2012年6月18日

信仰は日々の不安を払拭するためのもの

開祖天霊師が残されたお言葉には、本当に含蓄のある言葉が多くありますが、「信仰は日々の不安を払拭するためのものである」というお言葉には本当にうなずかされるものがあります。人間誰しも不安を抱えて生きているものです。この言葉を聞くと何か安心できます。

二代目天霊師のおられる天霊神霊研究所につながってから久しいですが、奉賛会の皆さんからお教えを頂く中に、「争わない」ということがあります。争わないというのは人と人の争いもそうですが、霊と争わないという事も入ると思います。難しい言葉で言いますと「霊的抗争をしない」ということです。

既成宗教のほとんどは、強い霊をもって弱い霊を押さえつけるという方法を採っております。まさに弱肉強食の世界です。しかし、魂清浄の神法では全ての迷霊を17霊界に昇天させることができ、そこで幸せにしてあげることができるため、迷霊と争う必要が無いのです。安心して魂清浄を唱えているだけで良いのです。

ですから例えば、関係する迷霊を昇天させるために、わざわざ神社仏閣に行き浄めたり塩をまいたりする必要はないという事です。むしろ危険なので神社仏閣には出来るだけ近づかないようにというのが開祖天霊師の教えです。そのように迷霊と争う(霊的抗争する)必要はないということです。

二代目天霊師につながって魂清浄を唱えますと、自分に関係する迷霊は本部道場の神前で魂清浄をあげる事で迷霊がどこにいても昇天させる事が出来、迷霊との縁も切れていくという事です。逆に言いますと、それだけのお力があるという事だと思います。それに万が一、迷霊からの攻撃があったとしても、その矢はブーメランのように射手の元に戻るよう大神様のご配慮がありますから安心していられます。これは二代目天霊師とつながっている方のみに適用されることです。

生きている人間の世界は、そのまま迷霊の世界の弱肉強食が投影されているようです。皆さんもたまには人と争うことがあると思いますが、魂清浄を唱えていきますと不思議とそのような場面に出くわす事が少なくなってくるようです。他人に対して腹を立てる事もあると思いますが、自分の中の迷霊がその原因であると分かると魂清浄を唱える事で徐々にすっきりしてきますし、なぜか相手側に変化が出てきたりするのが不思議です。徐々に人間関係が良い方向に変わってくるのが感じられる事がよくあります。そして自分の居場所がどんどん安心していられる場所に変わっていくのが分かります。それに自分の心の持ちようも良くなってきているのでしょう。

また、魂清浄を唱える方の中には、霊感が優れてくる場合があり、相手の悪い部分(心、体、お金関係、人間関係など)が分かると、ついつい余計な指摘をしてしまったりする事があると思います。しかし、これも開祖天霊師のお言葉によりますと、
「他人の悪い所を指摘したら、それが治るまで指摘した人の責任になる」
という事です。これは無責任に口には出来ないことですね。これもやはり「信仰は日々の不安を払拭するためにある」からです。他人の悪い所を指摘すると、指摘された本人は不安に陥ります。自分を治す事すら出来ない者が、他人を治す事など出来ません。開祖の言葉通り、人の悪い所を指摘しっぱなしという事は、他人の迷惑になりますから避けるべきです。

例えば、あなたは〇〇の病気です、後ろに△霊が憑いている、近く事故を起こすでしょう、あなたを恨んでいる人や霊がいる、近く大地震が来る、火山が噴火する、このような事を言われて嬉しい方は誰一人いないと思います。人の不安を煽る発言によって自分の有利な方に人を誘導しようとする方々は、上記の開祖天霊師のお言葉に逆らっている事になります。
巷のカルト宗教のように霊媒や占いなどで神のお告げ、予言、予知、御経綸などで他人を脅かし不安にさせる方もおられるようですが論外です。最近のニュースでもにぎやかですが、宗教から事件が発生する場合には、不安を煽る発言が発端になる事が多いようです。お気をつけください。
開祖天霊師のお言葉のように「不安を払拭してあげる」のではなく、逆に人に不安を与え利益を吸い上げようとする方は、残念ながら正神に仕えているとは言えません。