明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
今年も皆さんにとって良い年となりますよう祈念いたします。
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天霊師(三代目) |
魂清浄の神法備忘録
今から9年前、2014年8月の記事に目が留まりました。どなたかの参考になるという事かもしれませんので、そのまま再掲載いたします。http://konshojo.blogspot.com/2014/08/blog-post.html
病気とは気を病むと昔の人々は云いますが、私に言わせますと「氣を病まされる」と申上げます。自分自身の霊以外の霊が居ります所が病気になるのです。
天霊神霊研究所の本部道場は山梨県甲府市にあります。
毎年この時期になりますと、山梨県の名産である桃が御祭の献饌(御神前に備える食品。主に野菜や果物を上げる)に上がります。御祭の後に、撤饌(神前から食品を下げて頂く事)された桃を参拝された奉賛会会員に頂く事ができるのが楽しみです。
特に今回の桃は、天霊師の奥さんの知り合いの無農薬で桃を栽培しておられる農家の方から来ているもので、味わいの深さが全く違うと思いました。無農薬の桃は高価でなかなか口に入りませんが、文字通り「格別」「別格」でした。
ところで、天霊神霊研究所では桃は「癌気をきる」霊薬として教えられています。その際、大切な事は「皮付きの桃」を食べる必要があるという事です。
霊的な観点では、癌の原因となる霊は麦霊、蟻霊、稲荷霊とされています。この内、蟻霊が好む成分が桃の皮部分にあるため、これを食べた後、蟻霊が一緒に体外に出て行くため、癌気が切れてくるという考え方です。これは桃を食べれば癌が治るという訳ではなく、あくまで霊的観点からの「予防」と思いますのでご注意が必要です。
今回頂いた桃のように完全無農薬ですと、皮付きのまま食べても安心ですね。その点でも本当に有難い事です。
天霊職の継承は、開祖から二代目、二代目から三代目に引き継がれてきました。
それらの継承の「後見人」として、開祖•丸山天霊師の次女である佐藤育子さんがおられます。
今回、育子さんのインタビューが実現しましたので、ご本人の許可を得て公開いたします。
開祖天霊師のお人柄、二代目天霊師、三代目天霊師への天霊職継承の経緯、開祖が弟子達の分派を予言しておられたこと等が語られています。魂清浄を唱える方は必見と思います。
インタビューリンク https://youtu.be/er6EwPOuKS8
ご無沙汰しております。本ブログを再開します。
しばらくお休みしている間に、天霊神霊研究所にはさまざまな出来事がありました。分派から移って来られる方もおられます。本当に良かったと思います。
分派(三代目天霊師と関係なく魂清浄を唱えている団体)に所属して魂清浄を唱えても、迷霊が寄ってくるだけで17霊界に昇天する事はできません。開祖天霊師がそのように説明されています。
分派指導者の方が、心地よい説得力のある説明をされようが、様々な霊験を主張されようが、正神の大國主大神様は関与される事は無いということです。
このブログが迷える分派に所属する方々をお導きする「灯台の光」になるかは分かりませんが、神縁のある方々に届くことがありましたら幸甚です。(このブログを通じて多くの方が三代目天霊師の元に駆けつけて来られた経緯がございます)
本日は本部道場で行われた天霊師生誕祭に参加させて頂きました。その間にこのブログに関する事が頭に浮かびました。
このブログは極めて個人的な備忘録なのですが、開祖天霊師から天霊職を受け継がれた「二代目天霊師(遠藤守霊師)」の存在を知らない方々にお知らせしたい一心で続けてまいりました。その後、「三代目天霊師(早川てつ霊師)」の代になり、このブログも開設して早10年が経過しようとしております。
この間、このブログを見られた分派の方々が天霊師の元に帰ってこられ、これまで魂清浄の神法をご存知なかった方々が奉賛会会員になられる事もありました。今ではそれら多くの方々が行や講習会に勤しむ毎日であり、皆それぞれに大國主大神様のおかげを頂き、安心して毎日の生活を送っておられ、さらなる飛躍を目指しておられます。
本日の直会の席にて、三代目天霊師にこのブログの役割は果たせたものと思いますので終わらせて頂きたい旨を申し上げ、ご了解を頂きましたので、これを以って本ブログは終了とさせて頂きます。長らくのご愛顧に感謝を申し上げます。
今後、魂清浄の神法についてお知りになりたい方は、以下リンクの天霊神霊研究所本部道場にご連絡を頂けますようお願いを申し上げます。
天霊神霊研究所本部道場(山梨県甲府市富士見二丁目7−8 TEL055-254-2481 )へのお問い合わせはこちらからどうぞ
今年の春季大祭が盛大に行われました。本当に良い天気で清々しい一年の幕開けとなりました。直会の後、いよいよ三代目天霊師の講義による第一回高等研修会が始まりました。この研修会は開祖天霊師の全講義録音を天霊師自ら文字起こしされたものが使用されており、要所要所で奉賛会会員の質疑に答えて頂く形をとっています。議論も活発に非常に良い講義となりました。この講義は魂清浄の神法の知識をつける事のみならず、この研修会自体が修行になっているということです。この研修会に出ることで霊が急激に昇天し、体調が変わるのがよくわかりました。しばらくすると体を調整していただき軽くなる感じです。この研修会は来年の秋季大祭まで約一年半かけて行われます。
本部道場の卯月の御祭に参加しました。今日も良い行でした。行の間に多くのことを教えていただいたようです。いつも行が終わるとすぐに忘れてしまうので急いで思い起こすようにしています。一心不乱に魂清浄を唱えておりますと必要のないことはどんどん忘れていけるように思います。魂清浄の祝詞の中にそういう事も織り込まれていると聞いた事があります。
来月、春季大祭から約1年半かけて三代目天霊師の代になってから初めての高等研修会が行われます。また、2回目の初級研修会も同時にスタートします。受講者の方はこの研修期間ずっと行をしている事になるそうです。とにかく楽しみです。お姿では全出席するように出るのですが果たして出来るものでしょうか。それができたら人生における一つのマイルストーンになるかもしれません。
本部道場の如月の御祭に参加させて頂きました。本日の御祭では行に集中でき、多くの迷霊が昇天する事が感得できました。直会では霊界誘導の祝詞について話が出ました。たまたま3日ほど前に自宅で魂清浄を唱えていた時に頭に浮かんだ事もあり、今日は15世紀の中国の思想家の霊を17霊界に昇天させて頂くよう祈願をしておりましたので 、そのような話題が自然に出てきて少し驚きました。支部長の方も思い立った時に霊界誘導の祝詞を用いて多くの霊を救っておられるという事でした。霊界誘導の祝詞を通じて大國主大神様に霊を救って頂く時には何らかの形で霊が昇天した事を教えてくださる事があります。今回の思想家も昇天して何らかの形で教えてくださるとありがたいと思います。御姿(大國主大神様の石像)の重い軽いでも確認は可能なのですが、私の場合は行の中で教えて頂く方が嬉しいものですから。
本部道場からの帰りに美しい富士山を拝む事ができました。たまたま本部道場が富士見という場所にあり、この近辺からの富士山は見事なものです。開祖天霊師も富士山が御好きだったと聞いておりますが、高さばかりではなく、その雄大な景色、存在感が日本一だと思います。そしてまた、魂清浄の神法も富士山のように並ぶものなき「頂点」であるという感を強く致しました。
今年も本部道場の松飾りを用いて 開祖天霊師直伝の松葉酒を作ってみました。今年は二升漬け込みました。
例年は果実酒用のアルコール度の高いものを用いているのですが、焼酎はどの銘柄を使うというような決まりがないそうですので、少しアルコール度の低い美味しいものを選びました。奄美大島の焼酎で「れんと」という銘柄を選んでみました。焼酎にクラシック音楽を三カ月間聴かせる「音響熟成」しているそうです。そのまま飲んでみるととてもまろやかです。http://www.lento.co.jp/product/lento.html
毎年松葉酒を漬けていますが一年くらい経つと何とも言えない良い風味が楽しめます。
本日は本部道場の霜月の御祭でした。日曜日ということもあり全国から大勢の奉賛会会員の方々が集われました。北海道の会員の方も泊まり込みで来ておられました。まさに「信仰に距離感なし」ですね。
2021年5月から2022年10月にかけて初級研修会と高等研修会が並行して行われると天霊師からご連絡がありました。両研修会合わせてトータル53日間に及ぶという事でこれはもう一大イベントと言えるでしょう。魂清浄の神法はそれだけ学ぶ事があるという事だと思います。講義を聞いているだけでも体内の迷霊が昇天すると言われております。天霊師と講義を担当される方も相当のエネルギーを要することと思います。私もできる限り参加をして心身ともに清めたいと思います。
天霊師の元で長く魂清浄を唱えてこられた奉賛会会員の皆さんは、山あり谷あり失敗も遠回りもありましたし、今現在も探せば皆人間ですから問題点や不安が問題点は見つかるのでしょうが、人生トータルとして見た時に幸せか不幸かと問われると、皆幸せの方に手をあげるのではないかと思います。今後良くなると信じる事ができるからこそ魂清浄を唱え続けられるのだと思います。
魂清浄の神法では急にいろいろな結果が出ると言うよりは、徐々に良くなりこれを継続する事で末広がりに良くなるように思います。振り返ってみるといつの間にか問題が消えている事が多いです。その時は必死なのですが良くなってしまうと忘れがちになり、自分ではこういう数々の恩恵の上に成り立っているという事になかなか気づけない事が多いようです。
もしも、魂清浄を始めたばかりの数十年前の自分自身に出会う事ができるのであれば、今の自分の姿を教えてあげたいと思います。当時抱えていた問題は全て解決できているよと。だから安心して大國主大神様にお仕えしなさいと伝えるでしょう。
今日は家に帰ってから家族と共にこの長い年月を振り返って語り合い、直会をさせて頂きました。
山梨県甲府市富士見の 天霊神霊研究所本部道場では、祭式の時に京都市伏見区の酒蔵である斎藤酒造の「英勲(えいくん)」を御神酒として使用いたします。これは開祖天霊師が特に決められたことと聞いております。
以前、斎藤酒造では11月に蔵開きのイベントが行われていまして、近隣の伏見の酒蔵も同日に開催されるものですから、あちこちの酒蔵を廻られる方々が試飲で酔って幸せそうにフラフラ歩く姿が何とも平和的にうつったものですが、今年は新型コロナのためイベントは無期延期ということです。
以前の記事:https://konshojo.blogspot.com/2017/11/blog-post.html
今年は蔵開きがありませんので、その代わりに蔵開き限定商品(しぼりたて生原酒)がネットで購入可能です。本日締め切りなので飲んでみたい方はチャンスかも。
http://moromine.shop-pro.jp/?pid=109900312
本日たまたま天霊新報を読んでいましたら、秋季大祭での行の中で教えて頂いた「大神に仕える」という事について記事が出ておりました。この記事は当時の会員の方が投稿されたものですが、よくまとまっており私が感じた事がそのまま記載されている部分がありましたので、参考としてこれを抜粋し、現代の仮名遣いに直したものをあげさせて頂きます。
「仕える精神が神法の真髄」(天霊新報第41号 昭和49年6月8日発行)
神法を慕ってこられ、病気、商売、運勢等を伺いに来られた方達に、大神は霊媒を通じて種々ご指導をした後でそれを解決したければ「どうだわしに仕えてみないか」と必ず言ってくださる。
大神に「仕えてみないか」と言われるのであって、わしを拝めとか、信心信仰しろとは言われないようであります。この点が大変微妙で含みの多い言葉のようであります。従来の宗教や有難いと自称する神々とは大変違っている事に気づくのであります。
正神の大神の「仕える」と言われる御心を考えてみたいと存じます。
現在の人間はテレビ、マスコミの情報網を通じてあまりにも安価に種々の知識が吸収されるのに慣れすぎ、中には猥雑な知識が多くて、これに非常に害されているようである。あまりにも世の中が安直であるかのように考えている人が多くなってきて世界にはまだ自分の理解できぬ深い秘密が多く隠されているという感情を失ってしまっているようであります。
全ての事が人間には分かってしまっており、全ての人間は皆自分と同じ浅い程度の知識の人間である。現代人は皆同じようなものと信じているようであります。全ての人間の同一性という信念は最も浅く低いところで考えているようであります。その魂の中に言い換えれば人格の中に無限に深いものを秘めている人間もいる。また、そのような人の魂の深さを学び取ろうという人生観を現代の人はすっかり忘れてしまったようである。魂の深さを学ぶ取るために「入門」という仕組みがあったのであります。
この「入門」も最近は安い本で何でも入門書が出ているのは前述のように誠に世の中が安直になっているのであって、このような本一冊で何が師と仰ぐ人の魂の深さまで学びとる事が出来るものかと思われます。「入門」という事には人格的な響きが含まれている。師の客観的な学問あり、芸術だけではなく師の人格の中に凝集された学問芸術を学びとる事であり、人格を学ぶために師の門に入るという事でありましょう。
「入門」という事はそれ故に非常に厳しいものがあろうし、その門に入れば、そこの権威と価値体系に従って新たな出発をしなければならない。宗教的にいうなら汚れた世俗から縁を切って、そこの権威と価値体系に従うという事になる。それに馴染めない人は元に帰らさせられる。すなわち還俗であり破門であります。
神社の門、すなわち鳥居を入るという事は入門であります。神社の門すなわち鳥居はいつでも開かれており、誰でも自由に入る事はできる。そこから清浄な世界、神の世界が始まるという「しるし」でありましょう。鳥居をくぐった人が心を清めて玉砂利を踏んで本殿に近づき心を高めて神様に尊敬の念を捧げるという事になるのであって神域に入って神の心に合えば「入門許可」でご指導ご加護があるであろうし、神の心に合わない人は還俗、破門という事で神は相手にしてくださらないという事ではないでしょうか。
ここに前述の大神が「仕えよ」と教えられる大神の御心というか御意図を充分察して大神に接する人間側の心の持ち方、考え方の大切な点があるのではないでしょうか。
形や作法がいかに真剣真面目そうでも大神に通じる精神のない人は内容的には破門、還俗させられるのと同じ事だからなのであります。
現代人の多くが失ってしまった感情が「尊敬」の感情であり、この基本となる数霊(かずたま)の教えるところの「順序」、「序列」の考え方の欠いている事であります。仕える心組みの基本条件は「尊敬の念の有無」にありましょう。尊敬の念と言っても相手のある事で尊敬に値しないものまで尊敬するという事は盲従(もうじゅう)の尊敬だから本当の意味の尊敬とはならない。尊敬に値しない迷霊を尊敬する各種迷霊宗教がその一つの例であります。
大神の言われる「仕える」という観念は封建社会における君と臣下、主人と雇われ人の関係のような仕えるではなく、師弟の関係でもなく無理に例をとるなら親子の関係ごとき「仕え」でありましょう。この世のものは全て大神様方の創造され運行されているのでありますから人間とても大神のつくられ生かされているものであり大神の御心は創造された全てのものが我が子であり、子は調和を保って繁栄する幸福を願っておられると同時に自然神、人格神のすべての神々がこの為に日夜お働き続けてくださっているのであります。俗な言い方をすれば人間と大神との関係は親子の関係に近いものであり、人間は親たる大神に仕えるのが当然の道であります。
魂清浄の神法の信奉者は当然の事を当然行っているのでありますが、現代は当然の事すらできない輩(やから)の方が多い世の中であり、ひどいのは親を養老院に送り込むのが当然の事のようになってしまったほど世の中が狂ってしまってきているのであります。
ましてや大神に仕えるという人間としては当然のつとめができなくても少しも不思議ではないような世相になってしまっているのであります。間違った狂った人間の方が多いので正しい当然のつとめをしている神法の信奉者が肩身の狭いような思いをするようでは困ったものであります。自信を持って堂々と邁進してもらわねばなりません。
人間界では親より子の方が立派であり、よく子が家の親は尊敬するに足りないなどと家庭内で紛争を起こす事もありますが、神様方は最高絶対の存在ですから人間の方が立派だというような紛争の起こる心配は全くなく常に安心して尊敬できるものであります。人間においては人間は皆不完全な存在で全てが日に日に進歩発展してゆかねばならないのですから後からこの世に出てきた子供の方が親より進んでくるのが当然でありまた、これでなければならないのであります。
しかし、子供の方が進んで立派になっても数霊(かずたま)の順序からいえば親は親であり、子供は子供なのであって、この真理は変える事はできないし、子供が親に仕えるのは当然であるし神の理(ことわり)であります。真理に合う生き方をすれば当然繁栄するし、真理に反した生き方をすれば破滅がまているという事も、また理の当然であります。
世の親は大神ほど立派ではないから仕える方からすれば難点もあるかもしれないが仕える気持ちは、まず親に仕える事から現世的に身についたものとなるのでありましょう。
大神方の御心は救霊であり救人であり、すべてのものが調和と平和と繁栄の現世を送ることを願っておられるのですから、この御心に合う修行をする事が大神に仕えるという事でありましょう。
まず祈言(魂清浄ののりと)をあげれば大神達が迷霊を昇天させてくださって霊の救いができる。同時に人間の体も本人霊も清まって健康で能力を十分に発揮できるようになり幸せになるという事であります。神の与えられた寿命と財を十分現世で消費尽くす事が一番孝行であると教えられているのですから大神の望まれている人間になる努力がすなわち大神に仕える第一歩でありましょう。ですから祈言を上げて修行をするという事は、病気を治してくれ、商売をうまくしてくれと御利益目当ての心構えでやるのではなく、素直に大神に仕える心構でやれば、その使える心を愛でて大神が働いてくださるから御守護が出てくるという順序になるのであります。
ところがとにかく初歩の方は御利益を授かりたいから大神のところに来るのであります。ご利益だけの目的の修行は心の奥に「神を利用する」「神を使う」心がある。このような心が見えるから大神も用心されて本当に本腰を入れて働いては下さらないから試しに見せてくださる程度のところで足踏みをしてしまって多く授かる事はできない。
ですから、御利益を多く望む人は、まず人間の方から誠心誠意素直に大神に仕えることであります。
すなわち、「仕える行」をして大神から信頼される人になることでありましょう。
大神が本当に信頼してくださったら予想以上のお力もご利益も授かることは間違いありません。大神に仕えるということは救人救霊の行をすることであり、神法を広めることであって人に仕えることではありません。ましてや迷霊に仕える類の行をしてはなりません。
今のところ残念ながら大神は、殆どの人間を信頼されてはいないのではないでしょうか。大神から信頼されるような修行をしている人がいないという事と大神がある程度期待をかけられても途中でこの期待を裏切るようなことをしてしまう人間が多いということでもありましょう。このような御体験をいくつもしておられるので、現在の人間は全く信用しがたい連中ばかりだと嘆いておられるし、大神の方で修行している人達をテストされている期間のような気がしますがいかがなものでしょう。
現在は柱になる人の養成期間であると大神が教えている真意もこの辺にあるのではないでしょうか。柱になってもらいたいと大神が期待されている方々の責任は重いと存じますので自重といっそうのご努力を願いたいと存じます。神法の信奉者は皆身内であるという教えも、もう一度よく考えてみて貰わねばなりますまい。
大神を親とした身内は皆兄弟たち子供たちであります。力を合わせお互いに切磋琢磨しなければならないし大もとは一つであるから自分もそのもとにまとまらなければならない。兄弟が争ったり、上下の順序を無視したり、抜け駆けの功を競うような事は破壊と堕落への道であり、迷霊に操られている行為であることを悟らねばならないでしょう。
人の治しをする事も皆すべて大神の御働きであり、その人が自分の力で治すのではないことを十分知っておいて貰わねばならない。大神に仕え大神が使い易い人になる事が修行を積んだことになるのであります。決して自分の力であると思っても考えてもなりません。大神が使い易いようになれば日夜大神の指導が得られ迷霊の働く余地がなくなるからその人の日常生活の言行も一致してくるようになり、正しい人間としての言行が自然と身につくことになると存じます。言う事と行いが一致してきて自分の言行を後から弁解がましく言い訳しないで済むような人間にならなければならないはずです。
躾(しつけ)の事はあまり厳しくしなくても良いというような考えの人もいるようですが、修行ができて大神の日夜の指導が受けられ、大神の御心と一体でいられるような人ならとにかく、そうでない連中ばかりなのであるから、神の道に「入門」した者にはそれなりの躾も大切なことでありましょう。現世的に小笠原流の行儀作法をどうこうということばかりが躾ではなく、神の教えにのっとった躾は大事なことであり、それは人として日常生活に欠く事のできない躾であり、躾から修行の助けになる方法もあるわけであります。これも神理の一つでありましょう。人格の向上が修行目的の一つであることを考えれば当然のことでありましょう。
身内には身内として守らなければならない躾もあり、親に仕えるには親に仕える躾もあるはずです。大神に仕える躾も同じであって躾を軽んずる者が本当に大神に仕える心が掴める筈がないのであります。
大神に仕えることを本当に体得した者が修行ができた人であり、大神から信頼され現世の御利益も多く授かるし、良い現世の実績を残すことになるのでありましょう。重ねて言うようでありますが、大神に仕えるという事は、祈言を上げて救霊すると同時に自分も浄めてもらい、大神の与えられた寿命財産も十分獲得し有効に使う事であり、次にはこれを多くの人に伝えて救霊救人の運動を広める事であります。
よく自分がやって良くならなければ人にすすめられないという考えの人がおりますが、これは重大な誤りを犯しているようです。
本人はいかにも謙虚であり修行未熟とへりくだっているようですが、大神を信じ大神に仕えるという確信がないという事と大神を疑っている本心がどこかに潜んでいるのではないか、病を治す事も商売を繁盛させる事も種々の祈願を成就させて頂くのもすべて大神の働きである。人間が生きている事さえ大神の御力であって、この正神の大神に仕える修行をしている者が改めてその結果を確かめない内は人に話す事ができないという事は自分本位の考え方であり、大神の御力を疑っている心がどこかにあるから出てくる言葉ではないでしょうか。
人間の方から大神を全幅的に信じないようでは大神から信頼して頂けないのは当然であり、大神達が本腰を入れて働いてくださらないのも当然であり、誠に中途半端な修行、仕え方をしていると言わなければならない。本当にやるんだったら大神と真剣に取り組む覚悟でなければ良い結果も早くは出てこないのも当然の事であります。
大神に素直に仕える気持ちになればただ人に教えてやるだけで大神の御働きを受けられる人が出てくるのでありますから、救霊救人の大神様の御心にかなう行為をした事になるのであります。教えてあげた方がやるか否かはその人自身の実績に関係する事で、すすめた方の実績は大神様は十分認めてくださるのでありましょう。
その判断は大神様の下されるもので人間の勝手に考える問題ではありません。
大神に仕える行をするのは道場の神前で行をするばかりが行ではなく日常生活の場、職場で働く場所でやるのが大切であります。職業を通じ、日常生活を通じて毎日の行をする事が最も大切な事でありましょう。清い素直な心で大神に毎日毎晩仕えるならば、修行も大進歩すると共に授かるものも多く授かり、心安らかな平和な充実した生活が楽しめる事は絶対間違いありません。御精進をお祈りします。
三代目天霊師から来年度は幾つかの研修会を開催する旨をお伝え頂き、すでに大勢の方が参加を表明されているという事でした。奉賛会会員皆さんの神法を学びたい機運が高まっている事が伺えます。
読書の秋という事もあり、私もまた魂清浄に関連する書籍や天霊新報などを一から読み直しています。過去には全て暗記するまで読み込んできた書籍、資料もありますが、歳をとると忘れている事も多く、久しぶりに触れる内容に心を新たにする日々を過ごしています。
魂清浄の神法は、ただひたすらに魂清浄ののりとを唱える事で効果を得られるのですが、神界には鉄則があり、序列がある事、現世にいる迷霊の実態を知る事によっても、迷霊に汚染されている自分自身の立場を省みる事ができ、修行の目標をはっきりと見定める事ができるようになります。
この神法が後世に渡って曲げられる事なく、開祖が伝えられた内容を正しく教わり、正しく伝えていく事が肝要と思います。分派の指導者が同じ資料を用いて誤った教えを伝えている事も見聞きしており、資料の内容に拘泥する事の危うさを見にしみて分かっておられる方も大勢おられると思います。それを思うと、来年から始まる研修会では、天霊師という魂清浄の神法における正当な指導者に直接教えを請う事ができる幸せを思わずにおられません。
本部道場の秋季大祭に参加しました。台風が近づいており珍しく雨が降る大祭となりましたが、全国から多くの奉賛会会員が集われました。気候的にも暑くも寒くもなくしっとりした雰囲気の中で行に没入する事ができました。直会のお料理も何を食べても本当に美味しくて感謝いたしました。今日は何かしみじみとした有り難みを感じるようなお祭りとなりました。
数日前から自宅で魂清浄を唱えている時に「なぜ(今この瞬間に)魂清浄を唱えているのか」という問いかけのようなものが何度か来ておりました。自分が魂清浄を唱える「動機」とか「理由」というような理屈の話ではなく、もっと直接的に何故今唱えているのか問われている感じで、別に理由もない、今はただ唱えているだけです、と無意識の中に答えていたように思います。
本日の大祭中に魂清浄を一心不乱に唱えていると、大きな迷霊が次々体内から出て行く事が感得され、ひと段落した頃にまた同じ問いかけが来ました。その瞬間にこの唱えている瞬間とは「大國主大神様に直接お仕えてしいる瞬間」である事が理屈抜きに感じられ、肚にストンと落ちました。
私は毎日、大國主大神様に誠心誠意お仕えしている気持ちで生活しておりますが、今回の体験はそういう気持ちの面や理屈面ではなく、雑念が去った状態で魂清浄を唱えることは、リアルに直接的に大國主大神様にお仕えしている瞬間なんだと実感させられました。これが今回の恩頼(みたまのふゆ)だと思いました。
ずいぶん長い期間、毎日欠かすことなく魂清浄を唱えてきましたので、「今更ですか・・」という感もありましたが、多くの祈願を心に秘めて念じるように行をしている状態と無心で大神様にお仕えしている状態は全く異なるのだと教えて頂いたように思います。
人それぞれの役割があり、大神様からの教えられ方、教えられる時期もまた、人それぞれだろうと思います。大祭に教えて頂いたことには何か意味があるのだろうと思います。
以前、21日間の修行について記事にしたことがあります。2012/3/8記事
その際、21日間の間、本部道場に通うと記載したのですが、開祖天霊師の時代は本部道場に宿泊して行うように指導されていたという事です。これは本部道場に宿泊して夜寝ている間も含めて24時間体内の迷霊を昇天させ続けて頂けるため、体内の迷霊も逃げ場がなくなり観念して昇天するため行が進むのだろうと推察いたします。
そういう事情もあり、三代目天霊師も奉賛会会員に対して極力本部道場に宿泊して行をするように指導されており、宿泊修行される方が増えてまいりました。ただ、仕事を持つ身としてはなかなか21日間続けて宿泊修行する事は難しいので、今回お盆休みを利用して少し長めに宿泊修行させて頂きました。新型コロナの影響もあり他に宿泊者もなく心置きなく行に耽る事ができました。
毎日、三代目天霊師が行をつけてくださるのですが、3日目位から通常では出てこないような体内の深いところから迷霊が浮いては昇天していく様がよく分かるようなり、除霊石や竹鞭を用いてもその強烈な作用を体感する事ができました。たまたま、膝が悪い方に竹鞭を使用したところ(魂清浄の神法は体には触れません、今回は1m以上離れたところから使用)、一瞬、膝に激痛が走ったそうで、次の瞬間咳き込んでおられました。自宅などではなかなかこうはいかないと思いました。
この宿泊修行の期間に、脳内の掃除もしていただけたようで心境に変化が生じ、いろいろ模索していた今後の人生プランに思っても見なかったような洞察を得る事ができた事も恩恵だと思います。
受験、就職、結婚、妊娠、起業、転職、定年など一人一人の人生には多くの節目がございます。こういう節目により良き選択を行うためには正神の大國主大神様のご指導を受ける事が最善の道だと思います。人間には先の事はわかりませんので、一見有利な条件が後々本人のためにならぬ場合もございます。それゆえに大國主大神様の元で(本部道場で)宿泊修行する事により体内の迷霊の邪魔のない状態で最善の選択をする事ができると思います。
人生の節目に、21日間の間、本部道場での宿泊修行に挑戦して見られたは如何でしょうか。