2011年11月27日

迷霊

「霊」という字は、何かおどろおどろしい感じで一般的に好まれる字ではないように思います。生物が生きているということは肉体を動かす存在「霊」と呼ばれるものがあるという事です。例えてみれば肉体が自動車で、霊は運転者です。死ぬという事は自動車が無くなる事で、運転者までいなくなる事ではありません。「霊」は永久に不滅という事です。

昔、TVで死後の世界の特集をやっていました。死にかけた人が奇跡的に行き帰り、その時に見た死後の世界を語っていました。花畑のような所を歩いていて誰かに呼ばれて戻ったら生き返ったとかいう感じでした。でも死後の世界があるのでしたら、なぜあちこちで霊を見たという話が後を絶たないのかと不思議に思います。

初代天霊師はこの分野の研究を行い、理路整然と説明されています。
全てのものには霊魂が宿り(石ころは除く)、死後には17霊界に行く。17霊界に行くためには魂清浄の祝詞を唱える必要がある。人間が魂清浄を唱える事により動植物はおろかアメーバ菌類に至るまで全ての霊は大國主大神によって17霊界に誘導されるというものです。(17霊界が創設される話はいずれまた)

表題の「迷霊」とは、まだ17霊界に行っていない霊の事をそう呼んでいます。犬霊でも杉の霊でも、どんな霊でもこの地上にいる霊は迷霊と呼ばれます。全ての霊は17霊界に行かねばならないと大國主大神様による鉄則が全ての霊に伝えられています。それでも迷っている霊が迷霊なのです。言ってみれば大神様に対して罪を犯しているとも言えるでしょう。

迷霊の住処というものがあります。最もポピュラーなのは、「人体」です。人のみならず色々な動植物の体内に迷霊が入り込んでいます。

2011年11月20日

浄めの塩

人間の体にもっとも必要なもの、それは水です。人の体の60%以上は水分で出来ているといいます。では次に大切なものは何でしょう?これは人によって答えが異なるかもしれませんが、私は「塩」ではないかと思います。

開祖天霊師は第二次世界大戦中に東南アジアで戦って来られた方ですが、任地に向かう前に偶然読んだ本から塩の重要さを知り、実際に塩を大量に持参したおかげで、ご自分も部下も生き長らえることが出来たそうです。
平和な時代に生きる私たちが塩のありがたみを感じることは難しいのかもしれませんが、一週間塩無しでやってみろと言われると何となく結果を想像することが出来ますね。

魂清浄の神法では、魂清浄の祝詞(のりと)を唱える行を終えた後に、塩で浄めた水を飲むことにより体の中を浄めます。コップに入れた水に浄めの塩(自然塩)をひとつまみ入れて飲みます。このとき使用する塩は普通の塩でも可能だそうですが、天霊師の道場で浄められた塩を使いますと非常に大きな効果があります。この浄めの塩は、天霊神霊研究所で1袋200円で購入することが出来ます。国産の上質な自然塩が用いられています。粉雪みたいにさらさらです。

ここで2つの大切な約束事があります。
1つめは、「朝の塩買いは家が栄え、夜の塩買いは家が滅びる」という大神様の教えのように、塩を購入する時間帯は「午前中」が望ましいということです。実際に天霊神霊研究所では正午以降に塩を購入することが出来ません。道場で行に夢中になって、昼12時の時報がで気がついて、「今日も塩を買えなかった」と頭を抱えたりすることが良くあります。実は、夜の塩買いをしてしまった時の除法もあるのですが、ベストな選択ではありませんのでここでは述べません。皆様のお家が栄えるよう朝早く購入するように心がけましょう。

2つめは、塩をコップの水に入れる時の「塩のつまみ方」です。普通、塩を少しだけつまむ時には親指と人差し指でつまむと思いますが、魂清浄の神法の場合は、かならず指3本でつまむそうです。親指、人差し指、中指の3本です。3拍手といい「3」という数字には何か特別なものがあるのでしょう。そのように決まっています。

浄めの塩(国産の自然塩を浄めて頂いたもの)

2011年11月19日

十七霊界(じゅうななれいかい)

魂清浄の神法には、欠かす事の出来ない大切な3要素があります。

一つめは、魂清浄の祝詞(のりと)を口に出して唱える事。
二つめは、天霊師(開祖天霊師、二代目天霊師)に直接的、間接的に繋がっていること。
三つめは、今回お話しする17霊界を信じる事です。
この3つの要素が一つでも欠けると、魂清浄の神法は機能しないようになっています。

日本古来から伝わる神道(主に神社で行われています)では、人間が死んだ後に行くべき霊界が用意されていると教えて来ました。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、高天原(たかまがはら)、根の国(ねのくに)、底の国(そこのくに)の3つの霊界です。

ところが、この3つの霊界は人間の霊のみが行ける霊界であり、その他の動物植物アメーバ菌類等の霊達は現世に放置されたままでした。そのため様々な弊害が起きている事を修行で感得されたのが開祖天霊師でした。
開祖天霊師の修行と祈願が元となり、天地宇宙神、大國主大神のご尽力により、霊界の再編成が行われて、全ての霊が行ける17霊界が1959年6月16日完成しました。

以下に17霊界の詳細を記しました。魂清浄の祝詞(のりと)を唱える事により、「迷霊が17霊界に昇天する」ことを信じる事は、魂清浄の神法が機能するために重要なポイントです。

2011年11月18日

拝礼

大國主大神様への拝礼の方法が決められております。ご神体である魂清浄の色紙の前に座って決められたご挨拶をしてから行に入る訳です。拝礼の仕方は開祖天霊師が文書にも残されています。他にも祭式の方法、着衣の種類,献撰の方法に至るまで細かく決められておりますが、これを見ると神社神道とは異なる点が随所に見られます。全て大國主大神様とのお約束によるものです。ここでは詳細は省きます。

「二拝三拍手一拝」 これが大國主大神様にご挨拶する時に行う拝礼の方法です。

「拝」とは、正座してお辞儀をする訳ですが、簡単に言えば平伏に近い姿勢と言えると思います。つまり少しだけ頭を下げる訳ではなく、しっかりと頭も体も倒します。一番大切な事は、頭を下げている「時間」です。「拝」をする時には、約「3秒間」頭を下げます。頭を上げる時は少し早くても構いませんが、下げている時間は「3秒間」と決められているそうです。この3秒間という時間は、短いようでいて、実際にやってみると意外と長く感じられると思います。けれども心を込めるためにはちょうど良い時間ではないかと思います。

もうひとつ、拝の時には両手の親指と人差し指は畳に付けてはいけません。そのため拳を畳に付けて親指を前に向ける形となります。行の後に水を塩で浄めて飲みますが、指に畳の汚れが付かないようにするための工夫ではないかと思います。

三拍手とは、三回拍手する事です。当たり前ですね(笑)けれど当たり前ではないのです。日本の神道では基本的に「二拍手」が基本だからです。出雲大社は封じ込めの「四拍手」ですので例外です。魂清浄の三拍手は大神様、自分自身、その他の方々の三つを表しています。魂清浄の神法は一人千人の修行(一日千日の行ともいいます)と言われており、他の方々にも恩恵が及ぶという行です。そういう意味でも「他の方々」が入ってくるのでしょう。三拍手というのは珍しいと思います。慣れて来ますと、二拍手では物足りない感じます。

2011年11月15日

紙垂(しで)

紙垂(しで)は和紙で作られたもので、写真のものは山梨県産の旦紙(だんし)で出来ています。
紙垂は神社の鳥居や戸口によく貼ってありますが、これが貼られた建屋の中に大神様がおられるので、迷霊が入れないようにする働きがあります。中からは出られるが外から入れないという「一方通行」の標識みたいなものです。
紙垂の形は宗派(?)によっていろいろあるようですが、魂清浄の神法で使用される紙垂は、形も寸法もきちんと決められており、開祖天霊師が決められた形は出雲の大社と同じものだと聞いております。米粒か糊で貼るものであり、セロハンテープの使用は御法度です。貼る場所は玄関に3枚、神殿に3枚、各窓の内側に外に向けて1枚、トイレの内側に外に向けて1枚だそうです。玄関に貼れない場合は神殿に3枚貼ってあれば良いです。

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