2019年9月1日

天霊師生誕祭59周年(9月1日)

本日は本部道場で行われた天霊師生誕祭に参加させて頂きました。
通常の御祭と比べてもより荘厳な雰囲気が漂う御祭となり、行をしていてもまるで洗濯機でかき混ぜられているかのように体が動き、体内の迷霊が大挙して出ていく様が感得されました。

その中で一つ不思議な体験がありました。行をする中で勝手に体が横になったり起き上がったり繰り返していましたが、横になっているときにお腹の底の方からどす黒い大きな塊のようなものが上がってきて、最後にこみ上げたものを口から吐き出して、体がすっきりしてしまいました。まだまだ体内に大きな迷霊がいるものだと我ながら呆れてしまいました。

しばらくして今度は体の起きた状態で両手を上方前に差し出す感じになりました。すると金色に光るものが手に触れました。ふわふわした布のような柔らかい感触でちょっと驚きました。両手が勝手にその金色の布のようなものを自分の頭からかぶせるような感じになりましたので、何か授かったのかと思いましたが、次の瞬間に目の前に開祖天霊師が金色のふわふわした狩衣のような衣装(金袍とでも呼べば良いのでしょうか)を着て等身大でおられるのが見えました。胸から上くらいの姿しか見えませんでしたので座っておられるの立っておられるのかは分かりませんでした。周りの景色は白くふわふわした雲のような感じの中におられました。黒色の烏帽子に眼鏡をかけておられましたので、果たして大神様が眼鏡をかけるかなと思い直し(大神様になったら目が悪いはずはないのではという考えが頭をよぎりました)、おそらく自分の妄想だろうと思ったその瞬間に言葉のような意識なような感じで「(今見ているものを)信じられるか?」と開祖から問われました。慌てて「今は御祭の最中なので(魂清浄を唱えている最中なので)信じます」と答えたように記憶しています。
その瞬間にご神前に座っておられた天霊師の唱える魂清浄ののりとのスピードがゆっくりになり、奉賛会の方々もそれに合わせてゆっくり唱えるようになり行が終わりました。まるで私が映像を見終わった事を天霊師が知っておられたかのような絶妙なタイミングで正直驚いていました。


私個人はたまに行の間に色々映像を見ることがあっても、その意味は後で現実の生活の中で教えて頂けるからとあまり気にしないようにしています。それはこれまでに霊能者のような方々の姿を数多く見てきたからです。色々見ておられても現実の姿がそうでない事を教えてくださる方が多く存在します。
正神の大神様方は必ず現実の姿で教えてくださるものですので、私は出てきた結果を信じるようにしています。

しかし、今回の映像は衣服(金袍?)の柔らかさや眼鏡のガラスの透明さや厚みまで測れるくらいリアルでしたので、大國主大神様の石像(通称:お姿)の重い軽いで確認してみました。すると結果は大神様が見せてくださった映像ということでした。有難いこととは思いながら今でも夢でも見たような心地で正直実感が湧きません。お姿を見せてくださる意味は追々分かるのではないでしょうか。


9月1日に行われる天霊師生誕祭は月々の御祭とは異なり、「大祭」に当たると聞いています。
魂清浄の神法とは ①17霊界を信じられること ②魂清浄ののりと(1〜10魂清浄)を唱えられること ③天霊師(生きている方)と直接的間接的に関係を持っていること 
これら3つを保持できて初めて大國主大神様が動いてくださるという大神様との「約束」になっております。これを三位一体と言います。
(分派では③天霊師と関係を持たないために、三位一体が構築できず、正神の大國主大神様が動いてくださらない)


以下は私見ですが、
17霊界が完成したのは1959年6月16日です。魂清浄ののりとの言葉(1〜10魂清浄)はそれ以前に決められていた様子です。
最後に1960年9月1日に天霊(職)として神格位1階位が授けられて、上記①②③の体制(三位一体ともいいます)が完成したとも言えると思います。
そういう意味では、天霊師生誕祭(9月1日)とは、「魂清浄の神法が完成した日」ということもできるのではないかと思います。それ故「大祭」として位置づけられているのではないでしょうか。