開祖天霊師が大國主大神様からご指導頂く以前に、日本で最後に大國主大神様からご指導を受けられていた方は、今から約1600年前(古墳時代;仏教伝来以前)に、信州諏訪地方の行者であったということです。
開祖天霊師が書かれた本「迷霊の実態」には、亀を使った「まじない」のことが記載されています。生きている亀に向かって家の厄災を背負ってくれるように言い含めてから、大川に放すと厄災がなくなるというまじない(現在は大國主大神様がこのまじないを禁止しておられます)ですが、このまじないは諏訪の行者が大國主大神様から教えられたものということです。
また、天鈿女大神様が日本で最後にご確認されたのは今から約1200年前(平安時代)ということです。
それ以降、日本で行われた霊媒は全て迷霊によるものということです(迷霊霊媒)。
そして現代になり、開祖天霊師が大國主大神様にお仕えするようになってから、約1200年ぶりに正神霊媒が可能となったということです。
開祖天霊師の場合は、大國主大神様、天鈿女大神様のような人格神だけでなく、産霊大神様、天地宇宙大神様のような自然神のご霊媒も実現されました。
これは私見ですが、古来日本人が大國主大神様や天鈿女大神様など正神の大神様方を確認された場所は、北は糸魚川付近から南は三保の松原までの、いわゆるフォッサマグナ地帯であり何か不思議な感があります。
今回の話題である信州諏訪地方も、開祖天霊師、二代目天霊師が本部道場を設置された甲府もフォッサマグナの中ですし、日本武大神様(ヤマトタケルノミコトも大神になられております)も生前には現在の甲府近辺で行をされたと言い伝えられております(約1900年前)。JR甲府駅の隣の駅は酒折駅で、日本武尊を祀る酒折宮が目の前にあります。かつてこれらの地域には、正神の元で行をするのに適した環境があったのかもしれませんね。
開祖天霊師の場合は、大國主大神様、天鈿女大神様のような人格神だけでなく、産霊大神様、天地宇宙大神様のような自然神のご霊媒も実現されました。
これは私見ですが、古来日本人が大國主大神様や天鈿女大神様など正神の大神様方を確認された場所は、北は糸魚川付近から南は三保の松原までの、いわゆるフォッサマグナ地帯であり何か不思議な感があります。
今回の話題である信州諏訪地方も、開祖天霊師、二代目天霊師が本部道場を設置された甲府もフォッサマグナの中ですし、日本武大神様(ヤマトタケルノミコトも大神になられております)も生前には現在の甲府近辺で行をされたと言い伝えられております(約1900年前)。JR甲府駅の隣の駅は酒折駅で、日本武尊を祀る酒折宮が目の前にあります。かつてこれらの地域には、正神の元で行をするのに適した環境があったのかもしれませんね。
<開祖天霊師の講義録より抜粋>()内:注釈
実は大國主大神様はその過去において、3000年以前には盛んに日本においては大國主大神様が皆さん方(日本人)を導いた訳でございます。
その当時から大國主大神は「私の後裔(子孫)をぜひ大國主大神様に面倒みて頂きたい」と、あっちからもこっちからも頼まれている(祈願を受けている)訳です。
ところが、そういうふうな者(大國主大神様を確認できるような優秀な行者)がいない。出て来ない。大國主大神が「この者についていけよ」というふうな行者が生まれてこない訳です。だいたい正確に言えば、大國主大神様が御指導した最終の方は1600年位前、諏訪(信州諏訪)のオカダという、大國主大神様が仰るんですが、その方までだそうです。今から1600年位まで信州にオカダというらしいですが、その頃までだそうです。だから大國主大神様の御霊媒というのは、大体1600年位以前、最終だと言っておりました。
天鈿女大神様(のご確認)は今から1200年以前ということです。この間400年位の差(1600ー1200=400年間)が在る訳ですね。
それで、諏訪の方では例の亀に言い含めるあれ(厄災を亀に背負って行ってもらうまじない)があったそうでございますが、それ以降は無い様でございます。だからこれ以降は行者が出ておらないという事です。
初めて(現代に開祖)天霊(師)が現出し、更に天霊は産霊神並びに天地宇宙大神の御霊媒をやる様になりましたので、魂清浄を上げている方々がはじめて御霊媒として出てきている訳です。ですからこの間つまり(1200年前から現在に至るまでの)空間がある訳でございます。空間が在る訳でございます。