[記録] 二代目天霊師襲名の経緯

現在の二代目天霊師が、開祖・丸山天霊師から神格位第一位である天霊職を継承されたことはお話ししましたが、先代がお亡くなりになってから長きに渡り、一般には公表されておりませんでした。そのため、その発表当時(今から10年前)は大きな驚きを持って迎えられたものです。その当時を記録する意味で記載しておきます。機関誌により公告された内容でもあり有名な話ではありますが、中にはご存知でない方もおられると思いますので、是非ご一読頂きたいと思います。(関連記事

1.先代天霊師から二代目への天霊職継承
宗祖である開祖天霊師のご生前、昇天される二年前の講習会の夜に、お名前の付いていない陰神の大神様が先代をお迎えに来られたそうです(これは死を意味します)。その時に開祖天霊師は『いま、私がいなくなっては魂清浄の神法が無くなってしまうから、あと二年の猶予を頂きたい。』とご祈願され、その陰神の大神様はそのまま神界にお戻りになったという事です。それから昇天されるまでの二年間、先代天霊師は魂清浄の神法が地球上から絶やされる事が無い様一心にお働きになり、当時の愛弟子であった遠藤守霊師への天霊職襲名(二代目天霊師になる)が実現される事になりました。これは1974年2月10日の事です。このご遺言については、開祖天霊師のご兄弟と開祖の娘さん達にはご承知の上の事でした(現在も開祖の次女の育子様御自身がこの証人であると明言されておられます)。

この当時の状況について二代目天霊師は、
「第二の天霊を引き受ける自信は自分には無いが、病床の中で先生(開祖天霊師)が『これで私も陰神がいつお迎えに来られても安心して霊界に行ける』と仰られた先生の言葉に自分は善い事をしたんだという思いだけでした」と当時を振り返って語っておられます。
また、『何かの時に必要があるかもしれないからと、後日、開祖天霊師が守霊師に第二の天霊襲名の証を書き残された』ということです。
そして、二代目天霊師が開祖からの天霊職襲名のご依頼を了承されたおりに、開祖は二代目に対して、『皆驚くだろうな(開祖丸山天霊師が、守霊師を二代目天霊師にすると決めた事について)。守霊さん、よーく観察するんだぞ。人間は嘘と欲の塊だからな』と仰ったそうです。開祖天霊師はご自身が昇天した後に、弟子の誰がどのような行動をとるのかを全てお見通しになっておられたのでしょう。2012年現在、その開祖のお言葉が当たっていたとしか言いようの無い状態になっているように思えます。

その後、二代目天霊師は以下のご挨拶にもあります通り、開祖昇天後に先代の兄上である兄霊師に相談され、天霊神霊研究所は当面、集団指導制を採ることになりました。その後、開祖の弟子の内、数名の方が禁じられていた分派活動を実行してしまい、中には自分が天霊職襲名したなどと騙り始める方まで出てくるようになりました。「船頭多くして船山に上る」とでも言いたくなるような有様となり、これではならないと二代目天霊師は公表に踏み切られたといういきさつがあります。
(他所で二代目、三代目、四代目・・・等と吹聴する者については開祖天霊師が創立された天霊神霊研究所とは一切の関わりはございません。くれぐれもお間違えのないようご注意ください)

この発表当時に山梨県笛吹市石和町唐柏にあった天霊神霊研究所にて正式に二代目天霊師であると認められて、機関誌である天霊新報をもって公表されました。それから数年間は二代目天霊師を中心に活動されていましたが、その後、この道場の役員数名が「多数決」をもって二代目天霊師を否決しようとした経緯があります。そのため二代目天霊師は唐柏を去り、二代目天霊師が開祖天霊師から継承されたご神体も唐柏から移動致しました。そして開祖天霊師と同様に甲府市中央にあるご自分の家を道場として解放され、月々の祭式を行うようになり現在に至ります。
今では開祖の娘さんである育子さんを始め、お祭りの日などは道場に入りきれないほど多くの奉賛会会員の方が参加され賑わっております。
実は開祖天霊師ご自身が、わざわざこの「多数決の害」について何度も語っておられるのですが、事前にこのような場面(多数決で二代目天霊師を否定する)を想定されていたとしか思えません。そのような開祖のお心を汲み取る事が出来ない弟子の方々がおられたという事は本当に残念な事でした。しかし、現在も開祖天霊師も大神様として見守っておられますので、遠からず一人一人の方がご理解出来る日が訪れることでしょう。

上記の通り、二代目天霊師(遠藤 守先生)が、天霊職を襲名している事に疑問の余地はございません。そのため、もし現在も二代目天霊師につながる事無く魂清浄を唱えている方がおられるようでしたら、それは開祖天霊師が仰った「(魂清浄の神法の)三位一体」が崩れた状態であり、いくら魂清浄を唱えても迷霊の17霊界への昇天は不可能です(ご本人にはまるで本当に昇天しているかのように感じさせられているのでしょうが・・・)。大國主大神様がこれをお許しになりません。このような状態は本物の魂清浄の神法とは言えず、現実に魂清浄の神法の本来のお力を発揮する事は出来ないということに早くお気づき頂きたいと思います。人間の理屈や勝手な解釈、ご都合によって大神様が動かれる事は無いという事です。現在、二代目天霊師(天霊職)なくして魂清浄の神法はあり得ません。また当たり前の事ですが、人間側で勝手に二代目天霊師を否定する事も出来ません。それは人間が決めた事ではなく、大神様方がお決めになられた事だからです。
奉賛会会員の一人として一度は正しい内容をお伝えする義務があると思い、ここに記載させて頂きました。これは先代から伝えられている事をそのまま申し上げているだけであり、他意はございませんので、あとはお一人お一人のご判断にお任せいたします。


2.二代目天霊師 襲名のご挨拶 2002年10月8日
昭和三十五年頃と思います。清水様(繁霊師)より紹介され天霊神霊研究所を知り、四十二年になります。昭和四十九年二月十日 初代天霊師より二代目天霊を任命されますが、初代天霊師が偉大な方すぎ、自信がなくまた、信者様達の分離分散を恐れ、その他、私事になりますが商売も多忙で、また使用人等の生活の責任もあり、初代天霊師の実兄丸山勇様に相談、集団指導体制に譲るが、初代天霊師との約束を果たすため、七十歳にして家業を廃業、修行七年、最近修行の成果を見るが、高齢ゆえ余命も少なくなり、最後のご奉仕と思い、二代目「天霊」の襲名を発表する次第です。今後皆様方の願い事やその他、相談事等をお聞きし、大神様方に取り次ぎの役をお受け致します。大いに利用して頂きたく、上記隠さず繕わず記しました。足腰立つ限り続ける覚悟です。
二代目天霊 記    

二代目天霊師