2020年11月8日

霜月の御祭

 本日は本部道場の霜月の御祭でした。日曜日ということもあり全国から大勢の奉賛会会員の方々が集われました。北海道の会員の方も泊まり込みで来ておられました。まさに「信仰に距離感なし」ですね。

2021年5月から2022年10月にかけて初級研修会と高等研修会が並行して行われると天霊師からご連絡がありました。両研修会合わせてトータル53日間に及ぶという事でこれはもう一大イベントと言えるでしょう。魂清浄の神法はそれだけ学ぶ事があるという事だと思います。講義を聞いているだけでも体内の迷霊が昇天すると言われております。天霊師と講義を担当される方も相当のエネルギーを要することと思います。私もできる限り参加をして心身ともに清めたいと思います。


直会では良き仲間たちと随分昔の話をしました。私達は魂清浄の神法の道に入り長い年月が経っており、皆一人一人が確実によくなっている事をあらためて感じさせられました。皆自分の事はなかなか分からないでしょうが、近くで長く見てきているからこそ分かる事があると思います。同時に、魂清浄の神法から外れてしまったかっての仲間たちの近況を伝え聞き気の毒に思う事もありました。皆たった一回の人生であり、それぞれが選択の連続の中で生きています。人生の岐路とはよく言ったもので、私達は大國主大神様にお仕えする道を自ら選択したのだと思います。

天霊師の元で長く魂清浄を唱えてこられた奉賛会会員の皆さんは、山あり谷あり失敗も遠回りもありましたし、今現在も探せば皆人間ですから問題点や不安が問題点は見つかるのでしょうが、人生トータルとして見た時に幸せか不幸かと問われると、皆幸せの方に手をあげるのではないかと思います。今後良くなると信じる事ができるからこそ魂清浄を唱え続けられるのだと思います。

魂清浄の神法では急にいろいろな結果が出ると言うよりは、徐々に良くなりこれを継続する事で末広がりに良くなるように思います。振り返ってみるといつの間にか問題が消えている事が多いです。その時は必死なのですが良くなってしまうと忘れがちになり、自分ではこういう数々の恩恵の上に成り立っているという事になかなか気づけない事が多いようです。

もしも、魂清浄を始めたばかりの数十年前の自分自身に出会う事ができるのであれば、今の自分の姿を教えてあげたいと思います。当時抱えていた問題は全て解決できているよと。だから安心して大國主大神様にお仕えしなさいと伝えるでしょう。

今日は家に帰ってから家族と共にこの長い年月を振り返って語り合い、直会をさせて頂きました。


2020年11月1日

英勲

山梨県甲府市富士見の 天霊神霊研究所本部道場では、祭式の時に京都市伏見区の酒蔵である斎藤酒造の「英勲(えいくん)」を御神酒として使用いたします。これは開祖天霊師が特に決められたことと聞いております。

以前、斎藤酒造では11月に蔵開きのイベントが行われていまして、近隣の伏見の酒蔵も同日に開催されるものですから、あちこちの酒蔵を廻られる方々が試飲で酔って幸せそうにフラフラ歩く姿が何とも平和的にうつったものですが、今年は新型コロナのためイベントは無期延期ということです。

以前の記事:https://konshojo.blogspot.com/2017/11/blog-post.html


今年は蔵開きがありませんので、その代わりに蔵開き限定商品(しぼりたて生原酒)がネットで購入可能です。本日締め切りなので飲んでみたい方はチャンスかも。

http://moromine.shop-pro.jp/?pid=109900312




2020年10月10日

「仕える(つかえる)」精神が神法の真髄

本日たまたま天霊新報を読んでいましたら、秋季大祭での行の中で教えて頂いた「大神に仕える」という事について記事が出ておりました。この記事は当時の会員の方が投稿されたものですが、よくまとまっており私が感じた事がそのまま記載されている部分がありましたので、参考としてこれを抜粋し、現代の仮名遣いに直したものをあげさせて頂きます。


「仕える精神が神法の真髄」(天霊新報第41号 昭和49年6月8日発行)


神法を慕ってこられ、病気、商売、運勢等を伺いに来られた方達に、大神は霊媒を通じて種々ご指導をした後でそれを解決したければ「どうだわしに仕えてみないか」と必ず言ってくださる。

大神に「仕えてみないか」と言われるのであって、わしを拝めとか、信心信仰しろとは言われないようであります。この点が大変微妙で含みの多い言葉のようであります。従来の宗教や有難いと自称する神々とは大変違っている事に気づくのであります。

正神の大神の「仕える」と言われる御心を考えてみたいと存じます。

現在の人間はテレビ、マスコミの情報網を通じてあまりにも安価に種々の知識が吸収されるのに慣れすぎ、中には猥雑な知識が多くて、これに非常に害されているようである。あまりにも世の中が安直であるかのように考えている人が多くなってきて世界にはまだ自分の理解できぬ深い秘密が多く隠されているという感情を失ってしまっているようであります。

全ての事が人間には分かってしまっており、全ての人間は皆自分と同じ浅い程度の知識の人間である。現代人は皆同じようなものと信じているようであります。全ての人間の同一性という信念は最も浅く低いところで考えているようであります。その魂の中に言い換えれば人格の中に無限に深いものを秘めている人間もいる。また、そのような人の魂の深さを学び取ろうという人生観を現代の人はすっかり忘れてしまったようである。魂の深さを学ぶ取るために「入門」という仕組みがあったのであります。

この「入門」も最近は安い本で何でも入門書が出ているのは前述のように誠に世の中が安直になっているのであって、このような本一冊で何が師と仰ぐ人の魂の深さまで学びとる事が出来るものかと思われます。「入門」という事には人格的な響きが含まれている。師の客観的な学問あり、芸術だけではなく師の人格の中に凝集された学問芸術を学びとる事であり、人格を学ぶために師の門に入るという事でありましょう。

「入門」という事はそれ故に非常に厳しいものがあろうし、その門に入れば、そこの権威と価値体系に従って新たな出発をしなければならない。宗教的にいうなら汚れた世俗から縁を切って、そこの権威と価値体系に従うという事になる。それに馴染めない人は元に帰らさせられる。すなわち還俗であり破門であります。

神社の門、すなわち鳥居を入るという事は入門であります。神社の門すなわち鳥居はいつでも開かれており、誰でも自由に入る事はできる。そこから清浄な世界、神の世界が始まるという「しるし」でありましょう。鳥居をくぐった人が心を清めて玉砂利を踏んで本殿に近づき心を高めて神様に尊敬の念を捧げるという事になるのであって神域に入って神の心に合えば「入門許可」でご指導ご加護があるであろうし、神の心に合わない人は還俗、破門という事で神は相手にしてくださらないという事ではないでしょうか。

ここに前述の大神が「仕えよ」と教えられる大神の御心というか御意図を充分察して大神に接する人間側の心の持ち方、考え方の大切な点があるのではないでしょうか。

形や作法がいかに真剣真面目そうでも大神に通じる精神のない人は内容的には破門、還俗させられるのと同じ事だからなのであります。

現代人の多くが失ってしまった感情が「尊敬」の感情であり、この基本となる数霊(かずたま)の教えるところの「順序」、「序列」の考え方の欠いている事であります。仕える心組みの基本条件は「尊敬の念の有無」にありましょう。尊敬の念と言っても相手のある事で尊敬に値しないものまで尊敬するという事は盲従(もうじゅう)の尊敬だから本当の意味の尊敬とはならない。尊敬に値しない迷霊を尊敬する各種迷霊宗教がその一つの例であります。

大神の言われる「仕える」という観念は封建社会における君と臣下、主人と雇われ人の関係のような仕えるではなく、師弟の関係でもなく無理に例をとるなら親子の関係ごとき「仕え」でありましょう。この世のものは全て大神様方の創造され運行されているのでありますから人間とても大神のつくられ生かされているものであり大神の御心は創造された全てのものが我が子であり、子は調和を保って繁栄する幸福を願っておられると同時に自然神、人格神のすべての神々がこの為に日夜お働き続けてくださっているのであります。俗な言い方をすれば人間と大神との関係は親子の関係に近いものであり、人間は親たる大神に仕えるのが当然の道であります。

魂清浄の神法の信奉者は当然の事を当然行っているのでありますが、現代は当然の事すらできない輩(やから)の方が多い世の中であり、ひどいのは親を養老院に送り込むのが当然の事のようになってしまったほど世の中が狂ってしまってきているのであります。

ましてや大神に仕えるという人間としては当然のつとめができなくても少しも不思議ではないような世相になってしまっているのであります。間違った狂った人間の方が多いので正しい当然のつとめをしている神法の信奉者が肩身の狭いような思いをするようでは困ったものであります。自信を持って堂々と邁進してもらわねばなりません。

人間界では親より子の方が立派であり、よく子が家の親は尊敬するに足りないなどと家庭内で紛争を起こす事もありますが、神様方は最高絶対の存在ですから人間の方が立派だというような紛争の起こる心配は全くなく常に安心して尊敬できるものであります。人間においては人間は皆不完全な存在で全てが日に日に進歩発展してゆかねばならないのですから後からこの世に出てきた子供の方が親より進んでくるのが当然でありまた、これでなければならないのであります。

しかし、子供の方が進んで立派になっても数霊(かずたま)の順序からいえば親は親であり、子供は子供なのであって、この真理は変える事はできないし、子供が親に仕えるのは当然であるし神の理(ことわり)であります。真理に合う生き方をすれば当然繁栄するし、真理に反した生き方をすれば破滅がまているという事も、また理の当然であります。

世の親は大神ほど立派ではないから仕える方からすれば難点もあるかもしれないが仕える気持ちは、まず親に仕える事から現世的に身についたものとなるのでありましょう。

大神方の御心は救霊であり救人であり、すべてのものが調和と平和と繁栄の現世を送ることを願っておられるのですから、この御心に合う修行をする事が大神に仕えるという事でありましょう。

まず祈言(魂清浄ののりと)をあげれば大神達が迷霊を昇天させてくださって霊の救いができる。同時に人間の体も本人霊も清まって健康で能力を十分に発揮できるようになり幸せになるという事であります。神の与えられた寿命と財を十分現世で消費尽くす事が一番孝行であると教えられているのですから大神の望まれている人間になる努力がすなわち大神に仕える第一歩でありましょう。ですから祈言を上げて修行をするという事は、病気を治してくれ、商売をうまくしてくれと御利益目当ての心構えでやるのではなく、素直に大神に仕える心構でやれば、その使える心を愛でて大神が働いてくださるから御守護が出てくるという順序になるのであります。

ところがとにかく初歩の方は御利益を授かりたいから大神のところに来るのであります。ご利益だけの目的の修行は心の奥に「神を利用する」「神を使う」心がある。このような心が見えるから大神も用心されて本当に本腰を入れて働いては下さらないから試しに見せてくださる程度のところで足踏みをしてしまって多く授かる事はできない。

ですから、御利益を多く望む人は、まず人間の方から誠心誠意素直に大神に仕えることであります。

すなわち、「仕える行」をして大神から信頼される人になることでありましょう。

大神が本当に信頼してくださったら予想以上のお力もご利益も授かることは間違いありません。大神に仕えるということは救人救霊の行をすることであり、神法を広めることであって人に仕えることではありません。ましてや迷霊に仕える類の行をしてはなりません。

今のところ残念ながら大神は、殆どの人間を信頼されてはいないのではないでしょうか。大神から信頼されるような修行をしている人がいないという事と大神がある程度期待をかけられても途中でこの期待を裏切るようなことをしてしまう人間が多いということでもありましょう。このような御体験をいくつもしておられるので、現在の人間は全く信用しがたい連中ばかりだと嘆いておられるし、大神の方で修行している人達をテストされている期間のような気がしますがいかがなものでしょう。

現在は柱になる人の養成期間であると大神が教えている真意もこの辺にあるのではないでしょうか。柱になってもらいたいと大神が期待されている方々の責任は重いと存じますので自重といっそうのご努力を願いたいと存じます。神法の信奉者は皆身内であるという教えも、もう一度よく考えてみて貰わねばなりますまい。

大神を親とした身内は皆兄弟たち子供たちであります。力を合わせお互いに切磋琢磨しなければならないし大もとは一つであるから自分もそのもとにまとまらなければならない。兄弟が争ったり、上下の順序を無視したり、抜け駆けの功を競うような事は破壊と堕落への道であり、迷霊に操られている行為であることを悟らねばならないでしょう。

人の治しをする事も皆すべて大神の御働きであり、その人が自分の力で治すのではないことを十分知っておいて貰わねばならない。大神に仕え大神が使い易い人になる事が修行を積んだことになるのであります。決して自分の力であると思っても考えてもなりません。大神が使い易いようになれば日夜大神の指導が得られ迷霊の働く余地がなくなるからその人の日常生活の言行も一致してくるようになり、正しい人間としての言行が自然と身につくことになると存じます。言う事と行いが一致してきて自分の言行を後から弁解がましく言い訳しないで済むような人間にならなければならないはずです。

躾(しつけ)の事はあまり厳しくしなくても良いというような考えの人もいるようですが、修行ができて大神の日夜の指導が受けられ、大神の御心と一体でいられるような人ならとにかく、そうでない連中ばかりなのであるから、神の道に「入門」した者にはそれなりの躾も大切なことでありましょう。現世的に小笠原流の行儀作法をどうこうということばかりが躾ではなく、神の教えにのっとった躾は大事なことであり、それは人として日常生活に欠く事のできない躾であり、躾から修行の助けになる方法もあるわけであります。これも神理の一つでありましょう。人格の向上が修行目的の一つであることを考えれば当然のことでありましょう。

身内には身内として守らなければならない躾もあり、親に仕えるには親に仕える躾もあるはずです。大神に仕える躾も同じであって躾を軽んずる者が本当に大神に仕える心が掴める筈がないのであります。

大神に仕えることを本当に体得した者が修行ができた人であり、大神から信頼され現世の御利益も多く授かるし、良い現世の実績を残すことになるのでありましょう。重ねて言うようでありますが、大神に仕えるという事は、祈言を上げて救霊すると同時に自分も浄めてもらい、大神の与えられた寿命財産も十分獲得し有効に使う事であり、次にはこれを多くの人に伝えて救霊救人の運動を広める事であります。

よく自分がやって良くならなければ人にすすめられないという考えの人がおりますが、これは重大な誤りを犯しているようです。

本人はいかにも謙虚であり修行未熟とへりくだっているようですが、大神を信じ大神に仕えるという確信がないという事と大神を疑っている本心がどこかに潜んでいるのではないか、病を治す事も商売を繁盛させる事も種々の祈願を成就させて頂くのもすべて大神の働きである。人間が生きている事さえ大神の御力であって、この正神の大神に仕える修行をしている者が改めてその結果を確かめない内は人に話す事ができないという事は自分本位の考え方であり、大神の御力を疑っている心がどこかにあるから出てくる言葉ではないでしょうか。

人間の方から大神を全幅的に信じないようでは大神から信頼して頂けないのは当然であり、大神達が本腰を入れて働いてくださらないのも当然であり、誠に中途半端な修行、仕え方をしていると言わなければならない。本当にやるんだったら大神と真剣に取り組む覚悟でなければ良い結果も早くは出てこないのも当然の事であります。

大神に素直に仕える気持ちになればただ人に教えてやるだけで大神の御働きを受けられる人が出てくるのでありますから、救霊救人の大神様の御心にかなう行為をした事になるのであります。教えてあげた方がやるか否かはその人自身の実績に関係する事で、すすめた方の実績は大神様は十分認めてくださるのでありましょう。

その判断は大神様の下されるもので人間の勝手に考える問題ではありません。

大神に仕える行をするのは道場の神前で行をするばかりが行ではなく日常生活の場、職場で働く場所でやるのが大切であります。職業を通じ、日常生活を通じて毎日の行をする事が最も大切な事でありましょう。清い素直な心で大神に毎日毎晩仕えるならば、修行も大進歩すると共に授かるものも多く授かり、心安らかな平和な充実した生活が楽しめる事は絶対間違いありません。御精進をお祈りします。

魂清浄の神法を学ぶ

 三代目天霊師から来年度は幾つかの研修会を開催する旨をお伝え頂き、すでに大勢の方が参加を表明されているという事でした。奉賛会会員皆さんの神法を学びたい機運が高まっている事が伺えます。

読書の秋という事もあり、私もまた魂清浄に関連する書籍や天霊新報などを一から読み直しています。過去には全て暗記するまで読み込んできた書籍、資料もありますが、歳をとると忘れている事も多く、久しぶりに触れる内容に心を新たにする日々を過ごしています。

魂清浄の神法は、ただひたすらに魂清浄ののりとを唱える事で効果を得られるのですが、神界には鉄則があり、序列がある事、現世にいる迷霊の実態を知る事によっても、迷霊に汚染されている自分自身の立場を省みる事ができ、修行の目標をはっきりと見定める事ができるようになります。

この神法が後世に渡って曲げられる事なく、開祖が伝えられた内容を正しく教わり、正しく伝えていく事が肝要と思います。分派の指導者が同じ資料を用いて誤った教えを伝えている事も見聞きしており、資料の内容に拘泥する事の危うさを見にしみて分かっておられる方も大勢おられると思います。それを思うと、来年から始まる研修会では、天霊師という魂清浄の神法における正当な指導者に直接教えを請う事ができる幸せを思わずにおられません。


2020年10月8日

秋季大祭2020

 本部道場の秋季大祭に参加しました。台風が近づいており珍しく雨が降る大祭となりましたが、全国から多くの奉賛会会員が集われました。気候的にも暑くも寒くもなくしっとりした雰囲気の中で行に没入する事ができました。直会のお料理も何を食べても本当に美味しくて感謝いたしました。今日は何かしみじみとした有り難みを感じるようなお祭りとなりました。


数日前から自宅で魂清浄を唱えている時に「なぜ(今この瞬間に)魂清浄を唱えているのか」という問いかけのようなものが何度か来ておりました。自分が魂清浄を唱える「動機」とか「理由」というような理屈の話ではなく、もっと直接的に何故今唱えているのか問われている感じで、別に理由もない、今はただ唱えているだけです、と無意識の中に答えていたように思います。

本日の大祭中に魂清浄を一心不乱に唱えていると、大きな迷霊が次々体内から出て行く事が感得され、ひと段落した頃にまた同じ問いかけが来ました。その瞬間にこの唱えている瞬間とは「大國主大神様に直接お仕えてしいる瞬間」である事が理屈抜きに感じられ、肚にストンと落ちました。

私は毎日、大國主大神様に誠心誠意お仕えしている気持ちで生活しておりますが、今回の体験はそういう気持ちの面や理屈面ではなく、雑念が去った状態で魂清浄を唱えることは、リアルに直接的に大國主大神様にお仕えしている瞬間なんだと実感させられました。これが今回の恩頼(みたまのふゆ)だと思いました。

ずいぶん長い期間、毎日欠かすことなく魂清浄を唱えてきましたので、「今更ですか・・」という感もありましたが、多くの祈願を心に秘めて念じるように行をしている状態と無心で大神様にお仕えしている状態は全く異なるのだと教えて頂いたように思います。


人それぞれの役割があり、大神様からの教えられ方、教えられる時期もまた、人それぞれだろうと思います。大祭に教えて頂いたことには何か意味があるのだろうと思います。


2020年9月18日

世のため人のため

世のため人のためということは神事である。開祖のお言葉です。

魂清浄の神法を通じて、霊を救い、人を救いたい、思う。

CARRY HOPE. 希望を  運ぼう。




2020年8月17日

21日間の修行(本部道場宿泊)

以前、21日間の修行について記事にしたことがあります。2012/3/8記事

その際、21日間の間、本部道場に通うと記載したのですが、開祖天霊師の時代は本部道場に宿泊して行うように指導されていたという事です。これは本部道場に宿泊して夜寝ている間も含めて24時間体内の迷霊を昇天させ続けて頂けるため、体内の迷霊も逃げ場がなくなり観念して昇天するため行が進むのだろうと推察いたします。

そういう事情もあり、三代目天霊師も奉賛会会員に対して極力本部道場に宿泊して行をするように指導されており、宿泊修行される方が増えてまいりました。ただ、仕事を持つ身としてはなかなか21日間続けて宿泊修行する事は難しいので、今回お盆休みを利用して少し長めに宿泊修行させて頂きました。新型コロナの影響もあり他に宿泊者もなく心置きなく行に耽る事ができました。

毎日、三代目天霊師が行をつけてくださるのですが、3日目位から通常では出てこないような体内の深いところから迷霊が浮いては昇天していく様がよく分かるようなり、除霊石や竹鞭を用いてもその強烈な作用を体感する事ができました。たまたま、膝が悪い方に竹鞭を使用したところ(魂清浄の神法は体には触れません、今回は1m以上離れたところから使用)、一瞬、膝に激痛が走ったそうで、次の瞬間咳き込んでおられました。自宅などではなかなかこうはいかないと思いました。

この宿泊修行の期間に、脳内の掃除もしていただけたようで心境に変化が生じ、いろいろ模索していた今後の人生プランに思っても見なかったような洞察を得る事ができた事も恩恵だと思います。

受験、就職、結婚、妊娠、起業、転職、定年など一人一人の人生には多くの節目がございます。こういう節目により良き選択を行うためには正神の大國主大神様のご指導を受ける事が最善の道だと思います。人間には先の事はわかりませんので、一見有利な条件が後々本人のためにならぬ場合もございます。それゆえに大國主大神様の元で(本部道場で)宿泊修行する事により体内の迷霊の邪魔のない状態で最善の選択をする事ができると思います。

人生の節目に、21日間の間、本部道場での宿泊修行に挑戦して見られたは如何でしょうか。

2020年6月11日

本部道場宿泊

ずいぶん久しぶりの更新となります。新型コロナウィルス対応で公私共に忙しくしておりました。
水無月の御祭の前日から本部道場に宿泊させていただき、御祭の準備のお手伝いをさせて頂きました。御祭というものは当日だけではなく、その準備から始まっていると遥か昔に先輩にお教え頂きましたが、俗にいう「下座行(げざぎょう)」として大神様のために下働きをする事は必要であると思います。その後で気心知れた会員の皆さんと一緒に楽しい直会をさせて頂き皆それぞれ普段は見ることができない一面を見ることができ嬉しく思いました。

水無月の御祭は多くの方が全国から参加され、遠すぎて参加できない方のために特別にビデオ通話で御祭の様子を中継されました。直会の席上にて天霊師が仰るには昨夜ご神前で寝ておられた天霊師のところに人間の女性の霊と動物の霊、2体が17霊界に昇天する前に挨拶しに来たそうです。当日は数人の方が宿泊されていましたが、そのどなたかの体内にいた迷霊だということでした。迷霊も黙ってすぐに昇天すれば良さそうなものですが、わざわざ挨拶に来るというのは面白いと思いました。

今回、家族も本部に宿泊し御祭に参加したのですが、御祭の翌日に家族が言いますには、体内にずっとあったものが突然抜けてしまった感覚があるとのことでした。それが御祭の後、3日経っても変わらないということで体の中が若返ったような感覚があるそうです。これは本部道場に宿泊させて頂き、いわゆる「寝行」をさせて頂いた事が良かったのではないかと思います。睡眠中の無意識の状態の時に大神様が体内の霊を抜いてくださったのだろうと思います。本当に有難いことです。本部道場は他では体験できない事が体験できる場所だと思います。

2020年3月20日

孔子大神


キリスト大神、釈迦大神と共に四聖人に数えられる中国の孔子(孔丘:紀元前551年生)は神格位を授けられ大神様として十七霊界の第二霊界に鎮座されておられます。神格位は31階位です。(釈迦大神:38階位、キリスト大神:45階位)

最近、中国のTVドラマで孔子大神様を題材に取り上げているもの(全38話)を全部見させて頂きました。孔子大神の両親の出会いから孔子大神がお亡くなりになるまでが克明に描写されており、その生き様にいたく感動させられました。

このドラマの中には同じく神格位を授かって大神様になられている老子大神様との出会いも描写されており、若き孔子大神様が数々の貴重な出会いと苦難の中でどのようにご自分の道を開いていかれたのかがよく描かれておりました。機会がありましたら是非ご覧いただきたいと思います。

2020年3月8日

弥生の御祭

本日は本部道場の弥生の御祭に参加させて頂きました。日曜日という事もあり多くの奉賛会会員の皆様が集われました。現在、新型コロナウィルスが猛威を奮っており、出かける方も少ないせいか、遠方から来られた方々が仰るには高速道路も車がまばらだったそうです。そのような中をよくお出でくださったことと思います。

万が一に備えてマスクを着用されている方も多く、私も初めての試みではありましたが、マスクを着用したまま魂清浄を唱えてみました。万が一、自分が罹患している場合、他の方にご迷惑をかけないようにとの配慮からです。

マスクをしたままで肚を据えて魂清浄を唱えておりますと、初めは息がしにくいので往生しましたが、慣れてきますと目の前に壁があるような、頭から布団を被って唱えているかのような感覚になり周りが全く気にならなくなり、いつもよりも行に没入する事ができました。マスクで口が塞がれていると体内の迷霊が出にくいかと思いきや、手足をはじめ、頭部からも背中からも全身から迷霊がはぎ取られて出ていく事が感覚として感じられて非常に新鮮でした。途中、天霊師が除霊石を使用して奉賛会会員お一人お一人を浄めてくださいましたが、その時などは体に纏った迷霊をシャツのように脱ぎ捨てるような感覚がありました。脱皮するかのようで少し感動してしまいました。
こういう行は本部道場のしかもお祭りの日でないとなかなかできるものではないと思いました。

宗教というものは、不安を払拭するためにある、と開祖天霊師が講義の中で言われています。現在猛威を振るっている新型コロナウィルスの悪い情報ばかりを聞いておりますと、自然不安が大きくなる方もおられようかと思います。

三代目天霊師は本日の直会の席で、魂清浄は行を通じて導いていただく、と仰いました。何かに対して考えて対策を立てたり行動をしたりという事よりも、とにかく行を通じて大神様に「導いていただく」という事でした。

導いていただく、という事は、自分で何かを画策することではありません。
大神様のお導きに従って物事を行うということと思います。奉賛会会員としてできることは、ひたすら行をしてその中で気づいたこと、教えられた事を淡々と実行に移すということと思いました。その中には他の人の言葉に耳を傾けよ、文字をも含む、というお教えもつながってくるかと存じます。

2020年2月24日

開祖天霊師45年祭_開祖のリュックサック

本日は開祖天霊師が17霊界に昇天されて45周年の天霊祭でした。御息女の育子様ご夫婦も参拝されまして大層厳かな雰囲気の祭式となりました。

本日は最近活発になってきている新型コロナウィルスの影響もあってかそれほど多くの参拝者ではありませんでしたが、遠くから駆けつけて来られた方々もおられました。肚が据わってくると万難を配して神事優先の姿勢を貫くようになります。

このようにこじんまりした祭式も良いもので天霊師や奉賛会会員の方々と心ゆくまで話をする事ができました。直会の終わり頃に三代目天霊師がたいそう古いリュックサックのようなものを持ってこられました。

リュックサックが2つと長細い袋の全部で三つありましたが、リュックサックは白い帆布のような強い布で作られていました。いずれも泥汚れのようなシミだらけで紐などもあり合わせのもので繕ったような酷い有様でした。

三代目天霊師によると、これらは開祖天霊師が第二次世界大戦中にフィリピンセブ島に出征されて(昭和19年12月)終戦までセブ島内を転戦されていた時に使用されていたものという事でした。(写真撮影しましたが奉賛会会員のみでの公開にすべきものと存じますのでここには載せません)

三代目が洗濯されたという事でしたが泥汚れのようなシミは到底取れるようなものではなく、そのうちの一つは文字通りボロ雑巾のような状態でした。これを手に取ってみてフィリピン戦線の激しさを垣間見たような心地がしました。フィリピンセブ島のジャングルのような地域には今なお当時の日本軍が使用した基地のような場所があると聞いており、地元のフィリピン人の方たちもあまり近づかない所もあると聞いております。

今回、開祖が背負っておられたこれらのリュックサックに触れてみて、少なからず衝撃を受けまして、自分たちがいかに幸せなのかを噛み締めると同時に、多少の苦難があったとて如何ほどの事があろうかと思わずにはいられませんでした。

3つの袋は大層汚れてはいましたが、破れや銃痕などは一切なく、開祖天霊師が重傷を受ける事がなかった事を物語っているようにも思えました。開祖天霊師が無事に帰国されたのは大國主大神様のお導き、ご守護のお陰であった事は言うまでもありませんが、修行という側面もあったのであろうとの三代目のお言葉がありました。

開祖はこのフィリピンセブ島の転戦の中において、部下たちの体内から霊魂が抜け出ていく様を次々と目の当たりにされ、この体験がきっかけとなり復員後に一途に霊魂研究に入らざるを得なかった事を考えますと、まさにその通りであろうと思います。本日拝見したものがその時に使用していたリュックサックでありました。

2020年2月9日

如月の御祭、二代目天霊師一年祭

如月の御祭(8日)と二代目天霊師一年祭(9日)に参加させて頂きました。
8日の御祭の後に開祖と二代目の奥都城に参拝させて頂きました。夜は本部道場に宿泊させて頂き、天霊師と宿泊された奉賛会員の方々と楽しいひと時を過ごしました。

9日は二代目天霊師が昇天されてちょうど一年目にあたります。同時に三代目天霊師が天霊職を継承した日でもあります。よく晴れた日で素晴らしい富士山を拝む事ができました。
二代目天霊師は現在は守霊大神様となられています。我々奉賛会会員の事をいつも見守ってくださっている事でしょう。



2020年1月25日

有り難うございます!

この備忘録を始めて10年近くが経過します。今日で閲覧者が55555人となりました。このような超マイナーなブログに多くの方にお越し頂き感謝申し上げます。

人生半ばにして二代目天霊師に出会い、本物の魂清浄の神法を教えて頂き、現在は三代目天霊師の元で行を進める毎日です。日々学びを新たにする中で、思いついた事をただ呟いているだけのブログであり、後で見返すと恥ずかしい記事も多々ございますが、それもまた行の一過程として残しています。

読者の方が本物の魂清浄の神法、本物の天霊師に出会う一助となりましたらこれに勝る喜びはございません。この生ある限り天霊師を奉賛し続けていく覚悟です。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

2020年1月20日

松葉酒2020

今年も本部道場の正月の飾り付けの松飾りを頂いて松葉酒を漬け込みました。5.8リットルです。我が家では1年以上漬けたものを霊薬として頂いています。一昨年のものはほぼ飲み切りましたので、そろそろ一年前に漬けたものを封切りする予定です。

この松葉酒は独特な風味があり苦手な方もいらっしゃいますが、好きな方はとことん好きなんですよね。あくまでも霊薬ですので大量に飲む必要はございません。


2020年1月8日

閑話休題「花より実を取れ」

以前の記事に「花より実を取れ」という言葉について書いた事があります。開祖がよく口にしておられたお言葉と聞いております。たまたま同じ名前の本を蔵書しており、本の写真を載せた事がございます。
http://konshojo.blogspot.com/2017/08/blog-post_21.html

この本については天霊神霊研究所が創設されるよりも昔の大正14年に刊行されたものです。開祖が大正9年生まれ、二代目が大正15年生まれですから、その当時の本と言うことになります。小さな記事を一冊にまとめた本で明治末期の記事も含まれています。
当然ながら天霊神霊研究所とは何の関係もない本です。

熊本の横井小楠の流れを汲む女性教育者の方が刊行されたもので、明治生まれの方を形容する時によく用いられる「気骨」のある方が書いたものだと思います。当時の女性達の意識の改革を促す内容は今の時代に読んでも教えられる事が多くございます。

時期的には開祖や二代目の母親の世代の方が読んでおられたのではないかと思いますが、もしかしたらこの本を手に取って読んだ事があるかもしれませんね。
「怒るな働け。花より実を取れ」という著者自らの衷から出てきたと思われるお言葉には強い力が感じられます。

2020年1月1日

年送り年迎え大祭 2020

謹賀新年!今年もよろしくお願い申し上げます。

今回は12月29日から本部道場に宿泊行をさせて頂き、大祭の準備のお手伝いもさせて頂きました。本部道場は広いので多くの仕事があり、毎月の御祭の準備、直会の準備は非常に大変であるとあらためて感じました。通常は天霊師とご家族の方が準備をされています。月に一度の御祭に参加する事は奉賛会会員として最低限必要な事ですが、出来ましたら神事優先の姿勢でその準備のお手伝いに進んでご参加頂きたいと思います。会員として年季が入ってきますと、御祭に参加しているだけでは何か物足りないように思います。


今回の年送り年迎えの大祭では、三代目天霊師が開祖天霊師が着ておられた緑袍(りょくほう:緑の衣装)を身につけられて、はじめに年送りの大祭が行われました。0時を過ぎて元旦になってから、ご神前のお水を「若水(わかみず)」に変えて、年迎えの大祭が執り行われました。祝詞奏上を聞いている間にそれまでとは全く異なる雰囲気に変わっていくことが感得されました。これは毎年の年迎えの大祭で感じられる事で、正に新年を迎えている事を感じさせられます。ごく自然に心機一転し、新年に向かう心境が定まりました。


昨年2019年は本当に激動の一年でした。
2月9日に二代目天霊師(遠藤守霊師)が92歳で昇天され、二代目天霊師のご遺言により三代目天霊師(早川てつ霊師)に天霊職を継承されました。建設中であった新本部道場が完成し、春季大祭(5月)から新しい道場で祭式が斎行されるようになりました。スペースの広い新本部道場であり大勢の会員が宿泊修行ができる体制が整い、長期間宿泊行する方も増えてきております。秋季大祭(10月)に三代目天霊師が新ホームページで公開されました。

年送り年迎え大祭の直会にて天霊師、奉賛会会員の方々と一緒に昨年を振り返り、今年の発展について和気藹々とお話しする事が出来ました。大神様もこのような仲の良い雰囲気を祝福されているように感じました。振り返ってみて昨年は変化の年でしたが全て良い方向に変化しているように思います。今年は発展の年となることを予感いたしました。会員各自が行に没入し、大國主大神様から多くの恩頼(みたまのふゆ)を授かって頂きたいと思います。

天霊神霊研究所は「来るものは拒まず、去る者は追わず」の姿勢をとっております。
来るものは拒まずという「言葉」は、単に誰でも彼でも来てくださいという意味にも取れますが、実際には、三代目天霊師の元で正神の大國主大神様にお仕えする「覚悟」ができた方が「来るもの」の意味と思います(奉賛会会員となる事を意味します)。
この「覚悟」が無い方(名前だけ会員、他の宗教団体との掛け持ちなどを含む)については、魂清浄一筋、魂清浄一本にする「覚悟」ができていない訳であり、大國主大神様のおかげを多く授かる事は難しいのではないかと思います。
それは大神様は目に見えないが「実在する方々」であり常に私達人間の心境も言動も全てお見通しという事ですので、対人関係を大切にするかのように、対 ”神” 関係についても考えなくてはならないと思います。

去る者を追わずという言葉の中には、真剣に大國主大神を求めていない方は去って頂いて構わないという厳しい姿勢が見てとれると思います。こういうところも昨今の宗教団体のように名前だけの会員でも良いから一人でも増やしたいというような団体とは一線を画していると思います。
奉賛会会員のお一人お一人が現実に大國主大神様と縁を結んで頂けるところ、それが天霊神霊研究所です。大神様という相手のある事ですから頭を「魂清浄一本」にして望まない事には何も始まらないと思います。