2013年11月26日

一日千日の行

開祖天霊師の講義の中で何回かお話しされている体験談があります。それは開祖が静岡県の知り合いの所に出かけた際に、たまたま出会った静岡県一番の行者と言われる方から試合を挑まれた時のものです。その行者は××宗総本山の有名な△△山で37年間も滝行をされた方で、霊的にはその滝に関係する大きな蛇霊を使役する行者でした。
以下開祖ご自身の講義からの抜粋(口語のために理解し難い箇所には注釈を加えます)。


<開祖天霊師講義録より抜粋>
(行者が使役する)大きな蛇(霊)がね、火を吐く様、舌が火を吐いてる様です。(だからその相手をしている)私も大変なんです。それから(私が)「ヤーッ」て一発やったわけです。そうしたらこの人達(見物者達)がみんなガタガタ、ガタガタンとびっくりして逃げちゃったわけなんです。異様な力が・・これは行者の命取りの試合ですよ。だからもう妖気満々なんですね。そうするとですね(今度は)、こう出て来た(蛇霊の)頭のこう大きなやつが腹を出して出て来ますね・・すごいです蛇(霊)ですね。そうするとね、又手を合わせてると今度は私の心臓を蹴ってくるわけです。タッタッタッと蹴られるんです。(もう私の)命が止まりそうなんですね。タッタッタッと心臓を蹴ってくる、それから(今度は私が)蹴ってくる奴(迷霊)を外すわけです。(これを)外しといて又(私が)突いたんです、「ヤッ」と二回目ですね。しばらく経つとですね、その間5分間なんですけども時間が随分長いような気がしたけど、その次に今度は又「ヤッ」て三回目に私がやりました時には(行者の体が)ピ タッと(床に)伏せましてね、頭が上がらん、下へくっ付いて上がらん。(そしてその行者は)勘弁して下さい、勘弁して下さい(と謝った)。それから(私がこの行者を)勘弁してやりまして試合は終わったわけです。

そうしますとね、その行者は何を言うかと思ったら、「(行者)貴方は何年修行しましたか?」「(開祖)ちょうど十年、大國主大神様につきまして十年」。こちらの方(行者)は△△山で三十七年やっておる。そうすると大國主大神様は私の口をとって説明するのに、「(開祖)私の一年は千年、私の一年は千年。私の一日は貴方の千日。私の一日の行は千日の行です。それが十年間。貴方は一日の行が一日だ。」
問題じゃないですよね。私が一日千日の行をやって十年間。貴方が三十七年間。一年三百六十五日。こ っちは三千六百、三万六千日ですね。違うんですね全然。
「(行者)よく分かりました、どうか勘弁して下さい」という風な事で、後で直会をして別れましたけれども、その時に、こんな小僧(開祖)にやられてしまって本当にもうしょうがないと思うけど仕方ありません。力と力(の勝負)ですから。簡単に5分で押さえられてしまったですね。(中略)

その時(その行者が)「私(行者)に対して何か注意はありませんか?」と言うので、「(開祖)実は貴方が(今後)滝へ入る場合に、滝ですね、滝の中へ入ったら頭の方は冷やさない様に、頭を冷やしたら体を温めておかないとこれから貴方はすぐに死んでしまいます。」そういう風に注意申し上げたわけでございます。そうすると「(行者は)とにかく明日まで待ってくれないか」ということで、明日(次の日)この人(行者)は滝に入って来ました。そうしてその方法を聞くと、頭をちょっと(滝で)打たせたら、もう体がまるで・・何て言いますか、死にそうな目に合いました。(行者が)ほうほうの体で帰って来たわけです。そういう風な場合迷霊同士、(今回は)私の方が正神だからこっち(行者)の命は奪わなかったわけですが、迷霊同士の場合だったらヤッと突いたらそれでお終いなんです(相手が死んでしまう)。こういう風な事は、こういう風な行はですね、ここで出来るんです。自分が一人だと思うと大間違いです。幾らでも距離がありますから、距離がありましても問題は無いわけです。だから昔はいわゆる「行者の頓死」があったというのは、こういう風な形でやられしまったわけです。強い霊で弱い霊をやってきた(押さえつけてきた)。だから行者の頓死について私は論文を書いた事がございます。


以上が「魂清浄の神法は一日で他宗教等の千日分の行を行う事が出来る」ということを大國主大神様が体験を通じて開祖天霊師に教えられた時のお話しです。言うまでもなくこれは天霊師がおられる本部道場で行をした場合のみに当てはまります。

尚、上記の行者が37年も深山で滝行をして強烈な霊力(迷霊)を有していたという事ですが、これは滝行により蛇のような冷血動物の霊を体に入れていたために今まで滝行をしても問題が生じなかったと思われますが、開祖天霊師との試合により行者に憑いていた蛇霊が昇天させられたため普通の人間になってしまい、次の日にいつものように滝行をして死にそうな目に合ってしまったと言う訳です。普通の人間は、冷血動物ではなく、保温動物、哺乳動物で体熱を持っている動物ですから。

魂清浄の神法ではこの行者の滝行のような深山幽谷などではなく、日常生活を行う畳の上での行のみを教えております。魂清浄即日常生活、日常生活即魂清浄というわけです。魂清浄の神法の観点から見ますと、深山幽谷等の特別の場所で行なう行は基本的に迷霊の修行法であると言えるでしょう。動物、蛇、蛙等の水中動物はそのような場所で生活しているから、それらが霊化した後もそのような所に多く集まっている訳であり、そのためそこを人間達の修行場所とさせるわけです。修行させておいて人間の体内に入りその霊力を駆使しようということでしょう。

実は開祖天霊師は魂清浄の神法を開基されるまでの9年間は自宅の風呂場で冷水を浴び、大國主大神様の石造の重い軽いを確認する行をされていた経緯があるのですが、これは魂清浄の神法が開基される頃までの話であり、魂清浄の神法が開基された後は特に水を浴びる事などを奉賛会会員に推奨されてはおりませんので、この点を誤解なきようお願い致します。魂清浄の神法が開基された後は魂清浄を唱えさえすれば迷霊が17霊界に昇天出来る訳ですから別に水を浴びる必要もないのです。

巷の色々な刺激の強い行法と比べますと、天霊神霊研究所本部道場の畳の上での行(無心で魂清浄を唱え続ける行)は簡単に見えるのかもしれませんが、実はなかなか容易なことではございません。日々自分の人生を営む畳の上の行だからこそ、深山幽谷の行のように多くの不安や迷いに目隠しする訳にも行かず、逆に厳しいのだと思います。
一日千日の行と言われる通り、迷霊を昇天させ正神につながる意味でこれ以上の早道はございませんので、迷霊に騙されて横道に逸らされないように気を付けて頂きたいものと思います。

繰り返しとなりますが、魂清浄の神法の行は、一日の行が既存宗教の修行の千日分の行となります。それは本人の行により本人の体内の迷霊だけではなく、その迷霊の発信源ともいうべき本拠地(神社仏閣聖地等)からも迷霊が昇天させられるようになっているからです。また、本人の親族の体内にいる迷霊も一緒に昇天させる事が出来ますので、一日の行が千日分の行となる訳です。

2013年11月11日

赤色

6色の玉の所で少しお話ししましたが、魂清浄の神法で使用されるいくつかの色の内「赤色」は良くないとされています。中国やいくつかの国では赤色はお目出たい色とされておりますが、ここではあくまでも魂清浄の神法に限っての話しという事でご了承頂きたいと思います。
開祖天霊師の講義録の中でいくつか抜粋してみますので、ご参考にして頂きたいと思います。(口語で分かり難い部分にはカッコで補足しました)

<お札(おふだ)>
(質問者)お札を包む布は、先生は良く赤は最低 だと仰いますが、よくお札には赤を布でしてありますが。
(開祖天霊師)赤でない方がよい。 赤でない方がいいです。赤は最低です。確かに最低です。避けた方がいい。

<行の心得>

(質問者)大声を上げて(魂清浄を唱える事について)隣近所の手前に体裁が悪いって言っちゃだめだって(天霊師が)言いますけど、やっぱり、(隣近所の人が)あの人は狂ったんじゃないかって(言いますから)。」
(開祖天霊師)肚(はら)を据えてないってことです。(隣近所の人が)笑ったら、「お前もやれ、体が軽くなるぞ、やってみろ」、それ程の度胸がなくちゃね。こっぱずかしいなんて駄目だ。 特に皆さん方はこれから魂清浄の幹部なんです。幹部って事は骨ということなんだ。骨だから、自分が(魂清浄の修行を)やるのに恥ずかしいなんて言ってては力がなくなってしまう。 大神の方で力を与えてやるって言えば、(本人は)恥ずかしいです。(そうしたら大神も)おおそうか(じゃあ)俺の方も恥ずかし い(となる)。
(質問者)唱えている時に人が来ると家内が合図するんです。
(開祖天霊師)御夫婦で肚据えてや ってごらんなさい。恥ずかしい、そう言う霊が(あなたの体内に)おるからです。恥ずかしいと考える事 は、堂に入ってないという事、肚を据えてやりなさいよ。そうやってくると、例えば色々他の宗教の(霊的な)関係がはっきり掴める。皆さん方は肚を据えてないから、あっちでうまい事言えば、あーそうかなー。こっちで・・・。ともかく眉唾のもの程こわいんだよ。正しいもの程、何かこの朱に交われば赤ってね、朱に交われば、赤に交われば赤になると言って悪い事に赤を使ってあると同じ事でね。最低だ最低だと言うんだけれども、肚据えて来ると迷わなくなくなる。


<魂清浄の祭式作法>
魂清浄の場合の祭式を決めておきたいと思います。(中略)
更に(一般には)女の方は緋(ひ)の袴を履くという事がありますけれども、魂清浄では赤は最低でございますので、履いてもらわない予定であります。何を履いてもらうかと言うと、これを履いてもらう、□□□□□って言いますね、こ れを履いてもらう。男でも女でも同じでございます。服装も(後略)