2013年5月25日

修行に定年なし

今日の甲府は少し蒸し暑く、街を歩く人の殆どが半袖の服を着ておられました。いよいよ夏が近づいてきたようです。本部道場では今日も心地よい風が吹き通り、行に集中するにはもってこいの環境となりました。
今日も二代目天霊師が祝詞をあげてくださいまして、その後、一緒に魂清浄の祝詞を唱える行を2時間続けて行いました。一心に行をしていると、体のあちこちがだるくなっては、すっと楽になるという事の繰り返しで、体のコリが取れてどんどん軽くなってくる感じでした。

天霊先生は87歳というご高齢ですが、今日はかなり早いペースで行をされまして、ついていくのがやっとという感じでした。途中で気がついてみると先生は誰よりも大きな声で魂清浄の祝詞を唱えておられました。先生はいつも行の始めから終わりまで揺るぎない姿勢で唱え抜かれます。疲れ知らずで行が終わった後も淡々としておられます。こちらはというと、行が終わった後、すぐに立ち上がることも出来ない感じでした。流石に2時間ともなると堪えます。こういう状態を「行をつけて頂く」というのでしょう。「修行に定年なし、生涯修行」という言葉を聞いたことがありますが、今日はそれを現実の姿で教えて頂いた形となりました。天霊先生は寡黙で多くを語られませんが、その姿勢で教えて頂く事が多いです。

2013年5月18日

修行の日

本日5月18日は本部道場の修行の日でした。二代目天霊師が祝詞をあげてくださいまして、その後、長時間の行に没入致しました。二代目天霊師が祝詞をあげてくださった後に行をしますと、他の方が祝詞をあげてくださった時とは全く異なり、体全体からあふれるように迷霊が昇天して行くのが感じられます。実際の皮膚感覚でも通常との違いが分かるほどです。そして行が終ると心地よい疲れが出て眠たくなります。

今日は遠方の会員の方がお見えになりましたが、その方が仰るには、本部道場で行をする時だけ全身の毛穴が開いた感じとなり総毛立つのだそうです。不思議な話しだと思いながら拝聴していましたが、人によって感覚は異なるものの本部道場での行、特に天霊師に先達して頂いたときの行はやはり格別のものがあるように思います。

一般に霊的な感覚の鋭い方が本部道場で行をされますと、しばらくはご自分から霊が抜け続けている事を感じ過ぎてしまい、ここは霊的に浄まっていないのではないかと錯覚される方もおられるようですが、行が進み抜ける時の感覚が穏やかになってくればその凄さが改めてお分かりになる事でしょう。これは体験無しには語る事が出来ない領域と思います。

今日の本部道場は新緑の風が吹き込んでとても気持ちが良かったです。行をしながらほのぼのとした幸せを感じていました。畳の上に座りながらも穏やかな風の中で行が出来るのはこの季節ならではの事でしょう。私にとってはこれが何よりの恩頼(みたまのふゆ)だと思いました。

2013年5月8日

春季大祭

今年の春季大祭(五月八日)は水曜日で平日でしたが、二代目天霊師がおられる本部道場には入りきれない程多くの奉賛会会員の方々が参拝されました。その二日前にゴールデンウィークが終ったばかりですので、会社等にお勤めの方々はお休みを取るのにご苦労された事と思います。皆様の晴れやかなお顔を拝見して誠に肚の据わった方々ばかりだと感服致しました。大祭、月次祭は開祖天霊師と大神様との間で毎月八日(九日、十日は予備日です)と決められており、大神様がお決めになられた事ですから人間が勝手に動かす事が出来ません。八日に参拝すれば大神様が必ず授けてくださるとも言われており、これは人間心として嬉しいものです。御祭りへの参加については開祖天霊師も「心がけ次第である」と言われています。

大祭の後、奉賛会会員の皆様と一緒に魂清浄の祝詞を唱える行に入りました。大人数で皆一心に唱えましたのでそれはもう迫力がありました。御祭りの日には「通常の三倍の体内の霊を昇天してくださる」と言われておりますが、毎日の行とは全く異なり、急激に集中して頭の中が真っ白になった感じがしました。その時不思議な事に隣の部屋におられた二代目天霊師の存在が感じられてきて、目を瞑って行をしていたのですが目の前がどんどん明るくなってきて最後には眩しく感じられるほどでした。そして行が終ると体がすっかり軽くなり気持ちよくなってしまいました。これは個人的な体験ですが、大祭の日にあらためて天霊(職)という存在を教えて頂いたように思いました。


開祖天霊師が書き残された膨大な資料の中には当時の弟子達の人物評もあったそうですが、他への厳しいコメントの中、二代目天霊師については「最も信頼できる存在」というような評が書かれてあったそうです。
二代目天霊師はお会いするといつも穏やかな春風のようであり、二代目天霊師の前では皆さん自然にくつろぐ事が出来るようです。開祖天霊師のようなある種の凄さは感じさせられませんが、開祖から天霊(職)を引き継がれて、一途に魂清浄の神法を守り抜いて来られたのでしょう。
二代目の奥様の桂霊師が語っておられた話として、二代目天霊師は夜、寝入っておられる間にも魂清浄を唱えておられる事があったそうです。開祖天霊師はこのように謙虚さの中にも強い想いを秘められて、それを静かに一途に貫くような二代目天霊師であるからこそ生前に最も信頼することができ、安心して天霊(職)を引き継ぐ事が出来たのではないかと思います。開祖天霊師は多数決の害を繰り返し述べられましたが、オレがオレがと我の強い一癖ある弟子が目立つ中で、謙虚で静かな二代目天霊師が多数決などで選ばれる事はなかったかのではないかと思います。
開祖が唯一選ばれた二代目天霊師の人格に接してみて初めて開祖の御心を推し量る事が出来るのではないでしょうか。

老子が残した”上善は水の如し” という言葉は正に二代目天霊師のような方を指すのではないかと思います。あまりにも自然すぎて、こちらが不自然であるとその存在が理解出来ないのでしょう。