者で初めて貰っているのは私が、要するに私というよりも「天霊という言葉」です。これが貰ってあるわけです。従いまして、その責任者を忘れると霊が昇天をしません。しませんというよりも、大神達がそれを許さんようにしておるわけです。それは何のためにかと言うと、分派活動を許さない。霊的抗争を起こさないために、頂点を外していない、こういうことでございます。」(第一回幹部研究会資料より)
また,初級研修会においても以下の通りご説明されております。
「(開祖天霊師)神格位の問題に入ります。そこに額(上写真)があります。『仰いで無限の生命を知り、伏して 千代萬の神を知る。キリスト生誕一九六〇年九月一日宇宙この天体に神人を生す。それ 天霊にして神格位一階位に叙す。』という辞令を頂きました。(中略)
私が偉いから頂いたのではございません。というのは、天地宇宙大神ならびに産霊大神のご霊媒をするためと、十七霊界を造るために必要となったために授かったわけでございます。すなわち、人間の言葉では自然神を律することはできません。神の言葉でないと神を拘束できない。その必要から授かったものでございます。魂清浄の神法ができて初めて宇宙人類に神格位というものができたわけでございます。(中略)
神格位一階位は私が偉いからではございません。生きている者に必要性があって一階位を授かったわけでございます。宇宙の人類には魂清浄の神法ができて以来、これが必要になってきたわけでございます。(中略)
この階位は初めてできたものでありますために継承されます。継承されるのは人類であるということ。ただし、この継承者は私(開祖天霊師)の親族の者ではありません。白人になるか黒 人になるか、あるいはまた黄色人種になるか大和民族になるかわかりません。誰が二代目天霊になるかわかりません。しかし、人類が継承することに間違いはありません。」(初級研修会資料より)
魂清浄の神法においては分派活動を許さないために、また天地宇宙大神、産霊大神のご霊媒のために、 十七霊界を造るために、この「天霊」という職が必要になってきたということです。
開祖天霊師は当初十六霊界の創成時には神格位十一位を授かっていたという事ですが、後にもう一つ霊界を加えて「十七霊界」が1959年6月16日に完成し、その約一年後に開祖天霊師が神格位一階位を授かりました。
どんな方でも色々な願い事をお持ちであると思いますが、正神の世界においては、現世内のことは現世に生きる者の「祈願」によってのみ大神が動くことができるという鉄則があるということです。この十七霊界創設のように、神霊界のみならず現世にまで大きな影響を及ぼす大改革を断行するため、現世で生きる人間であった開祖天霊師に神格位第一位である「天霊職」を授ける必要が生じたということです。
その後この天霊職は、開祖天霊師がお亡くなりになる一年前の昭和49年2月10日に、開祖自らの御遺言として、二代目天霊師(遠藤守霊師)に継承されました。
そのため現在は、魂清浄の神法を修行していく上で、二代目天霊師と関係を持ちながら行をして頂く事で上記の三位一体を保持できるという事になります。
この三位一体を否定した場合についても開祖天霊師の御言葉が残されております。
「(開祖天霊師)(三位一体を否定すると)大國主大神はもうお動きになりません。動くと乱れますから。それはもう断じて動かない。そういう形になっております。 魂清浄は素晴らしいものだから天霊(師)と関係を持たないでいいや、というような考え方(分派)を持ちますと、大神様の方がお動きになりません。では、(分派において)大神のような顔をして動いてい るのは何かといいますと迷霊がやっております。」(第三回幹部研究会資料より)
以上の内容を、しっかりとご理解の上、各自の修行を進めて頂きたいと存じます。
《上記は魂清浄の神法において最も重要な内容であるため、魂清浄の神法の本のあとがきの一部分を少し読みやすくするため、許可を得て再編集の上、抜粋させて頂きました。》
開祖天霊師は当初十六霊界の創成時には神格位十一位を授かっていたという事ですが、後にもう一つ霊界を加えて「十七霊界」が1959年6月16日に完成し、その約一年後に開祖天霊師が神格位一階位を授かりました。
どんな方でも色々な願い事をお持ちであると思いますが、正神の世界においては、現世内のことは現世に生きる者の「祈願」によってのみ大神が動くことができるという鉄則があるということです。この十七霊界創設のように、神霊界のみならず現世にまで大きな影響を及ぼす大改革を断行するため、現世で生きる人間であった開祖天霊師に神格位第一位である「天霊職」を授ける必要が生じたということです。
その後この天霊職は、開祖天霊師がお亡くなりになる一年前の昭和49年2月10日に、開祖自らの御遺言として、二代目天霊師(遠藤守霊師)に継承されました。
そのため現在は、魂清浄の神法を修行していく上で、二代目天霊師と関係を持ちながら行をして頂く事で上記の三位一体を保持できるという事になります。
この三位一体を否定した場合についても開祖天霊師の御言葉が残されております。
「(開祖天霊師)(三位一体を否定すると)大國主大神はもうお動きになりません。動くと乱れますから。それはもう断じて動かない。そういう形になっております。 魂清浄は素晴らしいものだから天霊(師)と関係を持たないでいいや、というような考え方(分派)を持ちますと、大神様の方がお動きになりません。では、(分派において)大神のような顔をして動いてい るのは何かといいますと迷霊がやっております。」(第三回幹部研究会資料より)
以上の内容を、しっかりとご理解の上、各自の修行を進めて頂きたいと存じます。
《上記は魂清浄の神法において最も重要な内容であるため、魂清浄の神法の本のあとがきの一部分を少し読みやすくするため、許可を得て再編集の上、抜粋させて頂きました。》
2014年7月9日
天霊新報の公開について
2014年7月8日に二代目天霊師にご許可を頂きまして、開祖天霊師の時代に発行されていた機関誌である「天霊新報」について、今後順次公開して行く事になりました。
(当ブログにもリンクを貼付けしました。http://tenreishinpo.blogspot.jp)
(当ブログにもリンクを貼付けしました。http://tenreishinpo.blogspot.jp)
これを熟読して頂きますと、魂清浄の神法をより深く学ぶ事が可能となります。開祖天霊師が生前講義された内容のエッセンスが記載されており、読めば読むほど頭と体に浸み込むように理解が進むと思いますので、皆様の行の一環としてお読みくださる事を念願致します。
尚、当然の事ではありますが、個人機密情報を保護するため、当時の会員のお名前,住所、写真等、明らかに個人が特定出来得る情報につきましては極力消去致します。
尚、当然の事ではありますが、個人機密情報を保護するため、当時の会員のお名前,住所、写真等、明らかに個人が特定出来得る情報につきましては極力消去致します。
2014年7月8日
罪を許していただく
本日は本部道場で文月の御祭りが行なわれました。現在、勢力の強い台風8号が上陸間近で特別警報が出されておりますが、遠くから多くの方が車や電車で駆けつけてくださいました。本日の甲府はカラッと晴れて、暑くも寒くもない陽気の中で御祭りが粛々と進められました。御祭りの日のためか、二代目天霊師先達の元、心も体も忘れるような行となり大変充実したものとなりました。
午後からは二代天霊師と参拝された奉賛会会員の方々と一緒に直会(なおらえ)が行なわれまして、その後は自然と座談会のような雰囲気となりました。その中で先達の方から「罪を背負っている方は天霊神霊研究所の御祭りに参加する事により、大神様からその罪をお許し頂く事が出来る」という内容のお話しがありました。
自分の人生の中で過去に一つも後悔をした事がない方はいらっしゃらないだろうと思いますが、大神様から諸罪を許して頂き、素直な赤ん坊のような気持ちで大神様に仕えさせていただく事の尊さを感じさせられました。
赤ん坊といえば、今日は産まれて間もないかわいらしい赤ちゃんが初めて参拝されました。誠におめでとうございます。大國主大神様の元で人生を始められることの幸運を思います。無垢な赤ちゃんを拝見していますと、昔は本当に自分もこうだったのか?と今の自分の姿をまざまざと顧みさせられます。せめて心だけでも赤ん坊のような素直な心、童心に返って大神様にお仕えさせて頂きたいものですね。
午後からは二代天霊師と参拝された奉賛会会員の方々と一緒に直会(なおらえ)が行なわれまして、その後は自然と座談会のような雰囲気となりました。その中で先達の方から「罪を背負っている方は天霊神霊研究所の御祭りに参加する事により、大神様からその罪をお許し頂く事が出来る」という内容のお話しがありました。
自分の人生の中で過去に一つも後悔をした事がない方はいらっしゃらないだろうと思いますが、大神様から諸罪を許して頂き、素直な赤ん坊のような気持ちで大神様に仕えさせていただく事の尊さを感じさせられました。
赤ん坊といえば、今日は産まれて間もないかわいらしい赤ちゃんが初めて参拝されました。誠におめでとうございます。大國主大神様の元で人生を始められることの幸運を思います。無垢な赤ちゃんを拝見していますと、昔は本当に自分もこうだったのか?と今の自分の姿をまざまざと顧みさせられます。せめて心だけでも赤ん坊のような素直な心、童心に返って大神様にお仕えさせて頂きたいものですね。
2014年6月8日
水無月の御祭
本日は水無月の御祭りでした。久しぶりに参拝された方々も多かったです。ここのところ大気の状態が不安定で大雨が続いており、まさに梅雨の真っ盛りの御祭りだった筈なのですが、今日の甲府はカラッと晴れてまさに御祭り日和となりました。
御祭の祭式では二代目天霊師が祈願祝詞を奏上された後で、そのまま参拝者全員で魂清浄の祝詞を声高らかに唱えます。今日は久しぶりに参拝された方々が多かった事もあってか一時間半もの間、天霊師先達の元に行をさせて頂く事が出来ました。
これは個人的には感覚ですが、魂清浄の祝詞を唱えるほどに体がどんどん軽くなり、空を飛んでいるような感覚になり大層気持ちの良い時間があっという間に過ぎていきました。これだけ長い間大きな声で祝詞を唱え続けていても集中力が途切れず自分の身体を忘れるような行が出来るたのも御祭りの日ゆえかもしれません。本当に本部道場の御祭の日の行は特別なものがあると思います。
これから梅雨が明けて、夏本番になると、エアコンのない本部道場での行は汗だくとなりなかなか大変ですが、こういう時でないとなかなか昇天しない迷霊もいるものですから、皆さん頑張りましょう。
御祭の祭式では二代目天霊師が祈願祝詞を奏上された後で、そのまま参拝者全員で魂清浄の祝詞を声高らかに唱えます。今日は久しぶりに参拝された方々が多かった事もあってか一時間半もの間、天霊師先達の元に行をさせて頂く事が出来ました。
これは個人的には感覚ですが、魂清浄の祝詞を唱えるほどに体がどんどん軽くなり、空を飛んでいるような感覚になり大層気持ちの良い時間があっという間に過ぎていきました。これだけ長い間大きな声で祝詞を唱え続けていても集中力が途切れず自分の身体を忘れるような行が出来るたのも御祭りの日ゆえかもしれません。本当に本部道場の御祭の日の行は特別なものがあると思います。
これから梅雨が明けて、夏本番になると、エアコンのない本部道場での行は汗だくとなりなかなか大変ですが、こういう時でないとなかなか昇天しない迷霊もいるものですから、皆さん頑張りましょう。
2014年5月31日
神法における祭の意義について
天霊新報第八号より抜粋。 旧仮名遣いもそのままです。本部道場の御祭りに参加する事の意義が説かれております。
天霊神霊研究所に於ては、毎月八日に例祭が又五月と十月の八日に大祭が執行されて居ります。 本来は、八、九、十日の三日間天地宇宙神をはじめ産霊の神々達以下の殆どの自然正神及び大国主大神をはじめとする人格正神の神々がすべて降神されてお祭りに参加されているのであります。支部のお祭りも同様であります。本部の場合は、お祭り以外の日にも天地宇宙神、産霊の神々が降押されていますが、支部の場合は大国主大神及びその幕僚の大神が必要に応じて降神され常時は支部担当の大神が降神されて居られるのであります。さて、祭の意義について箇条書に御説明致しますと主な点は次の様なものであります。
(一)信者の平素の御守護に対する感謝御礼の表明の日である事は当然の事でありますが前記の様に正神の神々の殆どが降押されているので普段はお目に掛れぬ神々と対面の日であり縁を深く結んで貰う日であります。
(二)普段家で修行していては仲々昇天しない大きな霊頑固な霊をも昇天させて頂ける日であり、普通の日より特に多数の霊を昇天させて頂ける日であります。これは信者の皆様も大勢体験されている事でしようが祭の日が近づくと体がおかしくなる事があります。これは体内の迷霊の方が良く知っていて祭の日には昇天しなければならぬので騒ぎ出すからであります。昇天したい霊は喜んで早く昇天したいとするし、執着があって昇天したくない霊は邪魔をして祭りに参加させ ない様にする為に異状を感じさせているのであり ます。又、この様な霊は 急に仕事が出来たり、人が来たりして参加させない様にもします。 天霊師が良く迷霊に足をとめられない様にして下さいと注意される事はこの事であります。この様な時は迷霊に負けずに参加する様にすれば体の異状も支障なく参加出来るし、仕事や用事も参加出来る様に早く片附くか代理人で間に合うか翌日にのばしても少しも支障ない様に済むものであります。本人がその気になれは迷霊もそれ以上邪魔は出来ないのであります。もし それでも邪魔をしようとすれば、正神に直に処断されるからであります。
(三)祭の日には普段少さくなってしまっている迷霊達の抜ける口の穴を大きくして頂ける日であります。抜ける口が大きくなるから大きな霊、多数の霊も無理なしに早く昇天出来る訳であります。私達の体に入っている迷霊の数は、大神が良く教へられる通り、肉体細胞の数以上程あると云はれます。一人の人間の肉体細胞は、三十五万億個もあると云はれますから気の遠くなる程の数であります。余程普段も抜ける口を大きくして置かなくては仲々清まり切れません。 又、この抜け口が通路となって、神々と本人霊との感応の出来る唯一つの連絡穴であります。 如何に厚い迷霊の層に拘束されていてもこの口があけてあれば本人霊の祈願は神々に通じ神々の指導指示も直通で本人霊に伝はりますから直感として神々の教へ導く事が感知出来るのであります。
(四)除霊石等を頂いている方は、祭の日にこれを持って来て浄めて頂けば家では抜けずに除霊石に封じ込められている霊も昇天させて頂き無霊になると同時に除霊石の力も強くして頂けるし、皆様が頂いている各種の術や力も益々強くして頂けます。反対に祭りに参加されないと迷霊に邪魔されて神々との結縁が薄くなりますから各種の術や力も弱くなり、除霊石の力も弱くなります。
(五)皆様の体内ばかりではなく、周囲にも霊界へ昇天したい「うぞうむぞう」の迷霊が多数居り昇天の機会をねらっています。これらの霊が皆様と一緒に神前へ来て霊界へ導かれるのであります。皆様は知らずにいる内に 救霊の功績を積んでしまう訳であります。九月の御祭りに、清水の佐藤きみ子きんが祝詞をあげている内に頭が下ったら目の前に大人、小人無数の正座している足を見たと云はれました。これは佐藤さんについて来て一緒に祝詞をあげている無数の人霊のうしろ姿であり、皆神前へ来て霊界へ昇天して行く型を見せて貰った訳でありま す。
(六)祭り後の直会のお神酒お馳走には大神の霊気が入って居りこれを喰べて体内に入れる事により体内の迷霊は居たたまれなくなって昇天するのであります。迷霊が抜けるから体が丈夫になる訳であります。霊薬も同じ理くつで大神の許可を頂いて作る霊薬、例えば、血圧心臓の薬、神経痛の薬等も材料は現世の物質ですがこれに霊気を入れて下されるからその薬の物質が体内にある間は悪くしている迷霊は昇天しなくては居られないので、悪い所が愈るのであって、使っている物質が今の医学や薬学で云っている様にその成分で癒るのではありません。又、迷霊の抜けた後の肉体細胞の復活もこれら大神達の霊気によって速く健全なものに復活させて頂けるのであ ります。言葉をかえれば生命力を旺盛直して下さるのであります。
以上の様に種々の意味とその御守護があるのであって何時もお話しする通り、慾のある人だったらお祭りには何があっても参加しなければ損である事がお判りの事と存じます。 大神達に結縁を深くして望みを大きくもってその通り大きく授けて頂く様切にお願い申し上げ度いと存じます。
天霊神霊研究所に於ては、毎月八日に例祭が又五月と十月の八日に大祭が執行されて居ります。 本来は、八、九、十日の三日間天地宇宙神をはじめ産霊の神々達以下の殆どの自然正神及び大国主大神をはじめとする人格正神の神々がすべて降神されてお祭りに参加されているのであります。支部のお祭りも同様であります。本部の場合は、お祭り以外の日にも天地宇宙神、産霊の神々が降押されていますが、支部の場合は大国主大神及びその幕僚の大神が必要に応じて降神され常時は支部担当の大神が降神されて居られるのであります。さて、祭の意義について箇条書に御説明致しますと主な点は次の様なものであります。
(一)信者の平素の御守護に対する感謝御礼の表明の日である事は当然の事でありますが前記の様に正神の神々の殆どが降押されているので普段はお目に掛れぬ神々と対面の日であり縁を深く結んで貰う日であります。
(二)普段家で修行していては仲々昇天しない大きな霊頑固な霊をも昇天させて頂ける日であり、普通の日より特に多数の霊を昇天させて頂ける日であります。これは信者の皆様も大勢体験されている事でしようが祭の日が近づくと体がおかしくなる事があります。これは体内の迷霊の方が良く知っていて祭の日には昇天しなければならぬので騒ぎ出すからであります。昇天したい霊は喜んで早く昇天したいとするし、執着があって昇天したくない霊は邪魔をして祭りに参加させ ない様にする為に異状を感じさせているのであり ます。又、この様な霊は 急に仕事が出来たり、人が来たりして参加させない様にもします。 天霊師が良く迷霊に足をとめられない様にして下さいと注意される事はこの事であります。この様な時は迷霊に負けずに参加する様にすれば体の異状も支障なく参加出来るし、仕事や用事も参加出来る様に早く片附くか代理人で間に合うか翌日にのばしても少しも支障ない様に済むものであります。本人がその気になれは迷霊もそれ以上邪魔は出来ないのであります。もし それでも邪魔をしようとすれば、正神に直に処断されるからであります。
(三)祭の日には普段少さくなってしまっている迷霊達の抜ける口の穴を大きくして頂ける日であります。抜ける口が大きくなるから大きな霊、多数の霊も無理なしに早く昇天出来る訳であります。私達の体に入っている迷霊の数は、大神が良く教へられる通り、肉体細胞の数以上程あると云はれます。一人の人間の肉体細胞は、三十五万億個もあると云はれますから気の遠くなる程の数であります。余程普段も抜ける口を大きくして置かなくては仲々清まり切れません。 又、この抜け口が通路となって、神々と本人霊との感応の出来る唯一つの連絡穴であります。 如何に厚い迷霊の層に拘束されていてもこの口があけてあれば本人霊の祈願は神々に通じ神々の指導指示も直通で本人霊に伝はりますから直感として神々の教へ導く事が感知出来るのであります。
(四)除霊石等を頂いている方は、祭の日にこれを持って来て浄めて頂けば家では抜けずに除霊石に封じ込められている霊も昇天させて頂き無霊になると同時に除霊石の力も強くして頂けるし、皆様が頂いている各種の術や力も益々強くして頂けます。反対に祭りに参加されないと迷霊に邪魔されて神々との結縁が薄くなりますから各種の術や力も弱くなり、除霊石の力も弱くなります。
(五)皆様の体内ばかりではなく、周囲にも霊界へ昇天したい「うぞうむぞう」の迷霊が多数居り昇天の機会をねらっています。これらの霊が皆様と一緒に神前へ来て霊界へ導かれるのであります。皆様は知らずにいる内に 救霊の功績を積んでしまう訳であります。九月の御祭りに、清水の佐藤きみ子きんが祝詞をあげている内に頭が下ったら目の前に大人、小人無数の正座している足を見たと云はれました。これは佐藤さんについて来て一緒に祝詞をあげている無数の人霊のうしろ姿であり、皆神前へ来て霊界へ昇天して行く型を見せて貰った訳でありま す。
(六)祭り後の直会のお神酒お馳走には大神の霊気が入って居りこれを喰べて体内に入れる事により体内の迷霊は居たたまれなくなって昇天するのであります。迷霊が抜けるから体が丈夫になる訳であります。霊薬も同じ理くつで大神の許可を頂いて作る霊薬、例えば、血圧心臓の薬、神経痛の薬等も材料は現世の物質ですがこれに霊気を入れて下されるからその薬の物質が体内にある間は悪くしている迷霊は昇天しなくては居られないので、悪い所が愈るのであって、使っている物質が今の医学や薬学で云っている様にその成分で癒るのではありません。又、迷霊の抜けた後の肉体細胞の復活もこれら大神達の霊気によって速く健全なものに復活させて頂けるのであ ります。言葉をかえれば生命力を旺盛直して下さるのであります。
以上の様に種々の意味とその御守護があるのであって何時もお話しする通り、慾のある人だったらお祭りには何があっても参加しなければ損である事がお判りの事と存じます。 大神達に結縁を深くして望みを大きくもってその通り大きく授けて頂く様切にお願い申し上げ度いと存じます。
2014年5月20日
魂清浄の傘
天霊師の元で魂清浄の神法を実践している方は魂清浄の傘の下で守られているという事です。現在は二代目天霊師の代になっておりますので、二代目天霊師の奉賛会会員の方はこの傘の下にいると言えるでしょう。
現代社会は霊的な視点から見ると、正に迷霊で充満しているような様相を呈していると言えるのですが、この魂清浄の傘の下に入れて頂くと、外から迷霊の攻撃を受ける事はなくなるという事です。
この傘下にいる、言い換えれば天霊師に関係を持って魂清浄を唱える(三位一体)という事についてなかなか理解が出来ない方もいらっしゃると思います。例えば、魂清浄の神法は魂清浄の祝詞さえ唱えていれば、どこで誰の元で唱えても同じように大神様が動いて下さって、同じように効果が出ないとおかしいのでは?等々。
この魂清浄の傘下に入るという事について開祖天霊師が内海と外海に例えて語っておられるシーンがありましたのでご紹介致します。天霊師に関係を持たず、霊的に丸腰の状態で魂清浄の神法を実践している「つもり」という状態の危うさについて、少しでもご理解の一助になれば幸いです。
<開祖天霊師講義録より抜粋>( )内は注釈
それからもう一つ大事な事はですね、天霊が居りましてそうして皆さん方魂清浄を上げる人達はこの中(魂清浄、天霊の傘)へ入っている訳です、魂清浄を上げる方は。私は表(傘の外)に居りますので他所からの行者が色々攻めて来ますと私には影響あります。
だから私が祈祷してる時は手をこう組んでおります。こう組んでおります。というのは外、外海だから、海で説明します。皆さん方は内海にいる訳です。だからこういう風に真直ぐに、いいですね、手を組まないで丁度ですね、(中略)
だから皆さん方が何処の行者に攻められてもこれ(魂清浄の傘)があるもんですからへっちゃらなんです。絶対(迷霊の攻撃を)受付けません、それは私には分かる訳です。私は外海にいますから、あ、(迷霊が)やってやがるなっていうもんで、時には(迷霊の)処断に変る事もあります。「(質問者)今の話でございますがそれは道場、支部道場ではそれがよく分りますが、支部ないし準道場の場合はどうですか。」 同じです。同じです、こういう風(傘下に入っている)にしてある。それでなきゃ命が幾つあっても足りません。道場荒らしだってありますから、これは逐次変って来た訳です。最初はですね、これでない方が私は楽なんです。だけども危害を加えられちゃってからではお仕舞いだから、(大國主大神様が)「天霊こうしようじゃないか」という風な事で、これ支部道場でもここ(傘下)に入ってますから、こっちから来ましても影響ありません。こっちへ来ます。こっちへ来ると今度跳ね返ってこっち(元の迷霊の方)へ行く様にしてあります、いいですね。だから大国主大神様は、こっちの表にいる訳です。表の方にいらっしゃる訳です。だけども今度は楽なんです。後から矢が来りゃ避けなくても、もう逆回転して今度は打ったところ(打った迷霊自身の方)へ入る様にしてあります。だから違う訳です。正神はね、こういう形になって来た。だから比較的楽になって来た訳です。(大神様のご配慮により、迷霊が矢を打って攻撃して来た場合に、その矢が方向転換して打った迷霊自身に戻るようにして頂いたということ)
現代社会は霊的な視点から見ると、正に迷霊で充満しているような様相を呈していると言えるのですが、この魂清浄の傘の下に入れて頂くと、外から迷霊の攻撃を受ける事はなくなるという事です。
この傘下にいる、言い換えれば天霊師に関係を持って魂清浄を唱える(三位一体)という事についてなかなか理解が出来ない方もいらっしゃると思います。例えば、魂清浄の神法は魂清浄の祝詞さえ唱えていれば、どこで誰の元で唱えても同じように大神様が動いて下さって、同じように効果が出ないとおかしいのでは?等々。
この魂清浄の傘下に入るという事について開祖天霊師が内海と外海に例えて語っておられるシーンがありましたのでご紹介致します。天霊師に関係を持たず、霊的に丸腰の状態で魂清浄の神法を実践している「つもり」という状態の危うさについて、少しでもご理解の一助になれば幸いです。
<開祖天霊師講義録より抜粋>( )内は注釈
それからもう一つ大事な事はですね、天霊が居りましてそうして皆さん方魂清浄を上げる人達はこの中(魂清浄、天霊の傘)へ入っている訳です、魂清浄を上げる方は。私は表(傘の外)に居りますので他所からの行者が色々攻めて来ますと私には影響あります。
だから私が祈祷してる時は手をこう組んでおります。こう組んでおります。というのは外、外海だから、海で説明します。皆さん方は内海にいる訳です。だからこういう風に真直ぐに、いいですね、手を組まないで丁度ですね、(中略)
だから皆さん方が何処の行者に攻められてもこれ(魂清浄の傘)があるもんですからへっちゃらなんです。絶対(迷霊の攻撃を)受付けません、それは私には分かる訳です。私は外海にいますから、あ、(迷霊が)やってやがるなっていうもんで、時には(迷霊の)処断に変る事もあります。「(質問者)今の話でございますがそれは道場、支部道場ではそれがよく分りますが、支部ないし準道場の場合はどうですか。」 同じです。同じです、こういう風(傘下に入っている)にしてある。それでなきゃ命が幾つあっても足りません。道場荒らしだってありますから、これは逐次変って来た訳です。最初はですね、これでない方が私は楽なんです。だけども危害を加えられちゃってからではお仕舞いだから、(大國主大神様が)「天霊こうしようじゃないか」という風な事で、これ支部道場でもここ(傘下)に入ってますから、こっちから来ましても影響ありません。こっちへ来ます。こっちへ来ると今度跳ね返ってこっち(元の迷霊の方)へ行く様にしてあります、いいですね。だから大国主大神様は、こっちの表にいる訳です。表の方にいらっしゃる訳です。だけども今度は楽なんです。後から矢が来りゃ避けなくても、もう逆回転して今度は打ったところ(打った迷霊自身の方)へ入る様にしてあります。だから違う訳です。正神はね、こういう形になって来た。だから比較的楽になって来た訳です。(大神様のご配慮により、迷霊が矢を打って攻撃して来た場合に、その矢が方向転換して打った迷霊自身に戻るようにして頂いたということ)
2014年5月10日
春季大祭
今年の春季大祭も多くの奉賛会会員が遠くからもご参拝されました。遠くにお住まいで一年に一回しか来られない方や今回初めて来られた若い方など皆さんそれぞれに嬉しいひとときを過ごしました。
大祭8日と10日の土曜日にも多くの参拝者が来られまして、両日共に二代目天霊師による大祭祭式が行われて皆声高らかに魂清浄の祝詞を唱えました。8日にどうしても来られない場合には9日か10日に来ても良い事になっております。これは開祖天霊師の時から続いている大神様とのお約束です。これ以外の日は本部道場の御祭りとはなりません。
午後からは少し長めの行が行なわれましたが、その際、先達の方から「無心の行」の重要性のお話がございました。行の間に無心の状態になると大量の迷霊が昇天しやすいという事と行が進んでくると無心の時間が長くなるという事でした。
大祭の時は穏やかな雰囲気の中にも大神様が大挙して降神されているようないつもと異なる雰囲気があり、普段本部道場で魂清浄の祝詞を唱えるのとは心も体の状態も大きに異なります。
今日は若い会員の方から「大きな安心感が感じられて、いつまでもここにいたいと思うくらいです」という嬉しいお話しがありました。この安心感を感じさせられる、次第に不安が取り除かれていくというのも魂清浄の神法の特徴の一つですね。
大祭の日は多くの体内の霊が昇天させて頂けます。それに伴って肉体的にも疲労感を覚えたりしますが、本部道場で横になって休んでいますと、体の調整をして頂けるようで次第に体が軽くなるのが分かります。そういう意味でも大祭や毎月の御祭りの時には本部道場でゆっくりと過ごす事が大切だと思いました。
大祭8日と10日の土曜日にも多くの参拝者が来られまして、両日共に二代目天霊師による大祭祭式が行われて皆声高らかに魂清浄の祝詞を唱えました。8日にどうしても来られない場合には9日か10日に来ても良い事になっております。これは開祖天霊師の時から続いている大神様とのお約束です。これ以外の日は本部道場の御祭りとはなりません。
午後からは少し長めの行が行なわれましたが、その際、先達の方から「無心の行」の重要性のお話がございました。行の間に無心の状態になると大量の迷霊が昇天しやすいという事と行が進んでくると無心の時間が長くなるという事でした。
大祭の時は穏やかな雰囲気の中にも大神様が大挙して降神されているようないつもと異なる雰囲気があり、普段本部道場で魂清浄の祝詞を唱えるのとは心も体の状態も大きに異なります。
今日は若い会員の方から「大きな安心感が感じられて、いつまでもここにいたいと思うくらいです」という嬉しいお話しがありました。この安心感を感じさせられる、次第に不安が取り除かれていくというのも魂清浄の神法の特徴の一つですね。
大祭の日は多くの体内の霊が昇天させて頂けます。それに伴って肉体的にも疲労感を覚えたりしますが、本部道場で横になって休んでいますと、体の調整をして頂けるようで次第に体が軽くなるのが分かります。そういう意味でも大祭や毎月の御祭りの時には本部道場でゆっくりと過ごす事が大切だと思いました。
2014年5月5日
魂清浄のマーク
魂清浄の神法の象徴としてマークが決められております。これについて開祖天霊師が天霊新報第5号の中で説明されている文章が残されておりますので以下に添付致します。
天霊神霊研究所の本部道場、各支部道場、各準道場の神殿には下の写真に示されるようなこのマークの入った青い旗が掲げられる事になっております。霊的にも大きな意味を持つ旗であり、開祖天霊師、二代目天霊師からのみ授けられるものです。当然の事ながら、その他の方が許可なく勝手に作製して良いものではございません。
天霊神霊研究所の本部道場、各支部道場、各準道場の神殿には下の写真に示されるようなこのマークの入った青い旗が掲げられる事になっております。霊的にも大きな意味を持つ旗であり、開祖天霊師、二代目天霊師からのみ授けられるものです。当然の事ながら、その他の方が許可なく勝手に作製して良いものではございません。
2014年4月10日
人格の完成
日頃、二代目天霊師に接しておりますと、その謙虚でごく控えめで壁を作らない性格に感心させられることがあります。ですから初対面の方でも子供でも安心して先生のそばにいる事が出来ます。
歳を重ねるほどに人格が高まってくるのが理想である訳ですが、世間には歳を重ねるほどにその方本来の性格が濃くなっていき、頑固で欲惚けてしまう方も少なくはありません。
「まずは自分が人様に迷惑をかけない事だよ」という意味の事を二代目天霊師が仰ることがあります。
魂清浄の神法を継続して参りますと、その自分の性格をゆがめている迷霊が昇天し、次第に人格が完成されて来るという事です。二代目天霊師の性格がそのことを物語っているように思います。開祖天霊師も大変思いやりのある方であったとご親族の方や弟子の方々から聞かされております。身近に尊敬出来る生き方をしておられる方がいる事は本当に幸せな事ですね。
<開祖天霊師講義録より抜粋>
迷霊の性格とおこす霊障。これはですね、色々あるんです。例えば午前中言いました様に十二支とかなんとかあれを良く読んでみると当ってるんですね。一白水星の何歳の人はどうであります。正確に書いてあります。良く当るんです。当るはずなんです。そう言う迷霊が集まっているから。だから所謂魂清浄を上げてくると、そう言う風に迷霊の性格が無くなって、本当に輝かしい神々のお造りになった姿の人間が出来て来ますから、人格の完成が出来るわけでございます。元々大神様方は人間が所謂そのそう言う風になる様に元々造ってあったわけですけれども、それが迷霊によって歪められているわけですね。その歪められが直って来ますから人格が完成してくるわけでございます。
歳を重ねるほどに人格が高まってくるのが理想である訳ですが、世間には歳を重ねるほどにその方本来の性格が濃くなっていき、頑固で欲惚けてしまう方も少なくはありません。
「まずは自分が人様に迷惑をかけない事だよ」という意味の事を二代目天霊師が仰ることがあります。
魂清浄の神法を継続して参りますと、その自分の性格をゆがめている迷霊が昇天し、次第に人格が完成されて来るという事です。二代目天霊師の性格がそのことを物語っているように思います。開祖天霊師も大変思いやりのある方であったとご親族の方や弟子の方々から聞かされております。身近に尊敬出来る生き方をしておられる方がいる事は本当に幸せな事ですね。
<開祖天霊師講義録より抜粋>
迷霊の性格とおこす霊障。これはですね、色々あるんです。例えば午前中言いました様に十二支とかなんとかあれを良く読んでみると当ってるんですね。一白水星の何歳の人はどうであります。正確に書いてあります。良く当るんです。当るはずなんです。そう言う迷霊が集まっているから。だから所謂魂清浄を上げてくると、そう言う風に迷霊の性格が無くなって、本当に輝かしい神々のお造りになった姿の人間が出来て来ますから、人格の完成が出来るわけでございます。元々大神様方は人間が所謂そのそう言う風になる様に元々造ってあったわけですけれども、それが迷霊によって歪められているわけですね。その歪められが直って来ますから人格が完成してくるわけでございます。
2014年4月8日
卯月の御祭
本日は春らしいポカポカ陽気で甲府近郊の桃の花が咲きそろい、大変心地の良い一日となりました。本部道場では88歳となられた二代目天霊師の透き通るような声で祝詞がよまれ、そのあと参拝された皆さんの元気一杯唱える魂清浄の祝詞が道場いっぱいに響き渡りました。寒かった甲府の冬も終わり、今日は道場の窓を全て開け放して大変の気持ちの良い御祭りとなりました。
そのあと奉賛会会員の病癒しの祭式が行われましたが、祈願された方は大きな体感があったそうで、魂清浄の神法の凄さをあらためて感じさせられたとの弁がありました。やはり自分で体験してみない事にはなかなか理解出来ないのがこの魂清浄の神法であると思いました。
そのあと奉賛会会員の病癒しの祭式が行われましたが、祈願された方は大きな体感があったそうで、魂清浄の神法の凄さをあらためて感じさせられたとの弁がありました。やはり自分で体験してみない事にはなかなか理解出来ないのがこの魂清浄の神法であると思いました。
2014年3月23日
二代目天霊師 八十八歳の御誕生日
本日3月23日は二代目天霊師のお誕生日でした。本日で八十八歳になられました。午前の行は天霊先生に祝詞を詠んで頂いて皆さん一緒にいたしました。その後、本部道場に参拝された奉賛会会員の皆さんで心のこもった誕生会をおこないました。今日はとてもあたたかい小春日和となり先生の笑顔もひときわ光って見えました。
また、今日は皆さんで開祖天霊師の奥都城と二代目天霊師のお家の奥都城の清掃をして参りました。何とこの二つの奥都城は同じ場所にあるのです。奥都城からは雪をかぶったアルプスの山々が一望でき、その雄大な景色がとても印象的でした。
また、今日は皆さんで開祖天霊師の奥都城と二代目天霊師のお家の奥都城の清掃をして参りました。何とこの二つの奥都城は同じ場所にあるのです。奥都城からは雪をかぶったアルプスの山々が一望でき、その雄大な景色がとても印象的でした。
2014年2月22日
修行心得
開祖天霊師生存中の天霊新報に「修行心得」という題で何度か記事が投稿されております。これらの内容は魂清浄の神法の基礎ですので記録のため抜粋致します。
(当時の内容を旧仮名遣いの箇所も一部の誤記もそのまま抜粋致します)
************************************
修行心得(その1) 創刊号より
一、行と云うものは、自分自身の人格の完成の為にするものである。
人格の完成とは自分自身を総体的を考へ行動する事である。(独りよがりでは駄目)
燃も、其の働き行動が自然に何時でも正しく、無駄のない働き行動となる事を会得する事である。(一九七〇、一二、二四御神示)
二、頭を魂清浄一本にしてかかれ。
修行の成果を早くあげる為には、頭の中を一本にしてかかれと大神は教へられている。既存の宗教知職体験学問が頭の中で大事にされている内はそれだけ既存の迷霊に占領されている訳でありますから、体内から離れ昇天するのが遅くなります。中にはそれを良い事に仲々離れようとしないからであります。疑ひ怠りは勿論進歩の邪魔ですが、疑ひ怠りと云はないまでも、今までの教へや知織を整理する事は仲々むづかしい事でありますが、無益なものは早く整理される方が近道です。体内の迷霊が減少すれば自ら悟る事も早いし、大神達の教え導いて下さる事を早く聞く事が出来るからであります。自分の体で体験し、聞くことが一番確かな事であります。
三、のりとをあげる時は無心になれ。
魂清浄ののりとをあげるのは何時でも何処ででも良いのであって、のりとをあげさえすれば迷霊はどんどん昇天して行き体も魂もきれいになる訳ですが、その時は無心になってあげる方が進歩は早いのであります。邪念がちらちらする様ではそれだけ迷霊に邪魔されているので成果が少いと云へます。無心になってのりとがあげられる時間の長い程行が積んだ人であります。
四、夫婦は車の両輪.揃って修行することが近道。
大神は良く夫婦は、車の両輪の様なもので揃って信仰修行する事が大切で進歩も速い。又、御守護も多いと数へられています。片方ですとどうしても進歩が遅く、悪くすると一ケ所を堂々めぐりする様な形になると申されて居ります。
五、子供は両親の行によつて速く救はれる。
子供は二十五才迄は霊的には親の責任があると数へられて居ります。故に子供の事で御願ひする時は、本人は勿論ですが親達が修行されると早く解快します。二十六才以上の方は独立の人間となりますから、親に関係なく本人だけの修行で成果が上ります。
************************************
修行心得(その2) 第6号より
一、天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではない。正神の実在を教へ正神に結はせる所であります。霊の諸問題を解明しその解決処理法を教へるところであります。
二、イボーつ取って貰っても、すべての病が癒して貰えることを悟って貰い度いし、その原因をなす霊障とその解決処理法及正神のお働を悟って貰い度い。
三、体験を通して確認し悟ることであり、更に奥の奥まで行をして体験確認を積み重ねて貰い度い。
四、救はれてしまえばそれ迄、後は何もしない人には、再度大神は愛の手を伸ばして下さらない。
五、疑い怠りがあっては駄目。
六、迷霊に足を止められるな。
七、大神や、 天霊師にお願いしてあるからと云って自ら日常魂清浄を唱えない様では駄目、それでいて御利益が無いと云っている様な人は救い様のない人、落第生である。
八、修行は日常生活の場で行うべきものである。修行を毎日短時間でもすると共に、職業、商売でも研究でも、それぞれの道に真剣に努力すれば大神は必ず素晴らしい事を導き数へて下さる。実生活と密着した行が大切である。
九、修行中の種々の変化は向上への過程の為の現象であり心配はいらない。人間が創造された当初の自然の姿に還る為の現象である。
十、神の道は非常に厳しいが、反面又非常におおらかな所もある。筋を通すことには非常に厳しいものである。 筋とは、神の教へに反論したり、順序、順位をとりちがえて人間が神の上に立って神を使用しようとしたりする様な筋道、神理に反する様なことであり、既存宗教の戒律だとか教条主義的作法習慣等必要ありません。暑ければ、裸で修行しても神前へ出ても差支えないのであります。
十一、 行は毎日家庭では十 五分前後、真剣に無心に行うこと。長時間修行したい時は、必ず道場へ来てやること。
十二、修行は外聞や体裁を考えたり、恥しいと思ったら駄目である。
十三、普段何も無い時から修行しておくのが正しい。困った時の神だのみでは一歩手遅れ。
十四、誠を以って心からお願いしなければ通じない。大神は見抜き見通しで絶対嘘はつけないし、ごまかされない。
十五、正神信仰の極意
イ)正神に祈願して約束して貰う事である。正神は祈願のない所には何も働いて下さらぬ。祈願により働いて下さるし約束して貰えれば、どんな事でも実現して下さる。大欲をかいて何んでもお願いすることである。
ロ)体内の迷霊を昇天させ迷霊が少くなれば正神との直接対話が出来る。
ハ)体を使って体験確認すること。
ニ)人の言葉、いろいろの現象、自分の体の変化等常に注意観察して神の導きを悟ること。
ハ)正神は人智を越えて必ず先々の手を打って置いて下さる。二~三年後に実現する事もあるからこれを注意して悟ること。
へ)要は絶対の信と真剣無心の行をすることである。
十六、大神の指示は必ずその通り実行すること。人智を働かせて判断すると間違う。
十七、月一回の例祭には、必ず参加すること。
※どんなに忙がしくとも自分が幸福になるために…。
************************************
修行心得(その3) 第7号より
一、前号にも書いた通り、魂清浄の神法は日常の実生活と一体のものでありま す。
修行は魂清浄の祈言をあげて行をするばかりが行ではなくて、職業上の仕事に専心している時も休んでいる時も寝ている時も日常生活、全体が行であり、大神達は常に各人各家にまつわる迷霊達を昇天させ常に皆様を監督守護されているのであります。
と、同時に善い方え善い方えと指導されているのであり、熱心に仕事をしている時によいヒントを直観として与えて下さるし、少し位の体の調子の悪いのは押へて下さって痛みも体のだるいのも取って下さるのであります。
のりとをあげる行も結構ですが、それだけでは仲々進歩しませんし、働かなければ生活も成り立たないのであって、自分の生活が成りたたなくて、修行しても大神は仲々、力もさづけては下されないし、進歩もしません。従来の迷霊信仰では何もかもすて修行せよと教えましたが、これは迷霊が人間共を破滅に導く為に人間共を振り廻したのであります。この様な馬鹿な心得は捨てなければなりません。反面仕事仕事と追い廻されて大神達と離れてしまっても又迷霊達に自由に振り廻されてしまいます。ですから、一日に一回位は五分から十五分位「のりと」をあげ、後は仕事中に或は歩きながらでも「のりと」をあげ、月に一回の御祭りと修行の日には必ず参加される様にして、常に正神とつながりを保つ様心掛けて頂きたいものであります。
二、「我」を出して如何に修行しても駄目である。
兎角人間は何事によらず少し判って来ると「我」が出るものであります。90%位を迷霊に占領されている頭脳で考えて「我」を出すことは迷霊に自由に振り廻されてしまいます。ところが「我」の出ている人はこの間違いが自分で判らないので仕末に困るのであります。「我」が出て本筋をはづれては、如何に努力修行している様でも、あくまでも迷霊に支配されている迷霊の修行ですから、やればやる程正神から離れてしまいます。この様な無駄な努力はしないし、時間の空費をしないことが望ましいのであって 少しおかしいなと思ったら 天霊師なり、行を積んだ先輩の指導を受ける事が大切であります。 最近、とんでもない筋違いの修行を勝手にしている人も出て来ましたが、この様な時は始めに戻って修行し直して頂く事が肝要であります。 迷霊にあやつられない様特に注意していただきます。
三、疑い怠りがあってはなりません。
前にも話した通り、人間は 兎角、すぐに自分の考えで神や霊界の事を押しはかりたいものであります。 自分に都合の良い点は判りますが都合の悪い事は何とか、かんとか理由をつけて自分の考えている通りやり度いものであります。修行に於ても同様で、やり度くない事、都合悪い事は正当らしい理由をつけて怠り、 或は疑うものであります。 神界、霊界の事は普通の人には見えないし、聞えないので猶更自由勝手に決めて掛り易いものでありますが実在の世界はその様に各人に都合良くは出来て居りません。各人が都合良く神を使い霊界を支配は出来ません。そこには厳然として筋道があり、法則があるのであってその筋道をふみ、法則に従って行くより外に方法はないのであります。 少し位の修行で神霊の世界の入口に立った位で慢心を起したり、疑い怠りを行っていては広く深い神霊の世界は全然判らないし、正神の導きも御守護もいただく事は出来ません。また、折角授かった「術や力も」取り上げられてしまうのであります。
常に天霊師を通して正神につながっている修行が大切であります。「我」を出したり、迷霊信仰の知識を捨てる事が出来ないで固執して疑い怠りをしたり、少し位の修行で慢心を起して、素直な気持になれない人はそれだけ迷霊に繰られ、振り廻されている事を知らなければなりません。 大神様から見れば、現在の人間は全く箸にも棒にもかからない様な状態であります。この中から大革命の魂清浄の神法につながる殊勝な心掛けの人達は何んとしても救い育て上げ度いと念願されて居られるでしよう。時には種々の方法で試めしてみたりして一人前の人間に導き育てて下さっているのであります。
ですから、修行半ばで授かる霊媒能力、重い軽いの占い、その他の術もあくまで 練習用のものであり、正しい修行方法で練習すれは次第に進歩し、やがて大神からお許しが出れば初伝、中伝、奥伝の免状も霊の巻物もいただけるのであって、この許可証のいただいてない方は練習用のものである事を知っていただかなければなりません。 自己の力を過信すると筋道をはづれ大変な間違いを起し、反って大神達の足をひっぱって御神業の妨害になる事がありますから注意していただきたいものであります。この様な人にも大神は温和にやさしく注意されるので、カッカとしている方には、注意が注意の様に聞えぬかも知れませんが大神の言薬は常に細心の注意と深い反省、熟慮を以って聞いていただき度いと存じます。日常会話の中に天霊師の口をとって聞かせるのであります。天霊師の言葉は常に注意して聞いていただき度いと存じます。この様な大神達の大愛にもとづく願いや、努力を知らずして「我」を出したり、慢心を起したりして勝手な言動や無益な修行をしたり、或は尤もらしい理由をつけて、疑い怠りをしたり、一度救はれてしまえば後は次の問題が起るまで知らん顔をする人達は、全く親の心子知らずのだだっ子と同様と云えましよう。 迷霊に縛られ振り廻されぬ様心掛けて下さい。
************************************
修行心得(その4) 第9号より
一、テストされている事を知れ。
現在の人達は信仰していると云い乍らも大神をはかりに掛けたり、試したりしている者が多い、そして浅はかな人間の知識や迷霊に支配されている頭で批判し文句を云っている様である。 天霊新報の記事に対しても●●●会のおどかしに似て来たとか、独断的で高圧的であるとか云っているのを聞きますが、この様な方々は本当に魂清浄の修行をされているのかと疑問を感じますし、新報を良く読んでいるのだろうかとも疑い度くなるのであります。
魂清浄の神法の修行は、おおらかな所もありますが、反面非常にきびしいものである所は天霊師のよく説かれる点でありますが、まさにその通りであり、大神もー人一人を常にテストされているのであります。 正神信仰は、正神との対決であり各人の霊魂と肉体に直結する正神に仕え求める修行である以上観念的な求め方だけでは判りません。本人の霊魂と肉体で修行しつかまえなくては本当に正神をつかむ事は出来ない。各人の肉体こそ各人が信頼出来る唯一の存在であり、幸福を味わい悲しみを味あうのもこの肉体であると同時に正神の御利益を味あうのも、霊感を感得するのも又いろいろの術や力を授かり発揮するのもこの肉体を通してのことであります。皆様の運命開拓の最後の切札は正に魂清浄の神法による正神信仰であり、その肉体をも安心して託すことの出来る正神は神法につながる所に居られる事を身をもって、修行する事によって確認し、つかんで頂かなければなりません。
神をためし、はかりにかけている間は大神にもテストされていると考えねばなりません。大神達にお願いしながら一方で迷霊信仰をしていて御利益が無い、悪くなった等云っている方こそおかしいのではありませんか、大神のテストに合格する毎に進歩向上し、御利益も術や力も授かるのであります。不合格の者は、テストの問題が解答出来るまでは修行させられるのであります。各人の程度によりテストの問題も方法も種々違いますが、常にテストされている事を頭に置いて自分で身を以て解答し悟る心掛けが大切であり、おかしいと思ったら何でも天霊師或は先輩を通じて大神に伺う様に心掛けることが早く解答出来る方法であります。
ひた向きに素直に仕え求めようとする者にはどの様にも大神は面倒をみて下さるのであります。修行程度を示すのに初伝、中伝、奥伝をだてに大神はつくられたのではありません。修行していろいろのテストに合格した時大神から授かるものであり、それには皆相当の玉と術や力がついているのであります。形の上の免状ではなく授かる術や力と霊格位の向上が重要な点であります。
二、貪欲の心、よこしまの心が出た時大神は去ると教えられて居ります。
大神から名を貰い術を授けられたら、それに答えて人数い霊救いに励むと同時に常に自分自身な磨かなくてはなりません。怠りが出たり、貪欲の心、よこしまの心、慢心が出れば大神から見はなされ、力が無くなることは当然であり、ましてや第二霊界え入れて貰う事も出来ないのであります。この様に巌しい面がある修行である事を知って頂き度いと存じます。
三、形だけの修行、本筋をとり違えた修行では正神につながらないし、全然進歩がない。 即ち、迷霊の昇天はない事を知られ度い。私は行を毎日やっている。何年もやっていると云う方で少しも御利益もないし、 力も出ないと云う方があったらその方は修行の仕方が おかしいのであって、本当の行になっていないのであります。天霊師なり先輩の行の出来た方に指導を仰ぐ必要があります。 迷霊を昇天させることの出来ない行は何時間、何年やっても御利益もなけれは力も出ません。どこか本筋からはづれているか、修行の仕方、心掛けが違っているのであります。形や時間の問題ではなく、大神達に通じ感応して働いて下さるか否かが重要点であります。 人間が勝手に都合良く考えた様には大神も迷霊も動か ない事をさとって頂かなければなりません。よく自分から迷霊を昇天させる努力もしないで大神様や天霊師は直に癒して呉れる事は出来ないか、御利益で助けて呉れないかと注文をつける人があり、出来なければ神や天霊師を疑う人がありますが、大事な点はまづ自分から迷霊を昇天させる修行をし努力をする事であり、其の上でお願いすれば思う様に解決して下さるものであります。 神を利用し或ははかりにかける様な気持ち又神や天霊師に頼み放しで自ら努力しない方法では仲々早く解決は出来ません。大神の方でもこれらの人をテストされているでしよう。 自らこの宿題が解けた時に始めて解決と良い結果が生れるのであって、宿題を早くとく程早く解決する事を知って頂きたいものであります
************************************
修行心得(その五) 第10号より
「修行する場所と指導者により迷霊昇天の成果が違う」
前号にも書きましたが私は相当の行をしていると云い乍ら実際には余り修行の進歩のない人があります。 この様な人は免角身勝手な修行をして居るのであって 本当の行になっていない人であります。 既存の宗教知識や人間の智恵で正神の神々は宇宙の間何処にでも居られる筈であるから自ら正神を念じて行をすれは何処で修行しようと同じである(注;と屁理屈を言う)。
本部で修行しなさい。道場えたまには修行に来なさいと云う事を取り違えて恰も本部中心主義だ、金取り主義だなどと、飛んでもない考え方をしている人が物を知って居り屁理屈を言う人に多い様です。
実際に存在する正神の仕組みや霊界はこの様に人間の身勝手な考えや理屈の様に観念的に頭の中で考え想像する様なものではありません。迷霊に霊縛され、支配されている状態の人間が頭の中で考えている様に正神に祈願しても、その念力は正神には通じないのであります。迷霊取って後念ずれば正神にも通じるのであり、又迷霊の多い人でこの迷霊にさえぎられて念の通じない人達の為に、修行して迷霊の少い人が代って祈願してやらなければ通じない。この代って祈願出来る人が天霊師であり、行の積んだ先輩達なのであります。
修行する場所、即ち、本部なり支部道場、準道場或は皆様の家庭、仕事場なりで修行の効果は違うのであります。恰も幼児の為に幼椎園があり、小学生は小学校で中学生は中学校、大学生は大学で教育され勉強する様に先生も教材も施設もその程度のものが準備されて居り、それぞれの程度の勉学が行はれているのであって、幼稚園で大学の教育は実効が上らないのであります。観念的に勝手に私は幼稚園で大学程度の勉強をするんだとは如何に自惚れの強い人でも云はないだろうし、若しそれを強引に主張したら世間の物笑いの種にしかならない事は自明の理であります。これと同じ様に家庭でする場合、準道場でする場合、道場でする場合、本部神殿でする場合、皆それぞれに効果の程度は違うのであります。それは大神の仕組み、指導される神々の違い、修行の指導者の霊格や力の違い等によって実際に迷霊昇天の仕方が違い正神に通ずる通じ方が違うのであります。これは皆様が修行してみれば体験を通して確認出来るものであります。この点が判らない方の為に時に道場で修行しなさい、本部で修行しなさいと指導するかげには前記の様な仕組み、筋道があるからであって素直に言はれた通り修行する事が修行の効果を早くあげる方法であります。人間の知恵や既存の迷霊信仰の知識で身勝手に考えても正神や迷霊は其の様に働かない事を知って頂くことが大切であります。これが修行の本筋であり、 本筋をはづれた修行をしていて効果が上らぬと愚痴を言う様なことは止めて頂きたいと存じます。
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修行心得(その6) 第14号より
一、魂清浄の神法は離れていて祈祷によって、治すのが原則、一尺離れていても千里離れていても同じである。手で叩く場合は、大神の命によって叩くのであって、自己が意識的に叩いてはならぬ。
相手の霊の方が大きい場合、或は修行している霊だと馬鹿にして出にくい。修行の下の者が修行の積んだ者を叩いても駄目である。かえって叩かれた者が後で体が痛くて困る場合がある。
大神の命によって叩くと云う事は修行中無意識で大神がその人の体を使って自然に叩く場合の事である。
迷霊と云っても、修行した霊、大きな霊もあり、修行未熟な者が馬鹿にして掛ると大変である事知って頂き度い。
二、行をする時は無我夢中になってやる方が進歩が早い。迷霊の昇天も早いし、正神が感応する事も早い。形だけで長時間やっても雑念が入って来る様では進歩は遅い。下腹に力を入れて無我夢中で行をして頂き度い。
三、迷いが出たり、不信な事や疑問が生じたら徹底的に解明しなければ駄目だ。本来は行をすれば大神は何等かの法で悟らせて下さるが、それが出来なかったら天霊師なり先輩に伺って納得ゆくまで指導して貰って下さい。人智による浅薄な独断では正しく神につながる事は出来ない。
四、天霊新報にのっている天霊師の「教へ」及び御神示は再参再四熟読玩味して悟って頂き度い。判らなかったら天霊師、先輩の方々に聞いて修行の助けとすると共に本当に悟って頂き度い。
五、教えと修行と実生活とが一体にならなければ駄目だ。実生活の上の問題になると仲々迷ったり疑ったりする問題が多く起こって来る。それらの問題を迷わず自信を以て解決出来る人にならなくては修行している価値がない。その為の教えであり修行である。修行は修行、実生活の問題は実生活の問題とばらばらな状態では本当の修行ではない。
六、迷霊にあまりこだわるな。迷霊は昇天させれば全て解決するのであり、その為の修行である。心霊科学や低俗な占い等のように迷霊の一つや二つを追い回しても何にもならぬ。無限に多い迷霊だから、だまって修行してどんどん昇天させねば仲々解決しない。迷霊に余りこだわると修行の邪魔になる。
迷霊は修行によって昇天させれば良いのであって、昇天してしまう迷霊の事など後迄もとやかく気を遣う事は無益な事だ。
(当時の内容を旧仮名遣いの箇所も一部の誤記もそのまま抜粋致します)
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修行心得(その1) 創刊号より
一、行と云うものは、自分自身の人格の完成の為にするものである。
人格の完成とは自分自身を総体的を考へ行動する事である。(独りよがりでは駄目)
燃も、其の働き行動が自然に何時でも正しく、無駄のない働き行動となる事を会得する事である。(一九七〇、一二、二四御神示)
二、頭を魂清浄一本にしてかかれ。
修行の成果を早くあげる為には、頭の中を一本にしてかかれと大神は教へられている。既存の宗教知職体験学問が頭の中で大事にされている内はそれだけ既存の迷霊に占領されている訳でありますから、体内から離れ昇天するのが遅くなります。中にはそれを良い事に仲々離れようとしないからであります。疑ひ怠りは勿論進歩の邪魔ですが、疑ひ怠りと云はないまでも、今までの教へや知織を整理する事は仲々むづかしい事でありますが、無益なものは早く整理される方が近道です。体内の迷霊が減少すれば自ら悟る事も早いし、大神達の教え導いて下さる事を早く聞く事が出来るからであります。自分の体で体験し、聞くことが一番確かな事であります。
三、のりとをあげる時は無心になれ。
魂清浄ののりとをあげるのは何時でも何処ででも良いのであって、のりとをあげさえすれば迷霊はどんどん昇天して行き体も魂もきれいになる訳ですが、その時は無心になってあげる方が進歩は早いのであります。邪念がちらちらする様ではそれだけ迷霊に邪魔されているので成果が少いと云へます。無心になってのりとがあげられる時間の長い程行が積んだ人であります。
四、夫婦は車の両輪.揃って修行することが近道。
大神は良く夫婦は、車の両輪の様なもので揃って信仰修行する事が大切で進歩も速い。又、御守護も多いと数へられています。片方ですとどうしても進歩が遅く、悪くすると一ケ所を堂々めぐりする様な形になると申されて居ります。
五、子供は両親の行によつて速く救はれる。
子供は二十五才迄は霊的には親の責任があると数へられて居ります。故に子供の事で御願ひする時は、本人は勿論ですが親達が修行されると早く解快します。二十六才以上の方は独立の人間となりますから、親に関係なく本人だけの修行で成果が上ります。
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修行心得(その2) 第6号より
一、天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではない。正神の実在を教へ正神に結はせる所であります。霊の諸問題を解明しその解決処理法を教へるところであります。
二、イボーつ取って貰っても、すべての病が癒して貰えることを悟って貰い度いし、その原因をなす霊障とその解決処理法及正神のお働を悟って貰い度い。
三、体験を通して確認し悟ることであり、更に奥の奥まで行をして体験確認を積み重ねて貰い度い。
四、救はれてしまえばそれ迄、後は何もしない人には、再度大神は愛の手を伸ばして下さらない。
五、疑い怠りがあっては駄目。
六、迷霊に足を止められるな。
七、大神や、 天霊師にお願いしてあるからと云って自ら日常魂清浄を唱えない様では駄目、それでいて御利益が無いと云っている様な人は救い様のない人、落第生である。
八、修行は日常生活の場で行うべきものである。修行を毎日短時間でもすると共に、職業、商売でも研究でも、それぞれの道に真剣に努力すれば大神は必ず素晴らしい事を導き数へて下さる。実生活と密着した行が大切である。
九、修行中の種々の変化は向上への過程の為の現象であり心配はいらない。人間が創造された当初の自然の姿に還る為の現象である。
十、神の道は非常に厳しいが、反面又非常におおらかな所もある。筋を通すことには非常に厳しいものである。 筋とは、神の教へに反論したり、順序、順位をとりちがえて人間が神の上に立って神を使用しようとしたりする様な筋道、神理に反する様なことであり、既存宗教の戒律だとか教条主義的作法習慣等必要ありません。暑ければ、裸で修行しても神前へ出ても差支えないのであります。
十一、 行は毎日家庭では十 五分前後、真剣に無心に行うこと。長時間修行したい時は、必ず道場へ来てやること。
十二、修行は外聞や体裁を考えたり、恥しいと思ったら駄目である。
十三、普段何も無い時から修行しておくのが正しい。困った時の神だのみでは一歩手遅れ。
十四、誠を以って心からお願いしなければ通じない。大神は見抜き見通しで絶対嘘はつけないし、ごまかされない。
十五、正神信仰の極意
イ)正神に祈願して約束して貰う事である。正神は祈願のない所には何も働いて下さらぬ。祈願により働いて下さるし約束して貰えれば、どんな事でも実現して下さる。大欲をかいて何んでもお願いすることである。
ロ)体内の迷霊を昇天させ迷霊が少くなれば正神との直接対話が出来る。
ハ)体を使って体験確認すること。
ニ)人の言葉、いろいろの現象、自分の体の変化等常に注意観察して神の導きを悟ること。
ハ)正神は人智を越えて必ず先々の手を打って置いて下さる。二~三年後に実現する事もあるからこれを注意して悟ること。
へ)要は絶対の信と真剣無心の行をすることである。
十六、大神の指示は必ずその通り実行すること。人智を働かせて判断すると間違う。
十七、月一回の例祭には、必ず参加すること。
※どんなに忙がしくとも自分が幸福になるために…。
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修行心得(その3) 第7号より
一、前号にも書いた通り、魂清浄の神法は日常の実生活と一体のものでありま す。
修行は魂清浄の祈言をあげて行をするばかりが行ではなくて、職業上の仕事に専心している時も休んでいる時も寝ている時も日常生活、全体が行であり、大神達は常に各人各家にまつわる迷霊達を昇天させ常に皆様を監督守護されているのであります。
と、同時に善い方え善い方えと指導されているのであり、熱心に仕事をしている時によいヒントを直観として与えて下さるし、少し位の体の調子の悪いのは押へて下さって痛みも体のだるいのも取って下さるのであります。
のりとをあげる行も結構ですが、それだけでは仲々進歩しませんし、働かなければ生活も成り立たないのであって、自分の生活が成りたたなくて、修行しても大神は仲々、力もさづけては下されないし、進歩もしません。従来の迷霊信仰では何もかもすて修行せよと教えましたが、これは迷霊が人間共を破滅に導く為に人間共を振り廻したのであります。この様な馬鹿な心得は捨てなければなりません。反面仕事仕事と追い廻されて大神達と離れてしまっても又迷霊達に自由に振り廻されてしまいます。ですから、一日に一回位は五分から十五分位「のりと」をあげ、後は仕事中に或は歩きながらでも「のりと」をあげ、月に一回の御祭りと修行の日には必ず参加される様にして、常に正神とつながりを保つ様心掛けて頂きたいものであります。
二、「我」を出して如何に修行しても駄目である。
兎角人間は何事によらず少し判って来ると「我」が出るものであります。90%位を迷霊に占領されている頭脳で考えて「我」を出すことは迷霊に自由に振り廻されてしまいます。ところが「我」の出ている人はこの間違いが自分で判らないので仕末に困るのであります。「我」が出て本筋をはづれては、如何に努力修行している様でも、あくまでも迷霊に支配されている迷霊の修行ですから、やればやる程正神から離れてしまいます。この様な無駄な努力はしないし、時間の空費をしないことが望ましいのであって 少しおかしいなと思ったら 天霊師なり、行を積んだ先輩の指導を受ける事が大切であります。 最近、とんでもない筋違いの修行を勝手にしている人も出て来ましたが、この様な時は始めに戻って修行し直して頂く事が肝要であります。 迷霊にあやつられない様特に注意していただきます。
三、疑い怠りがあってはなりません。
前にも話した通り、人間は 兎角、すぐに自分の考えで神や霊界の事を押しはかりたいものであります。 自分に都合の良い点は判りますが都合の悪い事は何とか、かんとか理由をつけて自分の考えている通りやり度いものであります。修行に於ても同様で、やり度くない事、都合悪い事は正当らしい理由をつけて怠り、 或は疑うものであります。 神界、霊界の事は普通の人には見えないし、聞えないので猶更自由勝手に決めて掛り易いものでありますが実在の世界はその様に各人に都合良くは出来て居りません。各人が都合良く神を使い霊界を支配は出来ません。そこには厳然として筋道があり、法則があるのであってその筋道をふみ、法則に従って行くより外に方法はないのであります。 少し位の修行で神霊の世界の入口に立った位で慢心を起したり、疑い怠りを行っていては広く深い神霊の世界は全然判らないし、正神の導きも御守護もいただく事は出来ません。また、折角授かった「術や力も」取り上げられてしまうのであります。
常に天霊師を通して正神につながっている修行が大切であります。「我」を出したり、迷霊信仰の知識を捨てる事が出来ないで固執して疑い怠りをしたり、少し位の修行で慢心を起して、素直な気持になれない人はそれだけ迷霊に繰られ、振り廻されている事を知らなければなりません。 大神様から見れば、現在の人間は全く箸にも棒にもかからない様な状態であります。この中から大革命の魂清浄の神法につながる殊勝な心掛けの人達は何んとしても救い育て上げ度いと念願されて居られるでしよう。時には種々の方法で試めしてみたりして一人前の人間に導き育てて下さっているのであります。
ですから、修行半ばで授かる霊媒能力、重い軽いの占い、その他の術もあくまで 練習用のものであり、正しい修行方法で練習すれは次第に進歩し、やがて大神からお許しが出れば初伝、中伝、奥伝の免状も霊の巻物もいただけるのであって、この許可証のいただいてない方は練習用のものである事を知っていただかなければなりません。 自己の力を過信すると筋道をはづれ大変な間違いを起し、反って大神達の足をひっぱって御神業の妨害になる事がありますから注意していただきたいものであります。この様な人にも大神は温和にやさしく注意されるので、カッカとしている方には、注意が注意の様に聞えぬかも知れませんが大神の言薬は常に細心の注意と深い反省、熟慮を以って聞いていただき度いと存じます。日常会話の中に天霊師の口をとって聞かせるのであります。天霊師の言葉は常に注意して聞いていただき度いと存じます。この様な大神達の大愛にもとづく願いや、努力を知らずして「我」を出したり、慢心を起したりして勝手な言動や無益な修行をしたり、或は尤もらしい理由をつけて、疑い怠りをしたり、一度救はれてしまえば後は次の問題が起るまで知らん顔をする人達は、全く親の心子知らずのだだっ子と同様と云えましよう。 迷霊に縛られ振り廻されぬ様心掛けて下さい。
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修行心得(その4) 第9号より
一、テストされている事を知れ。
現在の人達は信仰していると云い乍らも大神をはかりに掛けたり、試したりしている者が多い、そして浅はかな人間の知識や迷霊に支配されている頭で批判し文句を云っている様である。 天霊新報の記事に対しても●●●会のおどかしに似て来たとか、独断的で高圧的であるとか云っているのを聞きますが、この様な方々は本当に魂清浄の修行をされているのかと疑問を感じますし、新報を良く読んでいるのだろうかとも疑い度くなるのであります。
魂清浄の神法の修行は、おおらかな所もありますが、反面非常にきびしいものである所は天霊師のよく説かれる点でありますが、まさにその通りであり、大神もー人一人を常にテストされているのであります。 正神信仰は、正神との対決であり各人の霊魂と肉体に直結する正神に仕え求める修行である以上観念的な求め方だけでは判りません。本人の霊魂と肉体で修行しつかまえなくては本当に正神をつかむ事は出来ない。各人の肉体こそ各人が信頼出来る唯一の存在であり、幸福を味わい悲しみを味あうのもこの肉体であると同時に正神の御利益を味あうのも、霊感を感得するのも又いろいろの術や力を授かり発揮するのもこの肉体を通してのことであります。皆様の運命開拓の最後の切札は正に魂清浄の神法による正神信仰であり、その肉体をも安心して託すことの出来る正神は神法につながる所に居られる事を身をもって、修行する事によって確認し、つかんで頂かなければなりません。
神をためし、はかりにかけている間は大神にもテストされていると考えねばなりません。大神達にお願いしながら一方で迷霊信仰をしていて御利益が無い、悪くなった等云っている方こそおかしいのではありませんか、大神のテストに合格する毎に進歩向上し、御利益も術や力も授かるのであります。不合格の者は、テストの問題が解答出来るまでは修行させられるのであります。各人の程度によりテストの問題も方法も種々違いますが、常にテストされている事を頭に置いて自分で身を以て解答し悟る心掛けが大切であり、おかしいと思ったら何でも天霊師或は先輩を通じて大神に伺う様に心掛けることが早く解答出来る方法であります。
ひた向きに素直に仕え求めようとする者にはどの様にも大神は面倒をみて下さるのであります。修行程度を示すのに初伝、中伝、奥伝をだてに大神はつくられたのではありません。修行していろいろのテストに合格した時大神から授かるものであり、それには皆相当の玉と術や力がついているのであります。形の上の免状ではなく授かる術や力と霊格位の向上が重要な点であります。
二、貪欲の心、よこしまの心が出た時大神は去ると教えられて居ります。
大神から名を貰い術を授けられたら、それに答えて人数い霊救いに励むと同時に常に自分自身な磨かなくてはなりません。怠りが出たり、貪欲の心、よこしまの心、慢心が出れば大神から見はなされ、力が無くなることは当然であり、ましてや第二霊界え入れて貰う事も出来ないのであります。この様に巌しい面がある修行である事を知って頂き度いと存じます。
三、形だけの修行、本筋をとり違えた修行では正神につながらないし、全然進歩がない。 即ち、迷霊の昇天はない事を知られ度い。私は行を毎日やっている。何年もやっていると云う方で少しも御利益もないし、 力も出ないと云う方があったらその方は修行の仕方が おかしいのであって、本当の行になっていないのであります。天霊師なり先輩の行の出来た方に指導を仰ぐ必要があります。 迷霊を昇天させることの出来ない行は何時間、何年やっても御利益もなけれは力も出ません。どこか本筋からはづれているか、修行の仕方、心掛けが違っているのであります。形や時間の問題ではなく、大神達に通じ感応して働いて下さるか否かが重要点であります。 人間が勝手に都合良く考えた様には大神も迷霊も動か ない事をさとって頂かなければなりません。よく自分から迷霊を昇天させる努力もしないで大神様や天霊師は直に癒して呉れる事は出来ないか、御利益で助けて呉れないかと注文をつける人があり、出来なければ神や天霊師を疑う人がありますが、大事な点はまづ自分から迷霊を昇天させる修行をし努力をする事であり、其の上でお願いすれば思う様に解決して下さるものであります。 神を利用し或ははかりにかける様な気持ち又神や天霊師に頼み放しで自ら努力しない方法では仲々早く解決は出来ません。大神の方でもこれらの人をテストされているでしよう。 自らこの宿題が解けた時に始めて解決と良い結果が生れるのであって、宿題を早くとく程早く解決する事を知って頂きたいものであります
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修行心得(その五) 第10号より
「修行する場所と指導者により迷霊昇天の成果が違う」
前号にも書きましたが私は相当の行をしていると云い乍ら実際には余り修行の進歩のない人があります。 この様な人は免角身勝手な修行をして居るのであって 本当の行になっていない人であります。 既存の宗教知識や人間の智恵で正神の神々は宇宙の間何処にでも居られる筈であるから自ら正神を念じて行をすれは何処で修行しようと同じである(注;と屁理屈を言う)。
本部で修行しなさい。道場えたまには修行に来なさいと云う事を取り違えて恰も本部中心主義だ、金取り主義だなどと、飛んでもない考え方をしている人が物を知って居り屁理屈を言う人に多い様です。
実際に存在する正神の仕組みや霊界はこの様に人間の身勝手な考えや理屈の様に観念的に頭の中で考え想像する様なものではありません。迷霊に霊縛され、支配されている状態の人間が頭の中で考えている様に正神に祈願しても、その念力は正神には通じないのであります。迷霊取って後念ずれば正神にも通じるのであり、又迷霊の多い人でこの迷霊にさえぎられて念の通じない人達の為に、修行して迷霊の少い人が代って祈願してやらなければ通じない。この代って祈願出来る人が天霊師であり、行の積んだ先輩達なのであります。
修行する場所、即ち、本部なり支部道場、準道場或は皆様の家庭、仕事場なりで修行の効果は違うのであります。恰も幼児の為に幼椎園があり、小学生は小学校で中学生は中学校、大学生は大学で教育され勉強する様に先生も教材も施設もその程度のものが準備されて居り、それぞれの程度の勉学が行はれているのであって、幼稚園で大学の教育は実効が上らないのであります。観念的に勝手に私は幼稚園で大学程度の勉強をするんだとは如何に自惚れの強い人でも云はないだろうし、若しそれを強引に主張したら世間の物笑いの種にしかならない事は自明の理であります。これと同じ様に家庭でする場合、準道場でする場合、道場でする場合、本部神殿でする場合、皆それぞれに効果の程度は違うのであります。それは大神の仕組み、指導される神々の違い、修行の指導者の霊格や力の違い等によって実際に迷霊昇天の仕方が違い正神に通ずる通じ方が違うのであります。これは皆様が修行してみれば体験を通して確認出来るものであります。この点が判らない方の為に時に道場で修行しなさい、本部で修行しなさいと指導するかげには前記の様な仕組み、筋道があるからであって素直に言はれた通り修行する事が修行の効果を早くあげる方法であります。人間の知恵や既存の迷霊信仰の知識で身勝手に考えても正神や迷霊は其の様に働かない事を知って頂くことが大切であります。これが修行の本筋であり、 本筋をはづれた修行をしていて効果が上らぬと愚痴を言う様なことは止めて頂きたいと存じます。
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修行心得(その6) 第14号より
一、魂清浄の神法は離れていて祈祷によって、治すのが原則、一尺離れていても千里離れていても同じである。手で叩く場合は、大神の命によって叩くのであって、自己が意識的に叩いてはならぬ。
相手の霊の方が大きい場合、或は修行している霊だと馬鹿にして出にくい。修行の下の者が修行の積んだ者を叩いても駄目である。かえって叩かれた者が後で体が痛くて困る場合がある。
大神の命によって叩くと云う事は修行中無意識で大神がその人の体を使って自然に叩く場合の事である。
迷霊と云っても、修行した霊、大きな霊もあり、修行未熟な者が馬鹿にして掛ると大変である事知って頂き度い。
二、行をする時は無我夢中になってやる方が進歩が早い。迷霊の昇天も早いし、正神が感応する事も早い。形だけで長時間やっても雑念が入って来る様では進歩は遅い。下腹に力を入れて無我夢中で行をして頂き度い。
三、迷いが出たり、不信な事や疑問が生じたら徹底的に解明しなければ駄目だ。本来は行をすれば大神は何等かの法で悟らせて下さるが、それが出来なかったら天霊師なり先輩に伺って納得ゆくまで指導して貰って下さい。人智による浅薄な独断では正しく神につながる事は出来ない。
四、天霊新報にのっている天霊師の「教へ」及び御神示は再参再四熟読玩味して悟って頂き度い。判らなかったら天霊師、先輩の方々に聞いて修行の助けとすると共に本当に悟って頂き度い。
五、教えと修行と実生活とが一体にならなければ駄目だ。実生活の上の問題になると仲々迷ったり疑ったりする問題が多く起こって来る。それらの問題を迷わず自信を以て解決出来る人にならなくては修行している価値がない。その為の教えであり修行である。修行は修行、実生活の問題は実生活の問題とばらばらな状態では本当の修行ではない。
六、迷霊にあまりこだわるな。迷霊は昇天させれば全て解決するのであり、その為の修行である。心霊科学や低俗な占い等のように迷霊の一つや二つを追い回しても何にもならぬ。無限に多い迷霊だから、だまって修行してどんどん昇天させねば仲々解決しない。迷霊に余りこだわると修行の邪魔になる。
迷霊は修行によって昇天させれば良いのであって、昇天してしまう迷霊の事など後迄もとやかく気を遣う事は無益な事だ。
2014年1月23日
おことわり
或る奉賛会会員の方から分派がこのブログの記事を無断で転用しているような話を聞きました(分派の情報など見ない方がご自分の身の為です。君子危うきに近寄らずとも言いますね)。
このブログは、読んで頂けば分かる通り、魂清浄の神法において習ってきた極めて当たり前のことを書き留めた個人ブログに過ぎないのですが、いやはや分派ではそこまで汲々としておられたとは・・・。もしくは一般常識を知らないかのどちらかでしょう。お気の毒に。
まあ、他人のものを盗むような気色悪い人を放っておくと、異常者につきまとわれるようで気持ちが悪いという意見がありましたので 、ここでキチンと明言致します。
このブログの一切の転用、転載をキッパリお断り申し上げます。参考文献としても許可致しません。
奉賛会会員の方につきましてはこの限りではございませんが、転用されたい場合は、必ず一声かけて頂けますようにお願い致します。
但し、情報ソースの譲渡などにつきましては、過去にその内容を自分の都合の良いように読み替えて、分派している者が出ている実情がございますので、固くお断り申し上げます。
少し興味深いのは、分派の信奉者がいつか17霊界に行った時に大國主大神様にどのような言い訳をするのかという事です。これは知らなかったでは済まされないでしょう。二代目のお言葉にもございますように、死んでからでは遅すぎるように思えますが、いかがなものでしょうか。
このブログは、読んで頂けば分かる通り、魂清浄の神法において習ってきた極めて当たり前のことを書き留めた個人ブログに過ぎないのですが、いやはや分派ではそこまで汲々としておられたとは・・・。もしくは一般常識を知らないかのどちらかでしょう。お気の毒に。
まあ、他人のものを盗むような気色悪い人を放っておくと、異常者につきまとわれるようで気持ちが悪いという意見がありましたので 、ここでキチンと明言致します。
このブログの一切の転用、転載をキッパリお断り申し上げます。参考文献としても許可致しません。
奉賛会会員の方につきましてはこの限りではございませんが、転用されたい場合は、必ず一声かけて頂けますようにお願い致します。
但し、情報ソースの譲渡などにつきましては、過去にその内容を自分の都合の良いように読み替えて、分派している者が出ている実情がございますので、固くお断り申し上げます。
少し興味深いのは、分派の信奉者がいつか17霊界に行った時に大國主大神様にどのような言い訳をするのかという事です。これは知らなかったでは済まされないでしょう。二代目のお言葉にもございますように、死んでからでは遅すぎるように思えますが、いかがなものでしょうか。
魂清浄の神法において分派は禁止されており、分派に存在意義はございません。絶対に正神は降神しませんので、傍目には人救い霊救いをしているように見えても、実際には「強い霊で弱い霊を屈服させて」おります。必ずどこかに犠牲が出るのです。
分派指導者が迷霊を正神であると信じきっておりますと全く耳を貸さないと思いますが、彼らが開祖天霊師御自身から直接天霊職を引き継いでいない事は誰の目にも明白です。
信奉者お一人お一人が一度冷静になって周りに犠牲になった実例が本当にないのかを見れば、ごく自然にお分かりになることかと存じます。
霊的に弱い立場の方、特に子供達は迷霊の少ない体を持っておりますので、親が迷霊信仰(分派含む)をしますと子供に迷霊達がどんどん入り、迷霊の巣のような状態になってしまいます。ご自分の子供に怪我や病気が多い、身体障害、精神障害が出る等、正常とは言えない症状が出るようになったら危険です。周りを体裁している場合ではありません。奉賛会会員の中にもご自分の子供に障害の兆候を見てすぐに分派の害を看破して離れた方もおられます。母親の面目躍如たるものがありますね。
家族内で同じ信仰をしていない方が病気になるような事も「迷霊の影響だ」などと他人事するのではなく、御自身の信仰に問題がないのかを疑わなくてはなりません。ご自分の信仰によりご家族親族に悪影響が出ていないのかをシビアに見ていく責任がございます。魂清浄で教えている「総体的に見る」という事です。
霊の事というのは本当に危険であり決して遊びではございません。場合によっては命に関わります。自分とご家族ご親族の人生が大きく左右される事になるので真剣かつ冷静に考える事が必要なのです。
二代目天霊師の元で大國主大神様にお仕えすると一日千日の行、一人千人の行となり家族親族まで好影響が出ますが、もし間違った道に入りますと、自分自身のみならず家族親族,果ては子孫の体にも迷霊を注ぎ込んでしまう事となり、家系に対し霊的に大きな迷惑をかけてしまう事になります。
これについて誰も責任など取ってはくれません。あくまでもご自分の判断にかかっているからこそ、冷静に考える必要があるのです。
分派指導者が迷霊を正神であると信じきっておりますと全く耳を貸さないと思いますが、彼らが開祖天霊師御自身から直接天霊職を引き継いでいない事は誰の目にも明白です。
信奉者お一人お一人が一度冷静になって周りに犠牲になった実例が本当にないのかを見れば、ごく自然にお分かりになることかと存じます。
霊的に弱い立場の方、特に子供達は迷霊の少ない体を持っておりますので、親が迷霊信仰(分派含む)をしますと子供に迷霊達がどんどん入り、迷霊の巣のような状態になってしまいます。ご自分の子供に怪我や病気が多い、身体障害、精神障害が出る等、正常とは言えない症状が出るようになったら危険です。周りを体裁している場合ではありません。奉賛会会員の中にもご自分の子供に障害の兆候を見てすぐに分派の害を看破して離れた方もおられます。母親の面目躍如たるものがありますね。
家族内で同じ信仰をしていない方が病気になるような事も「迷霊の影響だ」などと他人事するのではなく、御自身の信仰に問題がないのかを疑わなくてはなりません。ご自分の信仰によりご家族親族に悪影響が出ていないのかをシビアに見ていく責任がございます。魂清浄で教えている「総体的に見る」という事です。
霊の事というのは本当に危険であり決して遊びではございません。場合によっては命に関わります。自分とご家族ご親族の人生が大きく左右される事になるので真剣かつ冷静に考える事が必要なのです。
二代目天霊師の元で大國主大神様にお仕えすると一日千日の行、一人千人の行となり家族親族まで好影響が出ますが、もし間違った道に入りますと、自分自身のみならず家族親族,果ては子孫の体にも迷霊を注ぎ込んでしまう事となり、家系に対し霊的に大きな迷惑をかけてしまう事になります。
これについて誰も責任など取ってはくれません。あくまでもご自分の判断にかかっているからこそ、冷静に考える必要があるのです。
2014年1月18日
信仰
魂清浄の神法は大國主大神様にお仕えする「信仰」であります。
開祖天霊師は「魂清浄の神法はあらゆる宗教の頂点である」と宣言されておられます。
昨今、「信仰、宗教」という言葉を使いますと、なかなか人が集まらないというような思惑が手伝ってか、「新しい霊的なシステム」「霊的な医術」などというような信仰という面を切り離した説明をする方がおられるようですが、これでは魂清浄の神法において最も重要な「大國主大神様への信仰」という事が希薄となり、本末転倒となる恐れがございますので、余程注意が必要です。
繰り返しとなりますが、天霊神霊研究所は病気治しの病院ではなく、あくまでも目には見えない「大神を教えるところ」「大神に仕えるところ」であります。
人は何故「信仰」するのか? それについて開祖天霊師は「不安を解消して頂くためである」と極めて明快にお答えになられています。
自分自身の体内の迷霊が少なくなれば、目の前の問題についても、大神様の御導きが分かるようになり、そのため自分の迷いがなくなり、迷いがなくなれば不安もなくなる、と仰っておられます。
実際に天霊神霊研究所の二代目天霊師の元で地道に行を続けてまいりますと、日常生活の中で不安になる事、心配する事が少なくなっているという声がよく聞かれます。大神様にすがったり頼ったりするような心持ちではなく、気がついてみるとそのように穏やかで平静な心持ちになっていくようです。そのため不安から慌てて行動をとったり、焦りや恐怖心からガツガツするようことが少なくなってまいります。こういう状態が続いていることを「毎日が正月」と言うのでしょう。不安の多い時代の中ではこれが ”何より” なのではないでしょうか。
<開祖天霊師の講義録より抜粋>
信仰とは私たちの不安から解消していただくのが全てです。私たちが信仰する、大神様に従って行く、こういう事は日常の不安から解消して頂く為に信仰をなさるわけなんです。よろしいですか。それには不安から解消するために信仰はあるわけですから、皆さん方、迷ってはいけない。魂清浄を一生懸命唱えて頂きますと必ず大神が皆さん方の後についておる。「あっこれはこういう風にしなさい」「こうするとそれ以上儲かるぞ」あるいは「お前はこうすると損があるからこういう事をなさるな」。常に大神が皆さん方を見ていて頂きます。それはまあ人間、罪の子ですから・・確かに時には自由にはさしてくださいます。他に迷惑をかけない事ならどんなことをやってもいいと言うんだから、(自由には)さしてくれますけどポイントだけは大神が焦点を絶対に狂わせないようにしてあるのが魂清浄の神法でございます。よろしいですね、これを忘れちゃだめなんですよ。
それには自分自身の体の迷霊を少なくするという事です。迷霊を少なくするということは自分本来の姿になれば大神様の仰る事がすぐ分かるわけです。ね。ツーって言えばカー。だから迷わなくてよい。迷わなくてよければ不安がないと、こういうことなんです。よろしいですね。
開祖天霊師は「魂清浄の神法はあらゆる宗教の頂点である」と宣言されておられます。
昨今、「信仰、宗教」という言葉を使いますと、なかなか人が集まらないというような思惑が手伝ってか、「新しい霊的なシステム」「霊的な医術」などというような信仰という面を切り離した説明をする方がおられるようですが、これでは魂清浄の神法において最も重要な「大國主大神様への信仰」という事が希薄となり、本末転倒となる恐れがございますので、余程注意が必要です。
繰り返しとなりますが、天霊神霊研究所は病気治しの病院ではなく、あくまでも目には見えない「大神を教えるところ」「大神に仕えるところ」であります。
人は何故「信仰」するのか? それについて開祖天霊師は「不安を解消して頂くためである」と極めて明快にお答えになられています。
自分自身の体内の迷霊が少なくなれば、目の前の問題についても、大神様の御導きが分かるようになり、そのため自分の迷いがなくなり、迷いがなくなれば不安もなくなる、と仰っておられます。
実際に天霊神霊研究所の二代目天霊師の元で地道に行を続けてまいりますと、日常生活の中で不安になる事、心配する事が少なくなっているという声がよく聞かれます。大神様にすがったり頼ったりするような心持ちではなく、気がついてみるとそのように穏やかで平静な心持ちになっていくようです。そのため不安から慌てて行動をとったり、焦りや恐怖心からガツガツするようことが少なくなってまいります。こういう状態が続いていることを「毎日が正月」と言うのでしょう。不安の多い時代の中ではこれが ”何より” なのではないでしょうか。
<開祖天霊師の講義録より抜粋>
信仰とは私たちの不安から解消していただくのが全てです。私たちが信仰する、大神様に従って行く、こういう事は日常の不安から解消して頂く為に信仰をなさるわけなんです。よろしいですか。それには不安から解消するために信仰はあるわけですから、皆さん方、迷ってはいけない。魂清浄を一生懸命唱えて頂きますと必ず大神が皆さん方の後についておる。「あっこれはこういう風にしなさい」「こうするとそれ以上儲かるぞ」あるいは「お前はこうすると損があるからこういう事をなさるな」。常に大神が皆さん方を見ていて頂きます。それはまあ人間、罪の子ですから・・確かに時には自由にはさしてくださいます。他に迷惑をかけない事ならどんなことをやってもいいと言うんだから、(自由には)さしてくれますけどポイントだけは大神が焦点を絶対に狂わせないようにしてあるのが魂清浄の神法でございます。よろしいですね、これを忘れちゃだめなんですよ。
それには自分自身の体の迷霊を少なくするという事です。迷霊を少なくするということは自分本来の姿になれば大神様の仰る事がすぐ分かるわけです。ね。ツーって言えばカー。だから迷わなくてよい。迷わなくてよければ不安がないと、こういうことなんです。よろしいですね。
2014年1月10日
二代目天霊師の祈願祝詞
二代目天霊師(遠藤 守先生)は現職の天霊師(職)です。
天霊師がよまれる祝詞は真っ直ぐ素直な響きを持ち、その祝詞をそばで聞いておりますと、自らも童心に返ったかのような心地が致します。これも師のお人柄故でしょうか。
以下は現職である二代目天霊師の祈願祝詞の録音です。録音状態が悪く大変申し訳ございませんが、これも貴重な記録と思いますので添付させて頂きます。
どうしても開祖天霊師の事ばかりに集中してしまう方が多いようですが、
「現職の二代目天霊師が、今日現在の魂清浄の頂点である」事を再認識して頂きたく存じます。
二代目天霊師を通じてはじめて大國主大神様に通じるという事を自らの行を通じてご理解・ご体験頂きたいです。
天霊師がよまれる祝詞は真っ直ぐ素直な響きを持ち、その祝詞をそばで聞いておりますと、自らも童心に返ったかのような心地が致します。これも師のお人柄故でしょうか。
以下は現職である二代目天霊師の祈願祝詞の録音です。録音状態が悪く大変申し訳ございませんが、これも貴重な記録と思いますので添付させて頂きます。
どうしても開祖天霊師の事ばかりに集中してしまう方が多いようですが、
「現職の二代目天霊師が、今日現在の魂清浄の頂点である」事を再認識して頂きたく存じます。
二代目天霊師を通じてはじめて大國主大神様に通じるという事を自らの行を通じてご理解・ご体験頂きたいです。
2014年1月8日
睦月の御祭り
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