この備忘録を始めて10年近くが経過します。今日で閲覧者が55555人となりました。このような超マイナーなブログに多くの方にお越し頂き感謝申し上げます。
人生半ばにして二代目天霊師に出会い、本物の魂清浄の神法を教えて頂き、現在は三代目天霊師の元で行を進める毎日です。日々学びを新たにする中で、思いついた事をただ呟いているだけのブログであり、後で見返すと恥ずかしい記事も多々ございますが、それもまた行の一過程として残しています。
読者の方が本物の魂清浄の神法、本物の天霊師に出会う一助となりましたらこれに勝る喜びはございません。この生ある限り天霊師を奉賛し続けていく覚悟です。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
2020年1月25日
2020年1月20日
松葉酒2020
今年も本部道場の正月の飾り付けの松飾りを頂いて松葉酒を漬け込みました。5.8リットルです。我が家では1年以上漬けたものを霊薬として頂いています。一昨年のものはほぼ飲み切りましたので、そろそろ一年前に漬けたものを封切りする予定です。
この松葉酒は独特な風味があり苦手な方もいらっしゃいますが、好きな方はとことん好きなんですよね。あくまでも霊薬ですので大量に飲む必要はございません。
2020年1月8日
閑話休題「花より実を取れ」
以前の記事に「花より実を取れ」という言葉について書いた事があります。開祖がよく口にしておられたお言葉と聞いております。たまたま同じ名前の本を蔵書しており、本の写真を載せた事がございます。
http://konshojo.blogspot.com/2017/08/blog-post_21.html
この本については天霊神霊研究所が創設されるよりも昔の大正14年に刊行されたものです。開祖が大正9年生まれ、二代目が大正15年生まれですから、その当時の本と言うことになります。小さな記事を一冊にまとめた本で明治末期の記事も含まれています。
当然ながら天霊神霊研究所とは何の関係もない本です。
熊本の横井小楠の流れを汲む女性教育者の方が刊行されたもので、明治生まれの方を形容する時によく用いられる「気骨」のある方が書いたものだと思います。当時の女性達の意識の改革を促す内容は今の時代に読んでも教えられる事が多くございます。
時期的には開祖や二代目の母親の世代の方が読んでおられたのではないかと思いますが、もしかしたらこの本を手に取って読んだ事があるかもしれませんね。
「怒るな働け。花より実を取れ」という著者自らの衷から出てきたと思われるお言葉には強い力が感じられます。
http://konshojo.blogspot.com/2017/08/blog-post_21.html
この本については天霊神霊研究所が創設されるよりも昔の大正14年に刊行されたものです。開祖が大正9年生まれ、二代目が大正15年生まれですから、その当時の本と言うことになります。小さな記事を一冊にまとめた本で明治末期の記事も含まれています。
当然ながら天霊神霊研究所とは何の関係もない本です。
熊本の横井小楠の流れを汲む女性教育者の方が刊行されたもので、明治生まれの方を形容する時によく用いられる「気骨」のある方が書いたものだと思います。当時の女性達の意識の改革を促す内容は今の時代に読んでも教えられる事が多くございます。
時期的には開祖や二代目の母親の世代の方が読んでおられたのではないかと思いますが、もしかしたらこの本を手に取って読んだ事があるかもしれませんね。
「怒るな働け。花より実を取れ」という著者自らの衷から出てきたと思われるお言葉には強い力が感じられます。
2020年1月1日
年送り年迎え大祭 2020
謹賀新年!今年もよろしくお願い申し上げます。
今回は12月29日から本部道場に宿泊行をさせて頂き、大祭の準備のお手伝いもさせて頂きました。本部道場は広いので多くの仕事があり、毎月の御祭の準備、直会の準備は非常に大変であるとあらためて感じました。通常は天霊師とご家族の方が準備をされています。月に一度の御祭に参加する事は奉賛会会員として最低限必要な事ですが、出来ましたら神事優先の姿勢でその準備のお手伝いに進んでご参加頂きたいと思います。会員として年季が入ってきますと、御祭に参加しているだけでは何か物足りないように思います。
今回の年送り年迎えの大祭では、三代目天霊師が開祖天霊師が着ておられた緑袍(りょくほう:緑の衣装)を身につけられて、はじめに年送りの大祭が行われました。0時を過ぎて元旦になってから、ご神前のお水を「若水(わかみず)」に変えて、年迎えの大祭が執り行われました。祝詞奏上を聞いている間にそれまでとは全く異なる雰囲気に変わっていくことが感得されました。これは毎年の年迎えの大祭で感じられる事で、正に新年を迎えている事を感じさせられます。ごく自然に心機一転し、新年に向かう心境が定まりました。
昨年2019年は本当に激動の一年でした。
2月9日に二代目天霊師(遠藤守霊師)が92歳で昇天され、二代目天霊師のご遺言により三代目天霊師(早川てつ霊師)に天霊職を継承されました。建設中であった新本部道場が完成し、春季大祭(5月)から新しい道場で祭式が斎行されるようになりました。スペースの広い新本部道場であり大勢の会員が宿泊修行ができる体制が整い、長期間宿泊行する方も増えてきております。秋季大祭(10月)に三代目天霊師が新ホームページで公開されました。
年送り年迎え大祭の直会にて天霊師、奉賛会会員の方々と一緒に昨年を振り返り、今年の発展について和気藹々とお話しする事が出来ました。大神様もこのような仲の良い雰囲気を祝福されているように感じました。振り返ってみて昨年は変化の年でしたが全て良い方向に変化しているように思います。今年は発展の年となることを予感いたしました。会員各自が行に没入し、大國主大神様から多くの恩頼(みたまのふゆ)を授かって頂きたいと思います。
天霊神霊研究所は「来るものは拒まず、去る者は追わず」の姿勢をとっております。
来るものは拒まずという「言葉」は、単に誰でも彼でも来てくださいという意味にも取れますが、実際には、三代目天霊師の元で正神の大國主大神様にお仕えする「覚悟」ができた方が「来るもの」の意味と思います(奉賛会会員となる事を意味します)。
この「覚悟」が無い方(名前だけ会員、他の宗教団体との掛け持ちなどを含む)については、魂清浄一筋、魂清浄一本にする「覚悟」ができていない訳であり、大國主大神様のおかげを多く授かる事は難しいのではないかと思います。
それは大神様は目に見えないが「実在する方々」であり常に私達人間の心境も言動も全てお見通しという事ですので、対人関係を大切にするかのように、対 ”神” 関係についても考えなくてはならないと思います。
去る者を追わずという言葉の中には、真剣に大國主大神を求めていない方は去って頂いて構わないという厳しい姿勢が見てとれると思います。こういうところも昨今の宗教団体のように名前だけの会員でも良いから一人でも増やしたいというような団体とは一線を画していると思います。
奉賛会会員のお一人お一人が現実に大國主大神様と縁を結んで頂けるところ、それが天霊神霊研究所です。大神様という相手のある事ですから頭を「魂清浄一本」にして望まない事には何も始まらないと思います。
今回は12月29日から本部道場に宿泊行をさせて頂き、大祭の準備のお手伝いもさせて頂きました。本部道場は広いので多くの仕事があり、毎月の御祭の準備、直会の準備は非常に大変であるとあらためて感じました。通常は天霊師とご家族の方が準備をされています。月に一度の御祭に参加する事は奉賛会会員として最低限必要な事ですが、出来ましたら神事優先の姿勢でその準備のお手伝いに進んでご参加頂きたいと思います。会員として年季が入ってきますと、御祭に参加しているだけでは何か物足りないように思います。
今回の年送り年迎えの大祭では、三代目天霊師が開祖天霊師が着ておられた緑袍(りょくほう:緑の衣装)を身につけられて、はじめに年送りの大祭が行われました。0時を過ぎて元旦になってから、ご神前のお水を「若水(わかみず)」に変えて、年迎えの大祭が執り行われました。祝詞奏上を聞いている間にそれまでとは全く異なる雰囲気に変わっていくことが感得されました。これは毎年の年迎えの大祭で感じられる事で、正に新年を迎えている事を感じさせられます。ごく自然に心機一転し、新年に向かう心境が定まりました。
昨年2019年は本当に激動の一年でした。
2月9日に二代目天霊師(遠藤守霊師)が92歳で昇天され、二代目天霊師のご遺言により三代目天霊師(早川てつ霊師)に天霊職を継承されました。建設中であった新本部道場が完成し、春季大祭(5月)から新しい道場で祭式が斎行されるようになりました。スペースの広い新本部道場であり大勢の会員が宿泊修行ができる体制が整い、長期間宿泊行する方も増えてきております。秋季大祭(10月)に三代目天霊師が新ホームページで公開されました。
年送り年迎え大祭の直会にて天霊師、奉賛会会員の方々と一緒に昨年を振り返り、今年の発展について和気藹々とお話しする事が出来ました。大神様もこのような仲の良い雰囲気を祝福されているように感じました。振り返ってみて昨年は変化の年でしたが全て良い方向に変化しているように思います。今年は発展の年となることを予感いたしました。会員各自が行に没入し、大國主大神様から多くの恩頼(みたまのふゆ)を授かって頂きたいと思います。
天霊神霊研究所は「来るものは拒まず、去る者は追わず」の姿勢をとっております。
来るものは拒まずという「言葉」は、単に誰でも彼でも来てくださいという意味にも取れますが、実際には、三代目天霊師の元で正神の大國主大神様にお仕えする「覚悟」ができた方が「来るもの」の意味と思います(奉賛会会員となる事を意味します)。
この「覚悟」が無い方(名前だけ会員、他の宗教団体との掛け持ちなどを含む)については、魂清浄一筋、魂清浄一本にする「覚悟」ができていない訳であり、大國主大神様のおかげを多く授かる事は難しいのではないかと思います。
それは大神様は目に見えないが「実在する方々」であり常に私達人間の心境も言動も全てお見通しという事ですので、対人関係を大切にするかのように、対 ”神” 関係についても考えなくてはならないと思います。
去る者を追わずという言葉の中には、真剣に大國主大神を求めていない方は去って頂いて構わないという厳しい姿勢が見てとれると思います。こういうところも昨今の宗教団体のように名前だけの会員でも良いから一人でも増やしたいというような団体とは一線を画していると思います。
奉賛会会員のお一人お一人が現実に大國主大神様と縁を結んで頂けるところ、それが天霊神霊研究所です。大神様という相手のある事ですから頭を「魂清浄一本」にして望まない事には何も始まらないと思います。
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