私が大神様から言われてすることであって、それ以外の事を私はしていないつもりだけど。まあ、人生1才から始って何才までこの世に生き長らえていけるか知らないけれども、生まされたというか生んで頂いたというか、この世に生まれてこの年(当時86歳)まで生かさして頂いて、色々見聞きしてね、体験さして頂いた、一つの人生ですね、お互いが。
それは大神に対して、お礼を常日頃申し上げて、人生を送る。「俺が生まれて来て俺の人生だ」と言うのではなくて、大神樣方から御授け頂いた人生で、色々気が付き目につく事があったならば、これを大神の御神示だと思って履行していくという事が一番の人生だと私は思って今日まで生きて来ている。
だから、今あちら(17霊界)へ、身罷られてもこれは神の御神示だと思って時を過ごしている。だから皆さんもその様な気持で、生きるも死ぬもこれは自分の考えじゃないね、大神樣方のお計らいというか取り持ちというかね、それで日を送っている。着るもの、食べるもの、すべてが神から御授け頂いているということだね。だからあまり欲張らず、かといって施しという線に於いても、これも難しい事ではあるけども、自分の力、人力に於いて尽くせる事は尽くして世を送っていく。あまり我利我欲はあまりしない様に、授かったらば施す、これが大神樣方の教えだと私は思ってお仕えさして頂いてるんだけど。まあ、より美味しい物を頂くとかね、より良いものを着るとか、こういう事は二の次にして、 自分が食べたり着たりしている事が今、出来ているならば、それ以上に物があれば悩める者に施すと。どれだけ我利我欲を欲しいままにしたって、あの世へ行くにはそんな物は必要無いんだからね。自分の食べるものとか着るものとかが補充されたならば、あとは悩める者に施してね、助けて上げる、だだその施された者が十人十色でね。俺は動かなくてもいいんだ、施して貰っていればいいんだという奴も居るしね。その内の八割はそういうのが多いんだよね。二割は施してあげよう、俺がこうしてやっていられる事は大神様の御蔭だからと施すのは二割位。施してもらって当り前だと思っているのは八割。今の世の中は、そういう人類が多い。尽くせと言うよりか尽くしてもらうという方が多い。
まあ、幾世代、一つの世代も終るかもしれん、また、私より前の世代の人が施して来てるかも知れん。先代の人は、自分(二代目天霊師)が(先代に)生きてないから分らないけれど、その様にして順送りになって来ているんだよね。だから、我欲も必要かもしれんけど、ほどほどにして、自分が、我欲が満ちたならば、今度は人に施して、ただ施される者も、まともに生きずに施されるのが幸いだなんてのが世の中八割だね、施してもらえばやりたい放題して、施されて、あはは安気だ、安楽だというのが八割、二割が施してあげてる方だから、その時点の見境が大変だね。
ただその八割は、目が見えて施さんで生きてる時はいいかもしらん、あちら(17霊界)へ行ってからが大変だよね。そんなことし てて、あちらへ行ってから大神様は許さんと思うね。だからこの世に於いて施されて幸せな人生を送って、あちらへ行ってもその様な人生を送れるかと思うとこれは間違いで、やはりこの世に於いて尽くして、初めてあちらへ行って施されるという事ね。まあ、生きている人生なんてものは知れたものだね。百年も生きられないんだから、七、八十年、生きればいいとこ。ところが、あちらへ行ってからは、何百年何千年になるのかは、私もまだ行っていないから分らないけど、そうじゃないかと思うんだね、私は。
だからあちら(17霊界)へ行ってからの時代が長い、その時は生きてる頃の見返りを受けるから、やっぱり、この世にある限りは最善を尽くしてからあちらへ行くという事だね。人生なんてものは、七、八十年でしょ、百年までは生きられないと思うけれど、百年を生きたとしても、あちらへ行ってからは、何百年何千年になるのだから、みんなこの七、八十年を目度に、何も人に施すなんちゅうのは二の次でね、自分が生きるには、それなりの人生があるから、自分の事をね、人の事は二の次にして、自分の人生を生きればそれが一番だと思うね。
みんなが自分の事も出来ないのに人に施すなんていうことまで言ったら、人に施すなんていう事は、どこまでやればいいのか、そんなことはやり尽くす事は 出来ない事だから、まずは自分の事を、人に迷惑をかけん様に、自分の事を自分で尽くすと。食べるものから着るものからね、人に迷惑をかけてはいけない、それに尽きたら今度は人に施すなんて思う様な人もあるかもしれんけど、それも必要かもしれないけれど、そんなことは余計なことで、まずは自分の事だけを目一杯、人に迷惑をかけない様に人生を送れば、それが一番だと私は思って生きてるんだけど。人に施せるだけになれば偉いものだけど、(普通は)自分の事だけで目一杯だな。
ただその八割は、目が見えて施さんで生きてる時はいいかもしらん、あちら(17霊界)へ行ってからが大変だよね。そんなことし てて、あちらへ行ってから大神様は許さんと思うね。だからこの世に於いて施されて幸せな人生を送って、あちらへ行ってもその様な人生を送れるかと思うとこれは間違いで、やはりこの世に於いて尽くして、初めてあちらへ行って施されるという事ね。まあ、生きている人生なんてものは知れたものだね。百年も生きられないんだから、七、八十年、生きればいいとこ。ところが、あちらへ行ってからは、何百年何千年になるのかは、私もまだ行っていないから分らないけど、そうじゃないかと思うんだね、私は。
だからあちら(17霊界)へ行ってからの時代が長い、その時は生きてる頃の見返りを受けるから、やっぱり、この世にある限りは最善を尽くしてからあちらへ行くという事だね。人生なんてものは、七、八十年でしょ、百年までは生きられないと思うけれど、百年を生きたとしても、あちらへ行ってからは、何百年何千年になるのだから、みんなこの七、八十年を目度に、何も人に施すなんちゅうのは二の次でね、自分が生きるには、それなりの人生があるから、自分の事をね、人の事は二の次にして、自分の人生を生きればそれが一番だと思うね。
みんなが自分の事も出来ないのに人に施すなんていうことまで言ったら、人に施すなんていう事は、どこまでやればいいのか、そんなことはやり尽くす事は 出来ない事だから、まずは自分の事を、人に迷惑をかけん様に、自分の事を自分で尽くすと。食べるものから着るものからね、人に迷惑をかけてはいけない、それに尽きたら今度は人に施すなんて思う様な人もあるかもしれんけど、それも必要かもしれないけれど、そんなことは余計なことで、まずは自分の事だけを目一杯、人に迷惑をかけない様に人生を送れば、それが一番だと私は思って生きてるんだけど。人に施せるだけになれば偉いものだけど、(普通は)自分の事だけで目一杯だな。
2012.12.9 二代目天霊師 談