長月の御祭にかけて3日間の宿泊修行させて頂きました。新築の本部道場は広々とした畳敷の道場で神殿は漆で塗り上げられています。雑念なく天霊師と二人で行に没入できる時間がたまらなく貴重でした。朝から晩まで行をつけて頂き感謝しております。
今回は別段特別な映像を見るわけでもなく、ただひたすらに体内の迷霊を17霊界に昇天させ続ける一種の作業に没入できたと思います。
日常生活から離れて、本部道場でひたすら行をしていますと、魂清浄の神法は巷の宗教とは異なり、教えと呼べるようなものは限られていると思いますが、魂清浄ののりとを唱える事以上に効果のあがる方法も知識、食品などもなく、色々な事にこだわっているなら口で魂清浄を唱える事の方がゆっくりのように見えて、実は最速であるという事が分かります。
夜寝る時に足の裏を御神殿に向けて寝させていただきますと、足の裏から迷霊の術を解いて、寝ている間にも霊を抜いていただける、いわゆる寝行をさせて頂くことができます。すると、足の裏が水道の蛇口のような感覚になり、迷霊が水のように出て行く事が感得されました。支部道場で寝かせていただいても同様な感覚が起きますが、本部道場は桁が異なる事がよく分かりました。
また、本部道場のお風呂には、鉱泉の蛇口が付いており、蛇口をひねると少しひやっとした鉱泉が出てきます。行をして汗をかくたびに溜めておいた鉱泉の水を浴びて、清々しい体でまた行に入るというこれ以上の環境はないように思います。
余談になりますが、本部道場で薬草(今の言葉ではアロマというのでしょうか)の研究をしておられる方がおられます。大神様に伺いながら調合されることもあるそうですが、今回たまたま私の足に肌荒れが出てきた事をお話ししましたら、塩で清める方法やごくごく少量の薬草を使用する事を教えていただき、その通りにする事でかゆみ、痛みを瞬時に和らげられるという体験をさせて頂きました。薬草は煎じて飲むしかないものと考えていましたが、肌から吸収させる場合もあり、ケースバイケースで使用しないと危険性があることなど興味深い話を伺いました。専門分野も大神様に伺えば奥の奥まで教えてくださるという事ですので、自分も興味を持った事について大神様に伺いながら研究してみようと心をあらたにいたしました。
長月の御祭は日曜日だった事もあり、全国から30名近い方が参加されていました。これでも会員の一部にすぎませんので新しい道場もすでに手狭になっているように思いました。開祖の時代のように一日に二回御祭をするような日も近いかもしれません。
今回も開祖天霊師のご息女である育子様夫婦と楽しくお話しさせて頂きました。お二人と話しているといつも明るい気持ちになります。
育子様は開祖天霊師とお顔が似ておられ、さっぱりとした性格でハキハキとした話し方もどこか開祖に似ておられます。話をしているうちに先日天霊師生誕祭で見せていただいた金袍をまとった開祖のお顔を思い出して何だか嬉しくなってしまいました。
天霊神霊研究所において育子様は二代目天霊師継承の証人(開祖天霊師の遺言の証人)であり、様々な局面において開祖に代わって二代目天霊師をサポートされるという重要な役割を担っておられると思います。そのような方と一緒に御神殿に向かって手を合わせていられる事にも幸せを感じました。来月は秋季大祭です。楽しみにしております。
ご注意:奉賛会会員からお知らせ頂いたのですが、このブログのアドレス(http://konshojo.blogspot.com)とほぼ同じアドレスを「分派」が使用しているそうです(笑)
あわよくば間違って読んでもらえるかもということなのでしょうか。魂清浄の○○とかいうタイトルだそうです。これを書いているのは開祖天霊師、二代目天霊師とは関係したことがない方です。天霊師の元で行をしたことも無い方に一体何が分かるというのでしょう。にも関わらず、自分は天霊職の玉を授かった、などと発言されているそうです。天霊職は玉ではないので本当の事は何もご存じないのでしょう。兎も角、本物の天霊師がおられるのに、自分が天霊職を持っているなどというニセモノがまた出現しているようですが、様々な問題が生じるのではないかと思います。
人間正直が一番です。ご自分だけでなくご家族の人生にも影響しますからニセモノさんにはご再考されることをお勧めします。
天霊師は地球上にただ一人だけしか存在できません。これは天地宇宙大神様が決められたことです。そして天霊職の継承は天霊師から次の世代の天霊師に「直接」行われます。そしてその時には必ずその証人がおられます(二代目の場合は開祖のご息女である育子様が証人となられています)。
2019年9月8日
2019年9月1日
天霊師生誕祭59周年(9月1日)
本日は本部道場で行われた天霊師生誕祭に参加させて頂きました。
通常の御祭と比べてもより荘厳な雰囲気が漂う御祭となり、行をしていてもまるで洗濯機でかき混ぜられているかのように体が動き、体内の迷霊が大挙して出ていく様が感得されました。
その中で一つ不思議な体験がありました。行をする中で勝手に体が横になったり起き上がったり繰り返していましたが、横になっているときにお腹の底の方からどす黒い大きな塊のようなものが上がってきて、最後にこみ上げたものを口から吐き出して、体がすっきりしてしまいました。まだまだ体内に大きな迷霊がいるものだと我ながら呆れてしまいました。
しばらくして今度は体の起きた状態で両手を上方前に差し出す感じになりました。すると金色に光るものが手に触れました。ふわふわした布のような柔らかい感触でちょっと驚きました。両手が勝手にその金色の布のようなものを自分の頭からかぶせるような感じになりましたので、何か授かったのかと思いましたが、次の瞬間に目の前に開祖天霊師が金色のふわふわした狩衣のような衣装(金袍とでも呼べば良いのでしょうか)を着て等身大でおられるのが見えました。胸から上くらいの姿しか見えませんでしたので座っておられるの立っておられるのかは分かりませんでした。周りの景色は白くふわふわした雲のような感じの中におられました。黒色の烏帽子に眼鏡をかけておられましたので、果たして大神様が眼鏡をかけるかなと思い直し(大神様になったら目が悪いはずはないのではという考えが頭をよぎりました)、おそらく自分の妄想だろうと思ったその瞬間に言葉のような意識なような感じで「(今見ているものを)信じられるか?」と開祖から問われました。慌てて「今は御祭の最中なので(魂清浄を唱えている最中なので)信じます」と答えたように記憶しています。
その瞬間にご神前に座っておられた天霊師の唱える魂清浄ののりとのスピードがゆっくりになり、奉賛会の方々もそれに合わせてゆっくり唱えるようになり行が終わりました。まるで私が映像を見終わった事を天霊師が知っておられたかのような絶妙なタイミングで正直驚いていました。
私個人はたまに行の間に色々映像を見ることがあっても、その意味は後で現実の生活の中で教えて頂けるからとあまり気にしないようにしています。それはこれまでに霊能者のような方々の姿を数多く見てきたからです。色々見ておられても現実の姿がそうでない事を教えてくださる方が多く存在します。
正神の大神様方は必ず現実の姿で教えてくださるものですので、私は出てきた結果を信じるようにしています。
しかし、今回の映像は衣服(金袍?)の柔らかさや眼鏡のガラスの透明さや厚みまで測れるくらいリアルでしたので、大國主大神様の石像(通称:お姿)の重い軽いで確認してみました。すると結果は大神様が見せてくださった映像ということでした。有難いこととは思いながら今でも夢でも見たような心地で正直実感が湧きません。お姿を見せてくださる意味は追々分かるのではないでしょうか。
9月1日に行われる天霊師生誕祭は月々の御祭とは異なり、「大祭」に当たると聞いています。
魂清浄の神法とは ①17霊界を信じられること ②魂清浄ののりと(1〜10魂清浄)を唱えられること ③天霊師(生きている方)と直接的間接的に関係を持っていること
これら3つを保持できて初めて大國主大神様が動いてくださるという大神様との「約束」になっております。これを三位一体と言います。
(分派では③天霊師と関係を持たないために、三位一体が構築できず、正神の大國主大神様が動いてくださらない)
以下は私見ですが、
17霊界が完成したのは1959年6月16日です。魂清浄ののりとの言葉(1〜10魂清浄)はそれ以前に決められていた様子です。
最後に1960年9月1日に天霊(職)として神格位1階位が授けられて、上記①②③の体制(三位一体ともいいます)が完成したとも言えると思います。
そういう意味では、天霊師生誕祭(9月1日)とは、「魂清浄の神法が完成した日」ということもできるのではないかと思います。それ故「大祭」として位置づけられているのではないでしょうか。
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