開祖天霊師は「魂清浄の神法はあらゆる宗教の頂点である」と宣言されておられます。
昨今、「信仰、宗教」という言葉を使いますと、なかなか人が集まらないというような思惑が手伝ってか、「新しい霊的なシステム」「霊的な医術」などというような信仰という面を切り離した説明をする方がおられるようですが、これでは魂清浄の神法において最も重要な「大國主大神様への信仰」という事が希薄となり、本末転倒となる恐れがございますので、余程注意が必要です。
繰り返しとなりますが、天霊神霊研究所は病気治しの病院ではなく、あくまでも目には見えない「大神を教えるところ」「大神に仕えるところ」であります。
人は何故「信仰」するのか? それについて開祖天霊師は「不安を解消して頂くためである」と極めて明快にお答えになられています。
自分自身の体内の迷霊が少なくなれば、目の前の問題についても、大神様の御導きが分かるようになり、そのため自分の迷いがなくなり、迷いがなくなれば不安もなくなる、と仰っておられます。
実際に天霊神霊研究所の二代目天霊師の元で地道に行を続けてまいりますと、日常生活の中で不安になる事、心配する事が少なくなっているという声がよく聞かれます。大神様にすがったり頼ったりするような心持ちではなく、気がついてみるとそのように穏やかで平静な心持ちになっていくようです。そのため不安から慌てて行動をとったり、焦りや恐怖心からガツガツするようことが少なくなってまいります。こういう状態が続いていることを「毎日が正月」と言うのでしょう。不安の多い時代の中ではこれが ”何より” なのではないでしょうか。
<開祖天霊師の講義録より抜粋>
信仰とは私たちの不安から解消していただくのが全てです。私たちが信仰する、大神様に従って行く、こういう事は日常の不安から解消して頂く為に信仰をなさるわけなんです。よろしいですか。それには不安から解消するために信仰はあるわけですから、皆さん方、迷ってはいけない。魂清浄を一生懸命唱えて頂きますと必ず大神が皆さん方の後についておる。「あっこれはこういう風にしなさい」「こうするとそれ以上儲かるぞ」あるいは「お前はこうすると損があるからこういう事をなさるな」。常に大神が皆さん方を見ていて頂きます。それはまあ人間、罪の子ですから・・確かに時には自由にはさしてくださいます。他に迷惑をかけない事ならどんなことをやってもいいと言うんだから、(自由には)さしてくれますけどポイントだけは大神が焦点を絶対に狂わせないようにしてあるのが魂清浄の神法でございます。よろしいですね、これを忘れちゃだめなんですよ。
それには自分自身の体の迷霊を少なくするという事です。迷霊を少なくするということは自分本来の姿になれば大神様の仰る事がすぐ分かるわけです。ね。ツーって言えばカー。だから迷わなくてよい。迷わなくてよければ不安がないと、こういうことなんです。よろしいですね。