2018年11月8日

霜月の御祭

霜月の御祭に参加させて頂きました。霜月とはいえ汗ばむほどの暑さでした。木曜日でしたが全国から沢山の奉賛会会員が参拝されました。開祖天霊師は生前「一年のうち12日くらい都合がつかないはずはない」と言われていたそうですが、現在の奉賛会会員の皆さんは神事優先という姿勢に徹しておられます。


御祭の後に準道場主の方々が新しい掛け軸の御神体を授かりました。これは色々な意味で希少なものです。また、本日はビッグニュースがありました。今は公表できませんが、天霊神霊研究所のさらなる発展を感じて本当に嬉しくなりました。
奉賛会会員の方々の行が進むに連れて天霊神霊研究所が発展していきます。目には見えないスピードで無限に広がっていく感覚です。


また、今日は本部道場に向かう車の中で、開祖天霊師の奥都城が見えましたので、御祭の帰りに支部長の方と一緒に奥都城参拝させて頂きました。カンカン照りの陽気でした。同じ場所に二代目天霊師の奥様である遠藤桂霊師の奥都城がありますので一緒に参拝してきました。

http://konshojo.blogspot.com/2015/02/blog-post.html

開祖天霊師の奥都城には「天霊大神之奥都城」と書かれています。
霊名を授かっている方が十七霊界に昇天し、大神様になられる場合は、その霊名に大神という敬称をつけると聞いておりますので、開祖がお亡くなりなってから弟子の方々は天霊という名に大神という敬称をつけられたのでしょう。開祖ご自身が自分自身を天霊大神と呼ぶ事はなかったのではないかと思います。

しかし、天霊(師)は職であり、必ず「生きている方」に継承されるものであるという大原則を考えた時、開祖天霊師はいま本当に「天霊大神」というお名前なのかという疑問が湧いてきます。


実は開祖は大國主大神様が通常時に開祖を呼ぶための特別な俗名(丸山忠三ではありません)を授かっておられました(1957年9月26日)。
当時の弟子でも知っている方は殆どおられなかったようですが、以前、この事が研究所内で発表された時、二代目天霊師は既にご存知でした。やはり開祖ご存命の時から開祖にとって二代目は特別な存在だったのではないでしょうか。

そのようなことから、十七霊界での開祖天霊師は大神様として、この特別な俗名に大神という敬称をつけられているのではなどと空想しています。