開祖天霊師生存中の天霊新報に「修行心得」という題で何度か記事が投稿されております。これらの内容は魂清浄の神法の基礎ですので記録のため抜粋致します。
(当時の内容を旧仮名遣いの箇所も一部の誤記もそのまま抜粋致します)
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修行心得(その1) 創刊号より
一、行と云うものは、自分自身の人格の完成の為にするものである。
人格の完成とは自分自身を総体的を考へ行動する事である。(独りよがりでは駄目)
燃も、其の働き行動が自然に何時でも正しく、無駄のない働き行動となる事を会得する事である。(一九七〇、一二、二四御神示)
二、頭を魂清浄一本にしてかかれ。
修行の成果を早くあげる為には、頭の中を一本にしてかかれと大神は教へられている。既存の宗教知職体験学問が頭の中で大事にされている内はそれだけ既存の迷霊に占領されている訳でありますから、体内から離れ昇天するのが遅くなります。中にはそれを良い事に仲々離れようとしないからであります。疑ひ怠りは勿論進歩の邪魔ですが、疑ひ怠りと云はないまでも、今までの教へや知織を整理する事は仲々むづかしい事でありますが、無益なものは早く整理される方が近道です。体内の迷霊が減少すれば自ら悟る事も早いし、大神達の教え導いて下さる事を早く聞く事が出来るからであります。自分の体で体験し、聞くことが一番確かな事であります。
三、のりとをあげる時は無心になれ。
魂清浄ののりとをあげるのは何時でも何処ででも良いのであって、のりとをあげさえすれば迷霊はどんどん昇天して行き体も魂もきれいになる訳ですが、その時は無心になってあげる方が進歩は早いのであります。邪念がちらちらする様ではそれだけ迷霊に邪魔されているので成果が少いと云へます。無心になってのりとがあげられる時間の長い程行が積んだ人であります。
四、夫婦は車の両輪.揃って修行することが近道。
大神は良く夫婦は、車の両輪の様なもので揃って信仰修行する事が大切で進歩も速い。又、御守護も多いと数へられています。片方ですとどうしても進歩が遅く、悪くすると一ケ所を堂々めぐりする様な形になると申されて居ります。
五、子供は両親の行によつて速く救はれる。
子供は二十五才迄は霊的には親の責任があると数へられて居ります。故に子供の事で御願ひする時は、本人は勿論ですが親達が修行されると早く解快します。二十六才以上の方は独立の人間となりますから、親に関係なく本人だけの修行で成果が上ります。
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修行心得(その2) 第6号より
一、天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではない。正神の実在を教へ正神に結はせる所であります。霊の諸問題を解明しその解決処理法を教へるところであります。
二、イボーつ取って貰っても、すべての病が癒して貰えることを悟って貰い度いし、その原因をなす霊障とその解決処理法及正神のお働を悟って貰い度い。
三、体験を通して確認し悟ることであり、更に奥の奥まで行をして体験確認を積み重ねて貰い度い。
四、救はれてしまえばそれ迄、後は何もしない人には、再度大神は愛の手を伸ばして下さらない。
五、疑い怠りがあっては駄目。
六、迷霊に足を止められるな。
七、大神や、 天霊師にお願いしてあるからと云って自ら日常魂清浄を唱えない様では駄目、それでいて御利益が無いと云っている様な人は救い様のない人、落第生である。
八、修行は日常生活の場で行うべきものである。修行を毎日短時間でもすると共に、職業、商売でも研究でも、それぞれの道に真剣に努力すれば大神は必ず素晴らしい事を導き数へて下さる。実生活と密着した行が大切である。
九、修行中の種々の変化は向上への過程の為の現象であり心配はいらない。人間が創造された当初の自然の姿に還る為の現象である。
十、神の道は非常に厳しいが、反面又非常におおらかな所もある。筋を通すことには非常に厳しいものである。 筋とは、神の教へに反論したり、順序、順位をとりちがえて人間が神の上に立って神を使用しようとしたりする様な筋道、神理に反する様なことであり、既存宗教の戒律だとか教条主義的作法習慣等必要ありません。暑ければ、裸で修行しても神前へ出ても差支えないのであります。
十一、 行は毎日家庭では十 五分前後、真剣に無心に行うこと。長時間修行したい時は、必ず道場へ来てやること。
十二、修行は外聞や体裁を考えたり、恥しいと思ったら駄目である。
十三、普段何も無い時から修行しておくのが正しい。困った時の神だのみでは一歩手遅れ。
十四、誠を以って心からお願いしなければ通じない。大神は見抜き見通しで絶対嘘はつけないし、ごまかされない。
十五、正神信仰の極意
イ)正神に祈願して約束して貰う事である。正神は祈願のない所には何も働いて下さらぬ。祈願により働いて下さるし約束して貰えれば、どんな事でも実現して下さる。大欲をかいて何んでもお願いすることである。
ロ)体内の迷霊を昇天させ迷霊が少くなれば正神との直接対話が出来る。
ハ)体を使って体験確認すること。
ニ)人の言葉、いろいろの現象、自分の体の変化等常に注意観察して神の導きを悟ること。
ハ)正神は人智を越えて必ず先々の手を打って置いて下さる。二~三年後に実現する事もあるからこれを注意して悟ること。
へ)要は絶対の信と真剣無心の行をすることである。
十六、大神の指示は必ずその通り実行すること。人智を働かせて判断すると間違う。
十七、月一回の例祭には、必ず参加すること。
※どんなに忙がしくとも自分が幸福になるために…。
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修行心得(その3) 第7号より
一、前号にも書いた通り、魂清浄の神法は日常の実生活と一体のものでありま す。
修行は魂清浄の祈言をあげて行をするばかりが行ではなくて、職業上の仕事に専心している時も休んでいる時も寝ている時も日常生活、全体が行であり、大神達は常に各人各家にまつわる迷霊達を昇天させ常に皆様を監督守護されているのであります。
と、同時に善い方え善い方えと指導されているのであり、熱心に仕事をしている時によいヒントを直観として与えて下さるし、少し位の体の調子の悪いのは押へて下さって痛みも体のだるいのも取って下さるのであります。
のりとをあげる行も結構ですが、それだけでは仲々進歩しませんし、働かなければ生活も成り立たないのであって、自分の生活が成りたたなくて、修行しても大神は仲々、力もさづけては下されないし、進歩もしません。従来の迷霊信仰では何もかもすて修行せよと教えましたが、これは迷霊が人間共を破滅に導く為に人間共を振り廻したのであります。この様な馬鹿な心得は捨てなければなりません。反面仕事仕事と追い廻されて大神達と離れてしまっても又迷霊達に自由に振り廻されてしまいます。ですから、一日に一回位は五分から十五分位「のりと」をあげ、後は仕事中に或は歩きながらでも「のりと」をあげ、月に一回の御祭りと修行の日には必ず参加される様にして、常に正神とつながりを保つ様心掛けて頂きたいものであります。
二、「我」を出して如何に修行しても駄目である。
兎角人間は何事によらず少し判って来ると「我」が出るものであります。90%位を迷霊に占領されている頭脳で考えて「我」を出すことは迷霊に自由に振り廻されてしまいます。ところが「我」の出ている人はこの間違いが自分で判らないので仕末に困るのであります。「我」が出て本筋をはづれては、如何に努力修行している様でも、あくまでも迷霊に支配されている迷霊の修行ですから、やればやる程正神から離れてしまいます。この様な無駄な努力はしないし、時間の空費をしないことが望ましいのであって 少しおかしいなと思ったら 天霊師なり、行を積んだ先輩の指導を受ける事が大切であります。 最近、とんでもない筋違いの修行を勝手にしている人も出て来ましたが、この様な時は始めに戻って修行し直して頂く事が肝要であります。 迷霊にあやつられない様特に注意していただきます。
三、疑い怠りがあってはなりません。
前にも話した通り、人間は 兎角、すぐに自分の考えで神や霊界の事を押しはかりたいものであります。 自分に都合の良い点は判りますが都合の悪い事は何とか、かんとか理由をつけて自分の考えている通りやり度いものであります。修行に於ても同様で、やり度くない事、都合悪い事は正当らしい理由をつけて怠り、 或は疑うものであります。 神界、霊界の事は普通の人には見えないし、聞えないので猶更自由勝手に決めて掛り易いものでありますが実在の世界はその様に各人に都合良くは出来て居りません。各人が都合良く神を使い霊界を支配は出来ません。そこには厳然として筋道があり、法則があるのであってその筋道をふみ、法則に従って行くより外に方法はないのであります。 少し位の修行で神霊の世界の入口に立った位で慢心を起したり、疑い怠りを行っていては広く深い神霊の世界は全然判らないし、正神の導きも御守護もいただく事は出来ません。また、折角授かった「術や力も」取り上げられてしまうのであります。
常に天霊師を通して正神につながっている修行が大切であります。「我」を出したり、迷霊信仰の知識を捨てる事が出来ないで固執して疑い怠りをしたり、少し位の修行で慢心を起して、素直な気持になれない人はそれだけ迷霊に繰られ、振り廻されている事を知らなければなりません。 大神様から見れば、現在の人間は全く箸にも棒にもかからない様な状態であります。この中から大革命の魂清浄の神法につながる殊勝な心掛けの人達は何んとしても救い育て上げ度いと念願されて居られるでしよう。時には種々の方法で試めしてみたりして一人前の人間に導き育てて下さっているのであります。
ですから、修行半ばで授かる霊媒能力、重い軽いの占い、その他の術もあくまで 練習用のものであり、正しい修行方法で練習すれは次第に進歩し、やがて大神からお許しが出れば初伝、中伝、奥伝の免状も霊の巻物もいただけるのであって、この許可証のいただいてない方は練習用のものである事を知っていただかなければなりません。 自己の力を過信すると筋道をはづれ大変な間違いを起し、反って大神達の足をひっぱって御神業の妨害になる事がありますから注意していただきたいものであります。この様な人にも大神は温和にやさしく注意されるので、カッカとしている方には、注意が注意の様に聞えぬかも知れませんが大神の言薬は常に細心の注意と深い反省、熟慮を以って聞いていただき度いと存じます。日常会話の中に天霊師の口をとって聞かせるのであります。天霊師の言葉は常に注意して聞いていただき度いと存じます。この様な大神達の大愛にもとづく願いや、努力を知らずして「我」を出したり、慢心を起したりして勝手な言動や無益な修行をしたり、或は尤もらしい理由をつけて、疑い怠りをしたり、一度救はれてしまえば後は次の問題が起るまで知らん顔をする人達は、全く親の心子知らずのだだっ子と同様と云えましよう。 迷霊に縛られ振り廻されぬ様心掛けて下さい。
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修行心得(その4) 第9号より
一、テストされている事を知れ。
現在の人達は信仰していると云い乍らも大神をはかりに掛けたり、試したりしている者が多い、そして浅はかな人間の知識や迷霊に支配されている頭で批判し文句を云っている様である。 天霊新報の記事に対しても●●●会のおどかしに似て来たとか、独断的で高圧的であるとか云っているのを聞きますが、この様な方々は本当に魂清浄の修行をされているのかと疑問を感じますし、新報を良く読んでいるのだろうかとも疑い度くなるのであります。
魂清浄の神法の修行は、おおらかな所もありますが、反面非常にきびしいものである所は天霊師のよく説かれる点でありますが、まさにその通りであり、大神もー人一人を常にテストされているのであります。 正神信仰は、正神との対決であり各人の霊魂と肉体に直結する正神に仕え求める修行である以上観念的な求め方だけでは判りません。本人の霊魂と肉体で修行しつかまえなくては本当に正神をつかむ事は出来ない。各人の肉体こそ各人が信頼出来る唯一の存在であり、幸福を味わい悲しみを味あうのもこの肉体であると同時に正神の御利益を味あうのも、霊感を感得するのも又いろいろの術や力を授かり発揮するのもこの肉体を通してのことであります。皆様の運命開拓の最後の切札は正に魂清浄の神法による正神信仰であり、その肉体をも安心して託すことの出来る正神は神法につながる所に居られる事を身をもって、修行する事によって確認し、つかんで頂かなければなりません。
神をためし、はかりにかけている間は大神にもテストされていると考えねばなりません。大神達にお願いしながら一方で迷霊信仰をしていて御利益が無い、悪くなった等云っている方こそおかしいのではありませんか、大神のテストに合格する毎に進歩向上し、御利益も術や力も授かるのであります。不合格の者は、テストの問題が解答出来るまでは修行させられるのであります。各人の程度によりテストの問題も方法も種々違いますが、常にテストされている事を頭に置いて自分で身を以て解答し悟る心掛けが大切であり、おかしいと思ったら何でも天霊師或は先輩を通じて大神に伺う様に心掛けることが早く解答出来る方法であります。
ひた向きに素直に仕え求めようとする者にはどの様にも大神は面倒をみて下さるのであります。修行程度を示すのに初伝、中伝、奥伝をだてに大神はつくられたのではありません。修行していろいろのテストに合格した時大神から授かるものであり、それには皆相当の玉と術や力がついているのであります。形の上の免状ではなく授かる術や力と霊格位の向上が重要な点であります。
二、貪欲の心、よこしまの心が出た時大神は去ると教えられて居ります。
大神から名を貰い術を授けられたら、それに答えて人数い霊救いに励むと同時に常に自分自身な磨かなくてはなりません。怠りが出たり、貪欲の心、よこしまの心、慢心が出れば大神から見はなされ、力が無くなることは当然であり、ましてや第二霊界え入れて貰う事も出来ないのであります。この様に巌しい面がある修行である事を知って頂き度いと存じます。
三、形だけの修行、本筋をとり違えた修行では正神につながらないし、全然進歩がない。 即ち、迷霊の昇天はない事を知られ度い。私は行を毎日やっている。何年もやっていると云う方で少しも御利益もないし、 力も出ないと云う方があったらその方は修行の仕方が おかしいのであって、本当の行になっていないのであります。天霊師なり先輩の行の出来た方に指導を仰ぐ必要があります。 迷霊を昇天させることの出来ない行は何時間、何年やっても御利益もなけれは力も出ません。どこか本筋からはづれているか、修行の仕方、心掛けが違っているのであります。形や時間の問題ではなく、大神達に通じ感応して働いて下さるか否かが重要点であります。 人間が勝手に都合良く考えた様には大神も迷霊も動か ない事をさとって頂かなければなりません。よく自分から迷霊を昇天させる努力もしないで大神様や天霊師は直に癒して呉れる事は出来ないか、御利益で助けて呉れないかと注文をつける人があり、出来なければ神や天霊師を疑う人がありますが、大事な点はまづ自分から迷霊を昇天させる修行をし努力をする事であり、其の上でお願いすれば思う様に解決して下さるものであります。 神を利用し或ははかりにかける様な気持ち又神や天霊師に頼み放しで自ら努力しない方法では仲々早く解決は出来ません。大神の方でもこれらの人をテストされているでしよう。 自らこの宿題が解けた時に始めて解決と良い結果が生れるのであって、宿題を早くとく程早く解決する事を知って頂きたいものであります
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修行心得(その五) 第10号より
「修行する場所と指導者により迷霊昇天の成果が違う」
前号にも書きましたが私は相当の行をしていると云い乍ら実際には余り修行の進歩のない人があります。 この様な人は免角身勝手な修行をして居るのであって 本当の行になっていない人であります。 既存の宗教知識や人間の智恵で正神の神々は宇宙の間何処にでも居られる筈であるから自ら正神を念じて行をすれは何処で修行しようと同じである(注;と屁理屈を言う)。
本部で修行しなさい。道場えたまには修行に来なさいと云う事を取り違えて恰も本部中心主義だ、金取り主義だなどと、飛んでもない考え方をしている人が物を知って居り屁理屈を言う人に多い様です。
実際に存在する正神の仕組みや霊界はこの様に人間の身勝手な考えや理屈の様に観念的に頭の中で考え想像する様なものではありません。迷霊に霊縛され、支配されている状態の人間が頭の中で考えている様に正神に祈願しても、その念力は正神には通じないのであります。迷霊取って後念ずれば正神にも通じるのであり、又迷霊の多い人でこの迷霊にさえぎられて念の通じない人達の為に、修行して迷霊の少い人が代って祈願してやらなければ通じない。この代って祈願出来る人が天霊師であり、行の積んだ先輩達なのであります。
修行する場所、即ち、本部なり支部道場、準道場或は皆様の家庭、仕事場なりで修行の効果は違うのであります。恰も幼児の為に幼椎園があり、小学生は小学校で中学生は中学校、大学生は大学で教育され勉強する様に先生も教材も施設もその程度のものが準備されて居り、それぞれの程度の勉学が行はれているのであって、幼稚園で大学の教育は実効が上らないのであります。観念的に勝手に私は幼稚園で大学程度の勉強をするんだとは如何に自惚れの強い人でも云はないだろうし、若しそれを強引に主張したら世間の物笑いの種にしかならない事は自明の理であります。これと同じ様に家庭でする場合、準道場でする場合、道場でする場合、本部神殿でする場合、皆それぞれに効果の程度は違うのであります。それは大神の仕組み、指導される神々の違い、修行の指導者の霊格や力の違い等によって実際に迷霊昇天の仕方が違い正神に通ずる通じ方が違うのであります。これは皆様が修行してみれば体験を通して確認出来るものであります。この点が判らない方の為に時に道場で修行しなさい、本部で修行しなさいと指導するかげには前記の様な仕組み、筋道があるからであって素直に言はれた通り修行する事が修行の効果を早くあげる方法であります。人間の知恵や既存の迷霊信仰の知識で身勝手に考えても正神や迷霊は其の様に働かない事を知って頂くことが大切であります。これが修行の本筋であり、 本筋をはづれた修行をしていて効果が上らぬと愚痴を言う様なことは止めて頂きたいと存じます。
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修行心得(その6) 第14号より
一、魂清浄の神法は離れていて祈祷によって、治すのが原則、一尺離れていても千里離れていても同じである。手で叩く場合は、大神の命によって叩くのであって、自己が意識的に叩いてはならぬ。
相手の霊の方が大きい場合、或は修行している霊だと馬鹿にして出にくい。修行の下の者が修行の積んだ者を叩いても駄目である。かえって叩かれた者が後で体が痛くて困る場合がある。
大神の命によって叩くと云う事は修行中無意識で大神がその人の体を使って自然に叩く場合の事である。
迷霊と云っても、修行した霊、大きな霊もあり、修行未熟な者が馬鹿にして掛ると大変である事知って頂き度い。
二、行をする時は無我夢中になってやる方が進歩が早い。迷霊の昇天も早いし、正神が感応する事も早い。形だけで長時間やっても雑念が入って来る様では進歩は遅い。下腹に力を入れて無我夢中で行をして頂き度い。
三、迷いが出たり、不信な事や疑問が生じたら徹底的に解明しなければ駄目だ。本来は行をすれば大神は何等かの法で悟らせて下さるが、それが出来なかったら天霊師なり先輩に伺って納得ゆくまで指導して貰って下さい。人智による浅薄な独断では正しく神につながる事は出来ない。
四、天霊新報にのっている天霊師の「教へ」及び御神示は再参再四熟読玩味して悟って頂き度い。判らなかったら天霊師、先輩の方々に聞いて修行の助けとすると共に本当に悟って頂き度い。
五、教えと修行と実生活とが一体にならなければ駄目だ。実生活の上の問題になると仲々迷ったり疑ったりする問題が多く起こって来る。それらの問題を迷わず自信を以て解決出来る人にならなくては修行している価値がない。その為の教えであり修行である。修行は修行、実生活の問題は実生活の問題とばらばらな状態では本当の修行ではない。
六、迷霊にあまりこだわるな。迷霊は昇天させれば全て解決するのであり、その為の修行である。心霊科学や低俗な占い等のように迷霊の一つや二つを追い回しても何にもならぬ。無限に多い迷霊だから、だまって修行してどんどん昇天させねば仲々解決しない。迷霊に余りこだわると修行の邪魔になる。
迷霊は修行によって昇天させれば良いのであって、昇天してしまう迷霊の事など後迄もとやかく気を遣う事は無益な事だ。