2014年5月10日

春季大祭

今年の春季大祭も多くの奉賛会会員が遠くからもご参拝されました。遠くにお住まいで一年に一回しか来られない方や今回初めて来られた若い方など皆さんそれぞれに嬉しいひとときを過ごしました。
大祭8日と10日の土曜日にも多くの参拝者が来られまして、両日共に二代目天霊師による大祭祭式が行われて皆声高らかに魂清浄の祝詞を唱えました。8日にどうしても来られない場合には9日か10日に来ても良い事になっております。これは開祖天霊師の時から続いている大神様とのお約束です。これ以外の日は本部道場の御祭りとはなりません。

午後からは少し長めの行が行なわれましたが、その際、先達の方から「無心の行」の重要性のお話がございました。行の間に無心の状態になると大量の迷霊が昇天しやすいという事と行が進んでくると無心の時間が長くなるという事でした。

大祭の時は穏やかな雰囲気の中にも大神様が大挙して降神されているようないつもと異なる雰囲気があり、普段本部道場で魂清浄の祝詞を唱えるのとは心も体の状態も大きに異なります。
今日は若い会員の方から「大きな安心感が感じられて、いつまでもここにいたいと思うくらいです」という嬉しいお話しがありました。この安心感を感じさせられる、次第に不安が取り除かれていくというのも魂清浄の神法の特徴の一つですね。

大祭の日は多くの体内の霊が昇天させて頂けます。それに伴って肉体的にも疲労感を覚えたりしますが、本部道場で横になって休んでいますと、体の調整をして頂けるようで次第に体が軽くなるのが分かります。そういう意味でも大祭や毎月の御祭りの時には本部道場でゆっくりと過ごす事が大切だと思いました。


2014年5月5日

魂清浄のマーク

魂清浄の神法の象徴としてマークが決められております。これについて開祖天霊師が天霊新報第5号の中で説明されている文章が残されておりますので以下に添付致します。

天霊神霊研究所の本部道場、各支部道場、各準道場の神殿には下の写真に示されるようなこのマークの入った青い旗が掲げられる事になっております。霊的にも大きな意味を持つ旗であり、開祖天霊師、二代目天霊師からのみ授けられるものです。当然の事ながら、その他の方が許可なく勝手に作製して良いものではございません。


2014年4月10日

人格の完成

日頃、二代目天霊師に接しておりますと、その謙虚でごく控えめで壁を作らない性格に感心させられることがあります。ですから初対面の方でも子供でも安心して先生のそばにいる事が出来ます。

歳を重ねるほどに人格が高まってくるのが理想である訳ですが、世間には歳を重ねるほどにその方本来の性格が濃くなっていき、頑固で欲惚けてしまう方も少なくはありません。

「まずは自分が人様に迷惑をかけない事だよ」という意味の事を二代目天霊師が仰ることがあります。
魂清浄の神法を継続して参りますと、その自分の性格をゆがめている迷霊が昇天し、次第に人格が完成されて来るという事です。二代目天霊師の性格がそのことを物語っているように思います。開祖天霊師も大変思いやりのある方であったとご親族の方や弟子の方々から聞かされております。身近に尊敬出来る生き方をしておられる方がいる事は本当に幸せな事ですね。

<開祖天霊師講義録より抜粋>

迷霊の性格とおこす霊障。これはですね、色々あるんです。例えば午前中言いました様に十二支とかなんとかあれを良く読んでみると当ってるんですね。一白水星の何歳の人はどうであります。正確に書いてあります。良く当るんです。当るはずなんです。そう言う迷霊が集まっているから。だから所謂魂清浄を上げてくると、そう言う風に迷霊の性格が無くなって、本当に輝かしい神々のお造りになった姿の人間が出来て来ますから、人格の完成が出来るわけでございます。元々大神様方は人間が所謂そのそう言う風になる様に元々造ってあったわけですけれども、それが迷霊によって歪められているわけですね。その歪められが直って来ますから人格が完成してくるわけでございます。

2014年4月8日

卯月の御祭

本日は春らしいポカポカ陽気で甲府近郊の桃の花が咲きそろい、大変心地の良い一日となりました。本部道場では88歳となられた二代目天霊師の透き通るような声で祝詞がよまれ、そのあと参拝された皆さんの元気一杯唱える魂清浄の祝詞が道場いっぱいに響き渡りました。寒かった甲府の冬も終わり、今日は道場の窓を全て開け放して大変の気持ちの良い御祭りとなりました。
そのあと奉賛会会員の病癒しの祭式が行われましたが、祈願された方は大きな体感があったそうで、魂清浄の神法の凄さをあらためて感じさせられたとの弁がありました。やはり自分で体験してみない事にはなかなか理解出来ないのがこの魂清浄の神法であると思いました。


2014年3月23日

二代目天霊師 八十八歳の御誕生日

本日3月23日は二代目天霊師のお誕生日でした。本日で八十八歳になられました。午前の行は天霊先生に祝詞を詠んで頂いて皆さん一緒にいたしました。その後、本部道場に参拝された奉賛会会員の皆さんで心のこもった誕生会をおこないました。今日はとてもあたたかい小春日和となり先生の笑顔もひときわ光って見えました。
また、今日は皆さんで開祖天霊師の奥都城と二代目天霊師のお家の奥都城の清掃をして参りました。何とこの二つの奥都城は同じ場所にあるのです。奥都城からは雪をかぶったアルプスの山々が一望でき、その雄大な景色がとても印象的でした。

2014年2月22日

修行心得

開祖天霊師生存中の天霊新報に「修行心得」という題で何度か記事が投稿されております。これらの内容は魂清浄の神法の基礎ですので記録のため抜粋致します。
(当時の内容を旧仮名遣いの箇所も一部の誤記もそのまま抜粋致します)

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修行心得(その1) 創刊号より

一、行と云うものは、自分自身の人格の完成の為にするものである。
  人格の完成とは自分自身を総体的を考へ行動する事である。(独りよがりでは駄目)
燃も、其の働き行動が自然に何時でも正しく、無駄のない働き行動となる事を会得する事である。(一九七〇、一二、二四御神示)

二、頭を魂清浄一本にしてかかれ。
  修行の成果を早くあげる為には、頭の中を一本にしてかかれと大神は教へられている。既存の宗教知職体験学問が頭の中で大事にされている内はそれだけ既存の迷霊に占領されている訳でありますから、体内から離れ昇天するのが遅くなります。中にはそれを良い事に仲々離れようとしないからであります。疑ひ怠りは勿論進歩の邪魔ですが、疑ひ怠りと云はないまでも、今までの教へや知織を整理する事は仲々むづかしい事でありますが、無益なものは早く整理される方が近道です。体内の迷霊が減少すれば自ら悟る事も早いし、大神達の教え導いて下さる事を早く聞く事が出来るからであります。自分の体で体験し、聞くことが一番確かな事であります。

三、のりとをあげる時は無心になれ。
  魂清浄ののりとをあげるのは何時でも何処ででも良いのであって、のりとをあげさえすれば迷霊はどんどん昇天して行き体も魂もきれいになる訳ですが、その時は無心になってあげる方が進歩は早いのであります。邪念がちらちらする様ではそれだけ迷霊に邪魔されているので成果が少いと云へます。無心になってのりとがあげられる時間の長い程行が積んだ人であります。

四、夫婦は車の両輪.揃って修行することが近道。
  大神は良く夫婦は、車の両輪の様なもので揃って信仰修行する事が大切で進歩も速い。又、御守護も多いと数へられています。片方ですとどうしても進歩が遅く、悪くすると一ケ所を堂々めぐりする様な形になると申されて居ります。

五、子供は両親の行によつて速く救はれる。
  子供は二十五才迄は霊的には親の責任があると数へられて居ります。故に子供の事で御願ひする時は、本人は勿論ですが親達が修行されると早く解快します。二十六才以上の方は独立の人間となりますから、親に関係なく本人だけの修行で成果が上ります。

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修行心得(その2) 第6号より

一、天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではない。正神の実在を教へ正神に結はせる所であります。霊の諸問題を解明しその解決処理法を教へるところであります。

二、イボーつ取って貰っても、すべての病が癒して貰えることを悟って貰い度いし、その原因をなす霊障とその解決処理法及正神のお働を悟って貰い度い。

三、体験を通して確認し悟ることであり、更に奥の奥まで行をして体験確認を積み重ねて貰い度い。

四、救はれてしまえばそれ迄、後は何もしない人には、再度大神は愛の手を伸ばして下さらない。

五、疑い怠りがあっては駄目。

六、迷霊に足を止められるな。

七、大神や、 天霊師にお願いしてあるからと云って自ら日常魂清浄を唱えない様では駄目、それでいて御利益が無いと云っている様な人は救い様のない人、落第生である。

八、修行は日常生活の場で行うべきものである。修行を毎日短時間でもすると共に、職業、商売でも研究でも、それぞれの道に真剣に努力すれば大神は必ず素晴らしい事を導き数へて下さる。実生活と密着した行が大切である。

九、修行中の種々の変化は向上への過程の為の現象であり心配はいらない。人間が創造された当初の自然の姿に還る為の現象である。

十、神の道は非常に厳しいが、反面又非常におおらかな所もある。筋を通すことには非常に厳しいものである。 筋とは、神の教へに反論したり、順序、順位をとりちがえて人間が神の上に立って神を使用しようとしたりする様な筋道、神理に反する様なことであり、既存宗教の戒律だとか教条主義的作法習慣等必要ありません。暑ければ、裸で修行しても神前へ出ても差支えないのであります。

十一、 行は毎日家庭では十 五分前後、真剣に無心に行うこと。長時間修行したい時は、必ず道場へ来てやること。

十二、修行は外聞や体裁を考えたり、恥しいと思ったら駄目である。

十三、普段何も無い時から修行しておくのが正しい。困った時の神だのみでは一歩手遅れ。

十四、誠を以って心からお願いしなければ通じない。大神は見抜き見通しで絶対嘘はつけないし、ごまかされない。

十五、正神信仰の極意
 イ)正神に祈願して約束して貰う事である。正神は祈願のない所には何も働いて下さらぬ。祈願により働いて下さるし約束して貰えれば、どんな事でも実現して下さる。大欲をかいて何んでもお願いすることである。

 ロ)体内の迷霊を昇天させ迷霊が少くなれば正神との直接対話が出来る。

 ハ)体を使って体験確認すること。

 ニ)人の言葉、いろいろの現象、自分の体の変化等常に注意観察して神の導きを悟ること。

 ハ)正神は人智を越えて必ず先々の手を打って置いて下さる。二~三年後に実現する事もあるからこれを注意して悟ること。

 へ)要は絶対の信と真剣無心の行をすることである。

十六、大神の指示は必ずその通り実行すること。人智を働かせて判断すると間違う。

十七、月一回の例祭には、必ず参加すること。
※どんなに忙がしくとも自分が幸福になるために…。

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修行心得(その3) 第7号より

一、前号にも書いた通り、魂清浄の神法は日常の実生活と一体のものでありま す。
  修行は魂清浄の祈言をあげて行をするばかりが行ではなくて、職業上の仕事に専心している時も休んでいる時も寝ている時も日常生活、全体が行であり、大神達は常に各人各家にまつわる迷霊達を昇天させ常に皆様を監督守護されているのであります。
と、同時に善い方え善い方えと指導されているのであり、熱心に仕事をしている時によいヒントを直観として与えて下さるし、少し位の体の調子の悪いのは押へて下さって痛みも体のだるいのも取って下さるのであります。
のりとをあげる行も結構ですが、それだけでは仲々進歩しませんし、働かなければ生活も成り立たないのであって、自分の生活が成りたたなくて、修行しても大神は仲々、力もさづけては下されないし、進歩もしません。従来の迷霊信仰では何もかもすて修行せよと教えましたが、これは迷霊が人間共を破滅に導く為に人間共を振り廻したのであります。この様な馬鹿な心得は捨てなければなりません。反面仕事仕事と追い廻されて大神達と離れてしまっても又迷霊達に自由に振り廻されてしまいます。ですから、一日に一回位は五分から十五分位「のりと」をあげ、後は仕事中に或は歩きながらでも「のりと」をあげ、月に一回の御祭りと修行の日には必ず参加される様にして、常に正神とつながりを保つ様心掛けて頂きたいものであります。

二、「我」を出して如何に修行しても駄目である。
  兎角人間は何事によらず少し判って来ると「我」が出るものであります。90%位を迷霊に占領されている頭脳で考えて「我」を出すことは迷霊に自由に振り廻されてしまいます。ところが「我」の出ている人はこの間違いが自分で判らないので仕末に困るのであります。「我」が出て本筋をはづれては、如何に努力修行している様でも、あくまでも迷霊に支配されている迷霊の修行ですから、やればやる程正神から離れてしまいます。この様な無駄な努力はしないし、時間の空費をしないことが望ましいのであって 少しおかしいなと思ったら 天霊師なり、行を積んだ先輩の指導を受ける事が大切であります。 最近、とんでもない筋違いの修行を勝手にしている人も出て来ましたが、この様な時は始めに戻って修行し直して頂く事が肝要であります。 迷霊にあやつられない様特に注意していただきます。

三、疑い怠りがあってはなりません。
  前にも話した通り、人間は 兎角、すぐに自分の考えで神や霊界の事を押しはかりたいものであります。 自分に都合の良い点は判りますが都合の悪い事は何とか、かんとか理由をつけて自分の考えている通りやり度いものであります。修行に於ても同様で、やり度くない事、都合悪い事は正当らしい理由をつけて怠り、 或は疑うものであります。 神界、霊界の事は普通の人には見えないし、聞えないので猶更自由勝手に決めて掛り易いものでありますが実在の世界はその様に各人に都合良くは出来て居りません。各人が都合良く神を使い霊界を支配は出来ません。そこには厳然として筋道があり、法則があるのであってその筋道をふみ、法則に従って行くより外に方法はないのであります。 少し位の修行で神霊の世界の入口に立った位で慢心を起したり、疑い怠りを行っていては広く深い神霊の世界は全然判らないし、正神の導きも御守護もいただく事は出来ません。また、折角授かった「術や力も」取り上げられてしまうのであります。
常に天霊師を通して正神につながっている修行が大切であります。「我」を出したり、迷霊信仰の知識を捨てる事が出来ないで固執して疑い怠りをしたり、少し位の修行で慢心を起して、素直な気持になれない人はそれだけ迷霊に繰られ、振り廻されている事を知らなければなりません。 大神様から見れば、現在の人間は全く箸にも棒にもかからない様な状態であります。この中から大革命の魂清浄の神法につながる殊勝な心掛けの人達は何んとしても救い育て上げ度いと念願されて居られるでしよう。時には種々の方法で試めしてみたりして一人前の人間に導き育てて下さっているのであります。
ですから、修行半ばで授かる霊媒能力、重い軽いの占い、その他の術もあくまで 練習用のものであり、正しい修行方法で練習すれは次第に進歩し、やがて大神からお許しが出れば初伝、中伝、奥伝の免状も霊の巻物もいただけるのであって、この許可証のいただいてない方は練習用のものである事を知っていただかなければなりません。 自己の力を過信すると筋道をはづれ大変な間違いを起し、反って大神達の足をひっぱって御神業の妨害になる事がありますから注意していただきたいものであります。この様な人にも大神は温和にやさしく注意されるので、カッカとしている方には、注意が注意の様に聞えぬかも知れませんが大神の言薬は常に細心の注意と深い反省、熟慮を以って聞いていただき度いと存じます。日常会話の中に天霊師の口をとって聞かせるのであります。天霊師の言葉は常に注意して聞いていただき度いと存じます。この様な大神達の大愛にもとづく願いや、努力を知らずして「我」を出したり、慢心を起したりして勝手な言動や無益な修行をしたり、或は尤もらしい理由をつけて、疑い怠りをしたり、一度救はれてしまえば後は次の問題が起るまで知らん顔をする人達は、全く親の心子知らずのだだっ子と同様と云えましよう。 迷霊に縛られ振り廻されぬ様心掛けて下さい。

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修行心得(その4) 第9号より

一、テストされている事を知れ。
  現在の人達は信仰していると云い乍らも大神をはかりに掛けたり、試したりしている者が多い、そして浅はかな人間の知識や迷霊に支配されている頭で批判し文句を云っている様である。 天霊新報の記事に対しても●●●会のおどかしに似て来たとか、独断的で高圧的であるとか云っているのを聞きますが、この様な方々は本当に魂清浄の修行をされているのかと疑問を感じますし、新報を良く読んでいるのだろうかとも疑い度くなるのであります。
魂清浄の神法の修行は、おおらかな所もありますが、反面非常にきびしいものである所は天霊師のよく説かれる点でありますが、まさにその通りであり、大神もー人一人を常にテストされているのであります。 正神信仰は、正神との対決であり各人の霊魂と肉体に直結する正神に仕え求める修行である以上観念的な求め方だけでは判りません。本人の霊魂と肉体で修行しつかまえなくては本当に正神をつかむ事は出来ない。各人の肉体こそ各人が信頼出来る唯一の存在であり、幸福を味わい悲しみを味あうのもこの肉体であると同時に正神の御利益を味あうのも、霊感を感得するのも又いろいろの術や力を授かり発揮するのもこの肉体を通してのことであります。皆様の運命開拓の最後の切札は正に魂清浄の神法による正神信仰であり、その肉体をも安心して託すことの出来る正神は神法につながる所に居られる事を身をもって、修行する事によって確認し、つかんで頂かなければなりません。
神をためし、はかりにかけている間は大神にもテストされていると考えねばなりません。大神達にお願いしながら一方で迷霊信仰をしていて御利益が無い、悪くなった等云っている方こそおかしいのではありませんか、大神のテストに合格する毎に進歩向上し、御利益も術や力も授かるのであります。不合格の者は、テストの問題が解答出来るまでは修行させられるのであります。各人の程度によりテストの問題も方法も種々違いますが、常にテストされている事を頭に置いて自分で身を以て解答し悟る心掛けが大切であり、おかしいと思ったら何でも天霊師或は先輩を通じて大神に伺う様に心掛けることが早く解答出来る方法であります。
ひた向きに素直に仕え求めようとする者にはどの様にも大神は面倒をみて下さるのであります。修行程度を示すのに初伝、中伝、奥伝をだてに大神はつくられたのではありません。修行していろいろのテストに合格した時大神から授かるものであり、それには皆相当の玉と術や力がついているのであります。形の上の免状ではなく授かる術や力と霊格位の向上が重要な点であります。

二、貪欲の心、よこしまの心が出た時大神は去ると教えられて居ります。
  大神から名を貰い術を授けられたら、それに答えて人数い霊救いに励むと同時に常に自分自身な磨かなくてはなりません。怠りが出たり、貪欲の心、よこしまの心、慢心が出れば大神から見はなされ、力が無くなることは当然であり、ましてや第二霊界え入れて貰う事も出来ないのであります。この様に巌しい面がある修行である事を知って頂き度いと存じます。

三、形だけの修行、本筋をとり違えた修行では正神につながらないし、全然進歩がない。   即ち、迷霊の昇天はない事を知られ度い。私は行を毎日やっている。何年もやっていると云う方で少しも御利益もないし、 力も出ないと云う方があったらその方は修行の仕方が おかしいのであって、本当の行になっていないのであります。天霊師なり先輩の行の出来た方に指導を仰ぐ必要があります。 迷霊を昇天させることの出来ない行は何時間、何年やっても御利益もなけれは力も出ません。どこか本筋からはづれているか、修行の仕方、心掛けが違っているのであります。形や時間の問題ではなく、大神達に通じ感応して働いて下さるか否かが重要点であります。 人間が勝手に都合良く考えた様には大神も迷霊も動か ない事をさとって頂かなければなりません。よく自分から迷霊を昇天させる努力もしないで大神様や天霊師は直に癒して呉れる事は出来ないか、御利益で助けて呉れないかと注文をつける人があり、出来なければ神や天霊師を疑う人がありますが、大事な点はまづ自分から迷霊を昇天させる修行をし努力をする事であり、其の上でお願いすれば思う様に解決して下さるものであります。 神を利用し或ははかりにかける様な気持ち又神や天霊師に頼み放しで自ら努力しない方法では仲々早く解決は出来ません。大神の方でもこれらの人をテストされているでしよう。 自らこの宿題が解けた時に始めて解決と良い結果が生れるのであって、宿題を早くとく程早く解決する事を知って頂きたいものであります


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修行心得(その五)  第10号より

「修行する場所と指導者により迷霊昇天の成果が違う」
  前号にも書きましたが私は相当の行をしていると云い乍ら実際には余り修行の進歩のない人があります。 この様な人は免角身勝手な修行をして居るのであって 本当の行になっていない人であります。 既存の宗教知識や人間の智恵で正神の神々は宇宙の間何処にでも居られる筈であるから自ら正神を念じて行をすれは何処で修行しようと同じである(注;と屁理屈を言う)。
本部で修行しなさい。道場えたまには修行に来なさいと云う事を取り違えて恰も本部中心主義だ、金取り主義だなどと、飛んでもない考え方をしている人が物を知って居り屁理屈を言う人に多い様です。
実際に存在する正神の仕組みや霊界はこの様に人間の身勝手な考えや理屈の様に観念的に頭の中で考え想像する様なものではありません。迷霊に霊縛され、支配されている状態の人間が頭の中で考えている様に正神に祈願しても、その念力は正神には通じないのであります。迷霊取って後念ずれば正神にも通じるのであり、又迷霊の多い人でこの迷霊にさえぎられて念の通じない人達の為に、修行して迷霊の少い人が代って祈願してやらなければ通じない。この代って祈願出来る人が天霊師であり、行の積んだ先輩達なのであります。
修行する場所、即ち、本部なり支部道場、準道場或は皆様の家庭、仕事場なりで修行の効果は違うのであります。恰も幼児の為に幼椎園があり、小学生は小学校で中学生は中学校、大学生は大学で教育され勉強する様に先生も教材も施設もその程度のものが準備されて居り、それぞれの程度の勉学が行はれているのであって、幼稚園で大学の教育は実効が上らないのであります。観念的に勝手に私は幼稚園で大学程度の勉強をするんだとは如何に自惚れの強い人でも云はないだろうし、若しそれを強引に主張したら世間の物笑いの種にしかならない事は自明の理であります。これと同じ様に家庭でする場合、準道場でする場合、道場でする場合、本部神殿でする場合、皆それぞれに効果の程度は違うのであります。それは大神の仕組み、指導される神々の違い、修行の指導者の霊格や力の違い等によって実際に迷霊昇天の仕方が違い正神に通ずる通じ方が違うのであります。これは皆様が修行してみれば体験を通して確認出来るものであります。この点が判らない方の為に時に道場で修行しなさい、本部で修行しなさいと指導するかげには前記の様な仕組み、筋道があるからであって素直に言はれた通り修行する事が修行の効果を早くあげる方法であります。人間の知恵や既存の迷霊信仰の知識で身勝手に考えても正神や迷霊は其の様に働かない事を知って頂くことが大切であります。これが修行の本筋であり、 本筋をはづれた修行をしていて効果が上らぬと愚痴を言う様なことは止めて頂きたいと存じます。

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修行心得(その6) 第14号より

一、魂清浄の神法は離れていて祈祷によって、治すのが原則、一尺離れていても千里離れていても同じである。手で叩く場合は、大神の命によって叩くのであって、自己が意識的に叩いてはならぬ。
相手の霊の方が大きい場合、或は修行している霊だと馬鹿にして出にくい。修行の下の者が修行の積んだ者を叩いても駄目である。かえって叩かれた者が後で体が痛くて困る場合がある。
大神の命によって叩くと云う事は修行中無意識で大神がその人の体を使って自然に叩く場合の事である。
迷霊と云っても、修行した霊、大きな霊もあり、修行未熟な者が馬鹿にして掛ると大変である事知って頂き度い。

二、行をする時は無我夢中になってやる方が進歩が早い。迷霊の昇天も早いし、正神が感応する事も早い。形だけで長時間やっても雑念が入って来る様では進歩は遅い。下腹に力を入れて無我夢中で行をして頂き度い。

三、迷いが出たり、不信な事や疑問が生じたら徹底的に解明しなければ駄目だ。本来は行をすれば大神は何等かの法で悟らせて下さるが、それが出来なかったら天霊師なり先輩に伺って納得ゆくまで指導して貰って下さい。人智による浅薄な独断では正しく神につながる事は出来ない。

四、天霊新報にのっている天霊師の「教へ」及び御神示は再参再四熟読玩味して悟って頂き度い。判らなかったら天霊師、先輩の方々に聞いて修行の助けとすると共に本当に悟って頂き度い。

五、教えと修行と実生活とが一体にならなければ駄目だ。実生活の上の問題になると仲々迷ったり疑ったりする問題が多く起こって来る。それらの問題を迷わず自信を以て解決出来る人にならなくては修行している価値がない。その為の教えであり修行である。修行は修行、実生活の問題は実生活の問題とばらばらな状態では本当の修行ではない。

六、迷霊にあまりこだわるな。迷霊は昇天させれば全て解決するのであり、その為の修行である。心霊科学や低俗な占い等のように迷霊の一つや二つを追い回しても何にもならぬ。無限に多い迷霊だから、だまって修行してどんどん昇天させねば仲々解決しない。迷霊に余りこだわると修行の邪魔になる。
迷霊は修行によって昇天させれば良いのであって、昇天してしまう迷霊の事など後迄もとやかく気を遣う事は無益な事だ。

2014年1月23日

おことわり

或る奉賛会会員の方から分派がこのブログの記事を無断で転用しているような話を聞きました(分派の情報など見ない方がご自分の身の為です。君子危うきに近寄らずとも言いますね)。

このブログは、読んで頂けば分かる通り、魂清浄の神法において習ってきた極めて当たり前のことを書き留めた個人ブログに過ぎないのですが、いやはや分派ではそこまで汲々としておられたとは・・・。もしくは一般常識を知らないかのどちらかでしょう。お気の毒に。



まあ、他人のものを盗むような気色悪い人を放っておくと、異常者につきまとわれるようで気持ちが悪いという意見がありましたので 、ここでキチンと明言致します。
このブログの一切の転用、転載をキッパリお断り申し上げます。参考文献としても許可致しません。
奉賛会会員の方につきましてはこの限りではございませんが、転用されたい場合は、必ず一声かけて頂けますようにお願い致します。
但し、情報ソースの譲渡などにつきましては、過去にその内容を自分の都合の良いように読み替えて、分派している者が出ている実情がございますので、固くお断り申し上げます。

少し興味深いのは、分派の信奉者がいつか17霊界に行った時に大國主大神様にどのような言い訳をするのかという事です。これは知らなかったでは済まされないでしょう。二代目のお言葉にもございますように、死んでからでは遅すぎるように思えますが、いかがなものでしょうか。

魂清浄の神法において分派は禁止されており、分派に存在意義はございません。絶対に正神は降神しませんので、傍目には人救い霊救いをしているように見えても、実際には「強い霊で弱い霊を屈服させて」おります。必ずどこかに犠牲が出るのです。
分派指導者が迷霊を正神であると信じきっておりますと全く耳を貸さないと思いますが、彼らが開祖天霊師御自身から直接天霊職を引き継いでいない事は誰の目にも明白です。
信奉者お一人お一人が一度冷静になって周りに犠牲になった実例が本当にないのかを見れば、ごく自然にお分かりになることかと存じます。

霊的に弱い立場の方、特に子供達は迷霊の少ない体を持っておりますので、親が迷霊信仰(分派含む)をしますと子供に迷霊達がどんどん入り、迷霊の巣のような状態になってしまいます。ご自分の子供に怪我や病気が多い、身体障害、精神障害が出る等、正常とは言えない症状が出るようになったら危険です。周りを体裁している場合ではありません。奉賛会会員の中にもご自分の子供に障害の兆候を見てすぐに分派の害を看破して離れた方もおられます。母親の面目躍如たるものがありますね。
家族内で同じ信仰をしていない方が病気になるような事も「迷霊の影響だ」などと他人事するのではなく、御自身の信仰に問題がないのかを疑わなくてはなりません。ご自分の信仰によりご家族親族に悪影響が出ていないのかをシビアに見ていく責任がございます。魂清浄で教えている「総体的に見る」という事です。

霊の事というのは本当に危険であり決して遊びではございません。場合によっては命に関わります。自分とご家族ご親族の人生が大きく左右される事になるので真剣かつ冷静に考える事が必要なのです。
二代目天霊師の元で大國主大神様にお仕えすると一日千日の行、一人千人の行となり家族親族まで好影響が出ますが、もし間違った道に入りますと、自分自身のみならず家族親族,果ては子孫の体にも迷霊を注ぎ込んでしまう事となり、家系に対し霊的に大きな迷惑をかけてしまう事になります。
これについて誰も責任など取ってはくれません。あくまでもご自分の判断にかかっているからこそ、冷静に考える必要があるのです。

2014年1月18日

信仰

魂清浄の神法は大國主大神様にお仕えする「信仰」であります。
開祖天霊師は「魂清浄の神法はあらゆる宗教の頂点である」と宣言されておられます。

昨今、「信仰、宗教」という言葉を使いますと、なかなか人が集まらないというような思惑が手伝ってか、「新しい霊的なシステム」「霊的な医術」などというような信仰という面を切り離した説明をする方がおられるようですが、これでは魂清浄の神法において最も重要な「大國主大神様への信仰」という事が希薄となり、本末転倒となる恐れがございますので、余程注意が必要です。
繰り返しとなりますが、天霊神霊研究所は病気治しの病院ではなく、あくまでも目には見えない「大神を教えるところ」「大神に仕えるところ」であります。

人は何故「信仰」するのか? それについて開祖天霊師は「不安を解消して頂くためである」と極めて明快にお答えになられています。
自分自身の体内の迷霊が少なくなれば、目の前の問題についても、大神様の御導きが分かるようになり、そのため自分の迷いがなくなり、迷いがなくなれば不安もなくなる、と仰っておられます。

実際に天霊神霊研究所の二代目天霊師の元で地道に行を続けてまいりますと、日常生活の中で不安になる事、心配する事が少なくなっているという声がよく聞かれます。大神様にすがったり頼ったりするような心持ちではなく、気がついてみるとそのように穏やかで平静な心持ちになっていくようです。そのため不安から慌てて行動をとったり、焦りや恐怖心からガツガツするようことが少なくなってまいります。こういう状態が続いていることを「毎日が正月」と言うのでしょう。不安の多い時代の中ではこれが ”何より” なのではないでしょうか。


<開祖天霊師の講義録より抜粋>

信仰とは私たちの不安から解消していただくのが全てです。私たちが信仰する、大神様に従って行く、こういう事は日常の不安から解消して頂く為に信仰をなさるわけなんです。よろしいですか。それには不安から解消するために信仰はあるわけですから、皆さん方、迷ってはいけない。魂清浄を一生懸命唱えて頂きますと必ず大神が皆さん方の後についておる。「あっこれはこういう風にしなさい」「こうするとそれ以上儲かるぞ」あるいは「お前はこうすると損があるからこういう事をなさるな」。常に大神が皆さん方を見ていて頂きます。それはまあ人間、罪の子ですから・・確かに時には自由にはさしてくださいます。他に迷惑をかけない事ならどんなことをやってもいいと言うんだから、(自由には)さしてくれますけどポイントだけは大神が焦点を絶対に狂わせないようにしてあるのが魂清浄の神法でございます。よろしいですね、これを忘れちゃだめなんですよ。
それには自分自身の体の迷霊を少なくするという事です。迷霊を少なくするということは自分本来の姿になれば大神様の仰る事がすぐ分かるわけです。ね。ツーって言えばカー。だから迷わなくてよい。迷わなくてよければ不安がないと、こういうことなんです。よろしいですね。

2014年1月10日

二代目天霊師の祈願祝詞

二代目天霊師(遠藤 守先生)は現職の天霊師(職)です。
天霊師がよまれる祝詞は真っ直ぐ素直な響きを持ち、その祝詞をそばで聞いておりますと、自らも童心に返ったかのような心地が致します。これも師のお人柄故でしょうか。

以下は現職である二代目天霊師の祈願祝詞の録音です。録音状態が悪く大変申し訳ございませんが、これも貴重な記録と思いますので添付させて頂きます。

どうしても開祖天霊師の事ばかりに集中してしまう方が多いようですが、
「現職の二代目天霊師が、今日現在の魂清浄の頂点である」事を再認識して頂きたく存じます。
二代目天霊師を通じてはじめて大國主大神様に通じるという事を自らの行を通じてご理解・ご体験頂きたいです。

2014年1月8日

睦月の御祭り

今日は本部道場の睦月の御祭りでした。二代目天霊師が祭式を行なわれまして大変なごやかで楽しい御祭りとなりました。直会のお神酒とお料理がとてもおいしかったです。
開祖天霊師のご息女である育子さんも毎月参拝されています。色々と貴重なお話を聞けるのが楽しみです。

二代目天霊師と開祖天霊師の御息女・育子さん

御祭りの意義と心得

毎月8日には本部道場の御祭りが行われています。何故、本部道場の御祭りに参加することが大切なのか、どういう事を心掛けたら良いのかを、開祖天霊師が語っておられる録音がございます。詳しく解説をするよりもそのまま聞いて頂く方が伝わる事も多いと存じますのでそのまま添付致します。

<開祖天霊師講義録より抜粋>

(本部道場の)御祭りは月に一回致します。何故、祭り、縁日を選んだかと申しますと、私達は時々修行はしておりますけれども、霊の中には、さっき言った通り、本人霊を取っ捕まえて、あっちへ逃げ隠れこっちへ逃げ隠れしたりするような霊が多い訳でございます。
そういう風な霊は本部道場へ来てもそういう風な事をする霊でございますので、ましてや支部道場もしくは準道場においてもそういう事を致します。あるいは家庭においてはもっぱらでございます。

従いまして(本部道場に)「あいつが行かんから俺も行かんでいいや、俺はもっと親しいんだ」「じゃあ、あいつが行かんから俺も行かん」と連鎖反応を起こした結果、なかなか、足どめをされる場合がままある訳でございます。足どめをするというのは、ここ(本部道場)へ来たいんだが来れなくなっちゃう。行こうと思えばお客さんが来る、行こうと思えば仕事が目に付いて来れなくなっちゃう。迷霊が邪魔をするんですね。その時には行こうと思った時にトントン来られるような姿でなくては上手くない訳でございます。そこで縁日(御祭り)を作った訳でございます。
縁日に参りまして、そういう風な返答をする奴(迷霊)は端から処断致します。ところが霊の方で知っておりますので、来ただけでもうすぐ昇天してしまうんです。大神様の顔を見ただけで、顔色,目色を見る訳です。

従いまして、御祭りには「忙しい」など言わないで御参加をくだされば、大神様方はそれ以上御授け致します。(私事を)一日ずらせば、それ以上、あるいは一日繰り上げても、それ以上お授け致します。ひとつ出来るだけ御祭りの日には大神様と共に一日愉快に楽しくなさるように、して頂くように、自分で機会を作りませんと出来ません。

どうかひとつ、迷霊達に「早くお前達は昇天しないと、御祭りなのに駄目じゃないか」と。 御祭りの日に参りますと、(霊界の)六段階あるうち良いところに、「俺は四段階に行かなくちゃならんかな」と思っても三段階に行くようになる訳でございます。どうかひとつ、出来るだけ御祭りに参加して頂いてお願いをして頂くようにという訳でございます。

御祭りの時にはご専門の大神様方が全部入ります。お出でになります。普段は修行をする場合の普段の様な場合につきましては、そのご専門の方々が降りてくださいます。伺いをするような場合についてもご専門の方々が降りてくださいますけれども、御祭りの時には全てそれぞれのご専門の方がお降りになっております。ですから皆様方が魂清浄を唱えて、色々言って頂けばその場で分かるようにしてございます。ちょうど迷霊には邪魔をされないように道場はなっておりますので、どうかひとつその点を頭に置いて頂きたい。

と同時に、祈願のない事はやらないというのが鉄則・原則でございます。しかし、魂清浄の神法の中には一魂清浄から十魂清浄まで唱えて頂くその中には、その中には全部祈願が込めてございますけれども、その唱えた後で何を優先をしてやるのか? そういう風な点が大神の方では分かりません。例えば、「うちの子供が言う事を聞かないから、大神様の方から一つ良いように一つお授け願いたい」という風にお願いをして頂く。そうしますと大神の方ではそのお積もりでやって頂けます。ですから欲をかいて祈願をして頂くようにお願いを申上げます。特に色々の問題については順次やってくださいます。

ところが皆さん方の方でお願いをしたって忘れる場合がよくあるんです。例えば一年後に実現したりする事もある訳でございますけれども、常にお願いをし、また大神様方に御礼の修行を申し上げる、そういう風にお願いを申上げたい訳でございます。祈願につきましても先達者もしくは私(天霊師)を通して頂ければ更に発揮する訳でございます。どうかひとつ、お願い事がございました場合については、私(天霊師)ないしは先達者を通してご連絡をして頂く、是非ひとつそういう風にして頂くように。

2014年1月1日

初詣

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
天霊神霊研究所本部道場では12月31日から1月1日になる時間に歳送り歳迎えの大祭が行なわれました。祭式途中に道場内の雰囲気がさらに清々しくなり、新年の訪れを感じさせられました。私にとってはこれがいわゆる初詣となりました。
正月になりましたので、日本の多くの方々はあちらこちらの神社仏閣への初詣に行かれている事と思います。生前、開祖天霊師はこのような風習に警鐘を鳴らしておられました。神社、仏閣、教会、聖地等のいわゆる宗教的な施設の中には迷霊の巣窟になってしまっている所が少なくなく、そういう所で祈願を致しますと、そこにたむろして待っている迷霊達が種々の協力をする代わりに祈願した人の体に入り込むという事が述べられております。全ての病の原因は体内に迷霊がいる為に発生すると言われておりますので、知らず知らずの内に年始の初詣の時に迷霊が体内に入る事を許してしまっている方が多いという事です。ですから聖地とよばれるような場所には出来るだけ近づかない方が良いということを仰っておられます。
開祖天霊師の講義録の中に神社仏閣等の実情が述べられておりましたので抜粋致します。


<開祖天霊師講義録より抜粋>
(開祖天霊師)それでは神社仏閣はどうなっておりますかと言いますとですね。たむろしているというのは聖地ですね。ヒジリ、聖地。聖地という所には必ず、耳に口に○○流す、耳に口に流して沢山居るわけです。だから神社仏閣やそういう多い所を聖地って皆さん方言いますけれども、これは要するに迷霊の沢山いる所が聖地、迷霊が沢山居るんです。だから行ったらろくな事はない。集まっています。仲間が集まってるわけです。

従って神社仏閣、神社行ったって仏閣行ったって、迷霊がたくさん居ます。皆さん方が神社に行って「お願いします」なんて言うとそこに迷霊が居るもんですから「誰か来やせんかなあ」とそこへ集まってたむろしてるわけですね。「誰か来てくれりゃいいな、誰か来てくれりゃいいな、向うから綺麗なお嬢さんが来た、お参りしてくれりゃいいなあ、来い、来い、来い」。お嬢さんがお参りしてお願いをします。「あー良かった。一緒に(お嬢さんの体に)入ろう」てな事で。たむろして集まっているんです、迷霊が。あっちの神社に行って頼む、こっちの神社に行って頼むもんだから、だから(体に)いっぱい入ってる。と今度は頼んでどれへ入るんだ、あ、あれへ入るのか、後について(体に)入られる。そういう事で入られるのが今まで(の事)なんです。(一般の方は)良く知らないんです。

ですから皆さん方は神社仏閣へ行ったらどうしたらいいだろうか。行ったら魂清浄を唱えて、そのまわりに居ります迷霊を昇天さして上げると言う事ですね。それには一魂清浄から十魂清浄まで声高らかに唱えて頂く。そうすれば自分の体に居る迷霊もその界隈に居る迷霊も喜んで昇天するようにしてあります。(中略)


(質問者)魂清浄を唱えさせて頂いて商売繁盛させて頂いたわけですが、なるべく神社仏閣へ行かない方がいいと伺っております。レジャーで○○稲荷へ行って来て途端に商売がおかしくなった体験をさして頂きました。
(開祖天霊師)それはですね、いわゆる教えられたわけです。そういう風な所へ行くと、そういう風な影響があるぞと教えられたわけです。それにはまた行をやってそこの所を開いて、だから行っちゃ駄目だよ、教えているわけです。普段(大神様が)守って下さっているのに他所(よそ)へ行ったものだから。相当皆さん方が行をやらなければ向こうの霊はでかいですから。
(質問者)先程のお話では、神社仏閣へ行った場合には魂清浄を唱えてくればよいという風に伺ったと思うんですが。
(開祖天霊師)(魂清浄の祝詞を)上げんよりは上げた方がよい。
(その他大勢)大笑
(質問者)それじゃあ行かない方が良いと(いうことですか)?
(開祖天霊師)行かん方がよい。
(質問者)実際に△△さんの世話をやっとりますと神社仏閣だとか知らないで行く場合も沢山あると思うんですが。
(開祖天霊師)あるでしょう。今は(迷霊の)相当勢力はだいぶ横行しております。例えば伽藍(寺社の建物)がでかいからというのは問題でない。小っこくったって力のあるやつがありますから。
(質問者)そういう所へ絶対行かないというわけにはいかないが。
(開祖天霊師)行って来たらその後修行をすることですね。君子危うきに近寄らずと孔子様もおっしゃってるんだから。通ったから憑くってもんじゃない。境内に入らなければ。(境内に入ればそこにいる迷霊だって)俺の所へ入ったんだから俺の所へ入れというものです。
http://youtu.be/gjVHg2Tv2y8


2013年12月28日

<重要> 病気癒しの病院ではない

1972年1月8日に発行された天霊新報第11号に,1971年12月24日予言の日に大神樣方の御神示の一部として「信奉者一般の心得」があります。その中に次の一節が記載されております。

「最近天霊の口をとって教えるのだが、
 天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではない。正神を教える所であると云う事だ。
 これは、大神の御言葉である」

これは大國主大神様に一生懸命お仕えし、修行の過程において、病気も治癒してくるわけであり、本末転倒な考え方を戒める言葉にもなっております。病気とは精神、肉体、経済、家庭・・・といずれの病も同様の事です。

また、ご祈祷によって人様の病を癒すお手伝いをされる場合があると思いますが、祝詞をあげたり、除霊石を使用するのは人間ですが、実際面でお力を発揮して全ての迷霊を昇天させてくださるのは大國主大神様です。それに従って病が癒えてくるのです。これは決して除霊石や竹鞭を使用した方のお力ではありません。当たり前の事ですが、人間は大神ではありません。あくまでも代理、代行です。また、病を持つご本人の修行により大神様からお力やお薬を授かって病が癒されるのです。

この点を間違えますと巷の祈祷師、占い師の類(自分の体内の迷霊の力を使用する方々)と同様になりますので、癒したのはご自分の力かのように勘違いをなさらないよう御注意が必要です。
初歩的な内容ですがこのような簡単な落とし穴にハマる方々がおられます。

また、道場外で除霊石等を使用して治療や祭式等を行ない個人的に報酬を受け取るような事は「大神様を利用する行為」です。これでは本来のお働きは期待できないでしょう。
大神様を治療の道具にしてはならない(大神様を利用してはならない)事を深くご認識頂きたいと存じます。

以上は「信仰」という面から考えてみれば、どなたでも理解出来る事なのですが、迷霊の渦中に入りますと意外と気付けないようですので、特に御注意が必要です。


なお、大神様へのご祈祷をして頂いて良くなった方は、天霊師がおられる本部道場に参拝し、直接大國主大神様に分相応の御初穂(※)を添えて御礼を申し上げる事になっております。どんな時でも祈願をして良くなったら大國主大神様に御礼を申上げる事を忘れてはいけません。
天霊神霊研究所は正神を教える所です。大神様が目に見えないからといって良くなってもお礼も申し上げないようではいけません。それでは何の為に行をしているのか分からなくなります。個人的には、大神様と人との関係は人と人の関係と似たような所があるように思います。そのため良いおつきあいが出来るように良い心掛けが必要と考えております。


繰り返しになりますが、魂清浄の神法におきましては、ご祈祷・治療してくださった方個人に御初穂・報酬等を差し上げる必要はございませんので、この点はくれぐれも御間違いのないようにお願い致します。お礼はあくまでも本部道場で直接大國主大神様に申上げてください。また天霊神霊研究所から報酬を請求するような事も絶対にございません。


(※ 天霊神霊研究所では御初穂と言います。”初穂料”という言葉は使いません。また御初穂については分相応という事ですし、お金でなくても良いとされています。これは開祖天霊師の時代から変わりません。
ですから例えば、何かのお店のように何々をしてもらったら△△△△円ですとか、巷の祈祷師のように何の病気を治したら成功報酬で□□□万円等という事は有り得ません。
天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではございません)


開祖天霊師のお言葉として、魂清浄の神法では「神事で食べても良い(職業としてよい)のは天霊師のみ」となっているそうです。つまり奉賛会会員が魂清浄の神法の神事を職業にする事(報酬を得る事)は許されておりません。
これは神格位一位である天霊師(職)となると、人間としての財の枠が無くなり、何もかも毎回大神様から授けて頂かなくてはならない状態になるからであるからではないかと推察致します。
ただ現実には、開祖天霊師も二代目天霊師もご自分の職業をお持ちの上、神事に従事して来られた経緯がございます。
そういう意味から考えてみても、奉賛会会員の方の中に魂清浄の神法を職業にしたいと思われる方もおられるかもしれませんが、残念ながら許可はされません。

1972/1/8発行 天霊新報第11号より抜粋

2013年12月24日

12月24日 予言の日

本日は本部道場にて予言の日の祭式が行われました。開祖天霊師御生前には大神様が御降神されて来年の様々な予言を行われておりましたが、現在は祭式のみとされています。この日は大神様方の御祭りとも言われており30億〜50億柱の大神様方が集われるという事が開祖の講義録も残されています。毎月8日の御祭りとはまた違った素晴らしい雰囲気の漂う御祭りでした。本日は休日ではないこともあり20名位しか参加されておりませんでしたが、神前の雰囲気は大勢の方でごった返しているような感じを受けました。大神様方が大勢いらっしゃったからそう感じたのかも知れませんね。

<開祖天霊師講義録より抜粋>
だいたい予言の日の時、12月24日に予言をいたしますが、その時には30億(柱)位の正神が本天体にお降りになるそうです。(地球には通常500柱位※しかおられないので)他所から間に合わせてくれる(他所の天体を担当されている大神様方も応援しに来てくださる)。そして予言をやって頂くようでございます。ただ大神様方が慣れていませんとなかなか、(霊媒を)勉強してくださっている大神様方なら、はっきり率直にいきますけれども、なかなかそういう状態の為に時には当たり外れがあるのではないかと。ま、そういうことのないように御願いして盛んに勉強をしてもらうようにはしております。(※現在は地球に1億柱の人格神が配置されているそうです。)

また、予言の日といえば、開祖御生前には12月24日の予言の内容が翌月1月の「天霊新報」(当時の会報)に掲載されていました。開祖天霊師が昇天された年でもある1975年の1月の天霊新報には、2013年現在にも通じる内容が残されておりますので,記録の意味も込めて抜粋させて頂きます。

<1974年12月24日の予言(天地宇宙大神の御霊媒)より抜粋>

「奉賛会について」
現状は乱れている。ムホン者は処罰する。魂清浄の頂点は一つしかない。幹部はしっかり努力するよう。小さな根性では駄目である。自ら過ちを悟れば許す。

「霊媒について」
霊媒は本部神前のみ。他は許さないことにした。これは間違いが多いから。迷霊が多すぎ迷霊に連れて歩かされないよう。

「信者について」
一にも行、二にも行、三にも行を心がけよ。自宅は道場ではないので本部または支部で行なう。支部長は本部で行なうよう。責任を負っているので。熱心にやった者には熱心の程度に授ける。
神仕えすると忙しくなるが必ず大神様が手配してくれる。取り違えのないように。一生懸命やれば良い必ず栄えるようになっている。何事も恐れることはない。魂清浄をあげない者は皆迷霊である。

2013年12月18日

一事が万事

魂清浄の神法において「行を積む」という事はどういうことなのでしょうか。当時の奉賛会会員が開祖天霊師に質問している録音が残されています。開祖天霊師は行を積んで肚が据われば魂清浄の神法は「一事が万事」であることが分かると言い切っておられます。
口では魂清浄の祝詞を唱えていても、いつまでも経っても疑心暗鬼の状態ままでは、体内の迷霊に足元を見られてなかなか望む結果を得られないのではないでしょうか。
以下に開祖天霊師の講義録からの抜粋致します。(一部カッコ書きで注釈を加えました)

<開祖天霊師講義録の抜粋>

(質問者)行を積むと言う事は魂清浄を沢山上げた(唱えた)事が行を積んだと言う事ですか。
(開祖)迷霊を体から取った事が、取った(昇天した)数が多ければ多いほど行を積む。
(質問者)自分には分からん訳ですね、どの位かは。
(開祖)いや分かりますよ。やってみりゃ分かります。「お前はこの位の行があるぞ」と分かります。と言うとどういう事かと言うとね、「一事が万事」なんです。一事が万事。一つ病が治れば、みんな治るんですよ。従って、肚を据えてくれば一事が万事ということが言える、肚を据えて来ますと。例えば今ここに居る人が、ああ痛い痛いと言うのをポンと治すとします。特に薬を付ける訳でも何でもない、魂清浄やれば治る、全部治る。例えば、耳の痛いのが治れば目の痛いのも治る。腹の痛いのが治れば頭の痛いのも治るはずなんです。はずじゃない、治らなければならん。一事が万事なんです。その一事が万事の一事に徹すれば、そうすれば迷霊がびっくりして側(そば)になんか来ませんよ。逃げなきゃって、手をつけられちゃうんだほんと・・で逃げちゃう。あるいは魂清浄上げれば、(17霊界に)早く行かなけりゃならないって訳で行きます。まあ抵抗する様なやつ(迷霊)も居ます、中には。




2013年12月14日

霊媒




佛教なんかで   とか色々言うのが迷霊霊媒です                                13

迷霊霊媒をする場合にですね、大体人間霊もいたしますけれども人間霊てば迷霊の迷霊の人間のですね、動物、案外こちらの方が多い様です。これもいたしますけれども人間の霊ですね。人間がやる場合もあります。ありますが殆ど動物が多い様です。中でも人間と親しい猫霊なんか中々見事にやります。大体日蓮宗辺りで霊媒「   
 」「やるのは殆どこれば多い、猫霊が多い。猫霊が多い、中々うまいです。ですから疲れるですね。霊媒が非常に一つやるともうぶっ倒れるですね。猫を随分集めて猫が一所懸命その人のまねをするってわけです。そんだもんだから大変なんです。私が一所懸命ね、修行してる時でございます。けどよくそのこういう動物霊もしくは人間霊これにその随分ま悩まされたと言いますか騙されたと     14

言いますか、事があるんです。例えばこう座っておりますと天霊、天霊って言うからなんでございましょう。明日何処何処へ行きなさい、あ、そうですかと行って見ると何にもないてわけ、それから帰って来まして大神にそのおっていうと、いやわしはそんな事教えない、多分迷霊の言ったこんではないか。迷霊誰だ。って言うとわしは狐霊です。或はわしは猫霊です。色々その言うわけです。だから自分以外の場合に付いてもですね、よくそれが正神であるか迷霊であるか言う点を非常にその、ま、迷った事が随分あったわけでございます。それはそういう風にしないと問題があるわけです。と申しますとですね、こう言う問題があるんです。道場、道場に於いて魂清浄を唱えてそうして口がきれた場合、口がきれるというと中には分らん方もあると思いますが、自分の自由意志以外の何者かですね、何者かが自分の口をとる場合が                             15

口がきれると申します。いいですね。自由意志以外の何者か或は自分の自由を入れなくてもいいです、自分の、自分自身の、自分自身の意志以外の何者かが、自分の言葉を自分のマイクロホンですね、自分の喉、マイクロホンです、のそれをとる様な場合があります。それが口をそういう風な場合、口がきれたとこう申上げるわけです。その場合皆さん方の御家庭で降りた場合は、もう全て迷霊と見てよいわけです。迷霊と見てよいわけです。そう言う風な場合がありますので、道場で口がきれた場合に於きましては正神でございます。道場、道場とは本部道場若しくは支部道場でございます。それ以外は違います。正神は道場若しくは、正神は道場以外では大体とらせないのを原則としております。正神は道場以外、以外では原則として正神はですね、道場以外は原則として口をとらせないのが原則。       16

あくまでも原則でございます。従いましてあちらこちらで大国主大神だという様な事がありましても、それは違っております。そう言う風、限定されてしまって来ておりますので、どうか一つ過りの無い様にして頂きたい、よろしいですね。だから今、今の所はですよ、今様においては道場以外で口をとる事は原則として許さない。だから町でもって霊媒があってそこでわしは大国主大神だってそれは嘘八百でございます。だからよくその突き詰めれば白状します。責められますと白状します。だから、正神霊媒、命霊媒までは所謂道場でないとやらない、いうのが原則になっております。魂清浄が生まれて以来ですね、魂清浄の神法が生まれてから、そういう風にしようじゃないか、大国主大神、そうでないと頂点が外れる場合があるから、そういう風にしようじゃないか、こういう事でございます。ですから、他所で行われている                                 17

霊媒というのは嘘八百、つまり迷霊霊媒、人間動物の(二)(ホ)、(二)(ホ)で行われておるわけです。迷霊でございます。その事を頭に置いて頂いて他所の書物、或は他所の色々の問題を、に、照準を合わせて頂く様にこれからお願いを申し上げたい。更に鞭を御持ちになりますと、その点をですね、動揺をなさらない様にお願いを申し上げたいわけでございます。よろしいですね。例えば書物でもって、大国主大神様がああ言ったこう言った、嘘八百です。だからあくまでも道場で口をきってもらったものは正神である、つまり命以上ですね。(イ)(ロ)(ハ)そういう事でございます。だけど(二)(ホ)はですね、動物霊媒、人間迷霊霊媒、これはですね、どんどん行っております。エーそういう風にですね。(イ)(ロ)(ハ)はですね、道場に於いて行われるだからそうでない所で行われている様な場合に於きましては(二)(ホ)、(二)(ホ)だこういう風にお考えに   18

なって頂く様にお願いを申し上げておきます。(テープ10Bの48分22秒)

2013年12月12日

人間の能力拡大

人間誰しも、自分の中の眠れる才能・能力を発揮したい、開花させたいと願ったことがあるのではないかと思います。一般的に人間の脳は10%程度しか使われていないと言われております。
開祖天霊師の講義の中でも、一般の人間は自己の本霊(本人霊)が脳の10%位しか使用できず、残りの部分は迷霊に占拠されているとされています。そのために自分の才能が思うように発揮出来なかったり、自分でも想像もしなかったようなミスを犯してしまったりと、自分自身が自分の思うようにならないことは誰もが体験している事ではないでしょうか。

開祖天霊師は魂清浄の祝詞を唱えることで、自分の脳を占拠している迷霊が昇天し、本人霊が使用出来る脳の領域を増やす事が出来ると説明されております。これは巷で天才と言われる方々はともかくとして、常々なかなか目の出ないその他大勢の方々にとっては朗報といえるのではないでしょうか。この開祖の講義録の一部を抜粋致します。(口語で分かり難い部分には注釈を加えました)

<開祖天霊師講義録より抜粋>
そういうことで「少ない投資で最大なる効果」を産めるようにしてくださるのが大國主大神様のお導きであるわけでございます。それには私達の体に居ます迷霊を早く昇天をさせて頂きます。そして(直接)本人霊に大國主大神様のご指導をして頂けば、やること成すこと間違いなく出来る。従ってそういう道徳、もしくは倫理も(自分の中に)構成されて参るわけでございます。ここに至って、道徳あるいは倫理と申さなくても、いつか知らぬ間に自ら自分がその道を踏んでいるような姿になるようにならなければ嘘でございます。どうか一つ、そういうふうに造ってある、そういうふうに構成してあるわけでございます。ですから、魂清浄を(唱えて)早くそういうもの、迷霊を出しまして(昇天させまして、本人霊が使用出来る脳の領域を)100分の10から脱しまして、100分の30、100分の50、100分の70、最後には100分の10(←100の言い間違い)の姿になりますれば、毎日の新聞を賑わすような、あのようなテレビの事件は出てくる筈がないわけです。作ろうとしても出てこないわけです。
どうか一つその点を皆さん方、心に置いて頂きまして、自分の行っている行動、自分の心から、口から出る言葉、言霊、言葉。いわゆる物も言いようで角が立つという、表現も同じ様に致しましても、表現の仕様、仕方によりましては、悪くも良くも解釈出来るわけでございます。考えなし(に言動をとる)というふうな(事を)、皆さん仰るわけでございますが、私達はあくまで、物を総体的に考えるよう、いわゆる物事を総体的に考えることが出来る。物事を総体的に把握する。そういう様になるためには、やはり迷霊が居っては都合が悪いわけでございます。どうか一つ、魂清浄はそういうふうに私達がセクト的(←”総体”の反意か?)にならないように、姿に転換をする行法である。人類の最後の願い、共々に太く長く生活をして、また世継ぎになる人達に対しましても、この地球の表面を良くしていこうじゃないかと。そうして永遠の幸福が得られるようにしていく宗教です。魂清浄の神法であるわけでございます。
(中略)

(質問者)我々の脳は迷霊に占拠されまして、自分の持っている10%程位よりも使用されていないという事でございますが、修行していきますれば10%のものが50%でもとのお言葉が出たんですが、言葉の綾としまして100%自分のものが使えるという事に成るというの意味でございましょうか。それとも10%がフルに使えるという事に成るんでございますか、いかがなもんでございますか。
(開祖天霊師)段々増えてくという事です。10%がですね、一割が二割、二割が三割に、三割が四割になる。こういう事です。魂清浄を上げて迷霊が取れてきます。そうすると今度は自分自らの力がそのまんまそこに出て来る。こういうことです。
(質問者)そこでそのパーセントが物理的にこれが先生の体験から出たお答えでございますか。それとも神様から教えられたお言葉でございますか。
(開祖天霊師)両方でございます。
(質問者)両方でございますか、有難う御座いました。

2013年12月8日

師走の御祭

今日は本部道場の師走の御祭でした。師も走るというほど忙しい時期にも関わらず、大勢の奉賛会会員の方々が参拝されました。天霊先生も皆さんが座りきれないのではないかとご心配されるほどでした。今日は御祭りの後にも様々な祭式が行われましたので、直会の時以外はずっと魂清浄の祝詞を唱え続けていたように感じるほどしっかりと行をする事が出来ました。本部道場の御祭りの日は普段の三倍の迷霊を昇天させて頂けるという事なのですが、今日は本当に多くの霊が昇天したようで体はすっかり軽くなりましたが、少し疲れてふらふらするほどでした。

御祭りの後に天霊先生のそばで一緒にこたつに入らせて頂きながら、先生が戦時中に色々苦労されたお話などを伺う事が出来ました。戦争の時代は本当に皆が大変であったとしみじみと述懐されました。来年3月には88歳になられ米寿を迎えられるので、本当にお目出度いですね、とお話ししていましたら「目出たいねえ、でもいつお迎えが来てもおかしくないからねぇ。ハッハッハ」と屈託のない笑顔でお答えになられました。確かに先生にとっては生も死もそれほど大きな通過点のようには感じられていないのかもしれませんね。それでも毎月多くの会員の方々が遠くから先生を慕って来られているのですから、少しでも長く長生きしてくださいとよくよくお願いを申上げました。

2013年11月26日

一日千日の行

開祖天霊師の講義の中で何回かお話しされている体験談があります。それは開祖が静岡県の知り合いの所に出かけた際に、たまたま出会った静岡県一番の行者と言われる方から試合を挑まれた時のものです。その行者は××宗総本山の有名な△△山で37年間も滝行をされた方で、霊的にはその滝に関係する大きな蛇霊を使役する行者でした。
以下開祖ご自身の講義からの抜粋(口語のために理解し難い箇所には注釈を加えます)。


<開祖天霊師講義録より抜粋>
(行者が使役する)大きな蛇(霊)がね、火を吐く様、舌が火を吐いてる様です。(だからその相手をしている)私も大変なんです。それから(私が)「ヤーッ」て一発やったわけです。そうしたらこの人達(見物者達)がみんなガタガタ、ガタガタンとびっくりして逃げちゃったわけなんです。異様な力が・・これは行者の命取りの試合ですよ。だからもう妖気満々なんですね。そうするとですね(今度は)、こう出て来た(蛇霊の)頭のこう大きなやつが腹を出して出て来ますね・・すごいです蛇(霊)ですね。そうするとね、又手を合わせてると今度は私の心臓を蹴ってくるわけです。タッタッタッと蹴られるんです。(もう私の)命が止まりそうなんですね。タッタッタッと心臓を蹴ってくる、それから(今度は私が)蹴ってくる奴(迷霊)を外すわけです。(これを)外しといて又(私が)突いたんです、「ヤッ」と二回目ですね。しばらく経つとですね、その間5分間なんですけども時間が随分長いような気がしたけど、その次に今度は又「ヤッ」て三回目に私がやりました時には(行者の体が)ピ タッと(床に)伏せましてね、頭が上がらん、下へくっ付いて上がらん。(そしてその行者は)勘弁して下さい、勘弁して下さい(と謝った)。それから(私がこの行者を)勘弁してやりまして試合は終わったわけです。

そうしますとね、その行者は何を言うかと思ったら、「(行者)貴方は何年修行しましたか?」「(開祖)ちょうど十年、大國主大神様につきまして十年」。こちらの方(行者)は△△山で三十七年やっておる。そうすると大國主大神様は私の口をとって説明するのに、「(開祖)私の一年は千年、私の一年は千年。私の一日は貴方の千日。私の一日の行は千日の行です。それが十年間。貴方は一日の行が一日だ。」
問題じゃないですよね。私が一日千日の行をやって十年間。貴方が三十七年間。一年三百六十五日。こ っちは三千六百、三万六千日ですね。違うんですね全然。
「(行者)よく分かりました、どうか勘弁して下さい」という風な事で、後で直会をして別れましたけれども、その時に、こんな小僧(開祖)にやられてしまって本当にもうしょうがないと思うけど仕方ありません。力と力(の勝負)ですから。簡単に5分で押さえられてしまったですね。(中略)

その時(その行者が)「私(行者)に対して何か注意はありませんか?」と言うので、「(開祖)実は貴方が(今後)滝へ入る場合に、滝ですね、滝の中へ入ったら頭の方は冷やさない様に、頭を冷やしたら体を温めておかないとこれから貴方はすぐに死んでしまいます。」そういう風に注意申し上げたわけでございます。そうすると「(行者は)とにかく明日まで待ってくれないか」ということで、明日(次の日)この人(行者)は滝に入って来ました。そうしてその方法を聞くと、頭をちょっと(滝で)打たせたら、もう体がまるで・・何て言いますか、死にそうな目に合いました。(行者が)ほうほうの体で帰って来たわけです。そういう風な場合迷霊同士、(今回は)私の方が正神だからこっち(行者)の命は奪わなかったわけですが、迷霊同士の場合だったらヤッと突いたらそれでお終いなんです(相手が死んでしまう)。こういう風な事は、こういう風な行はですね、ここで出来るんです。自分が一人だと思うと大間違いです。幾らでも距離がありますから、距離がありましても問題は無いわけです。だから昔はいわゆる「行者の頓死」があったというのは、こういう風な形でやられしまったわけです。強い霊で弱い霊をやってきた(押さえつけてきた)。だから行者の頓死について私は論文を書いた事がございます。


以上が「魂清浄の神法は一日で他宗教等の千日分の行を行う事が出来る」ということを大國主大神様が体験を通じて開祖天霊師に教えられた時のお話しです。言うまでもなくこれは天霊師がおられる本部道場で行をした場合のみに当てはまります。

尚、上記の行者が37年も深山で滝行をして強烈な霊力(迷霊)を有していたという事ですが、これは滝行により蛇のような冷血動物の霊を体に入れていたために今まで滝行をしても問題が生じなかったと思われますが、開祖天霊師との試合により行者に憑いていた蛇霊が昇天させられたため普通の人間になってしまい、次の日にいつものように滝行をして死にそうな目に合ってしまったと言う訳です。普通の人間は、冷血動物ではなく、保温動物、哺乳動物で体熱を持っている動物ですから。

魂清浄の神法ではこの行者の滝行のような深山幽谷などではなく、日常生活を行う畳の上での行のみを教えております。魂清浄即日常生活、日常生活即魂清浄というわけです。魂清浄の神法の観点から見ますと、深山幽谷等の特別の場所で行なう行は基本的に迷霊の修行法であると言えるでしょう。動物、蛇、蛙等の水中動物はそのような場所で生活しているから、それらが霊化した後もそのような所に多く集まっている訳であり、そのためそこを人間達の修行場所とさせるわけです。修行させておいて人間の体内に入りその霊力を駆使しようということでしょう。

実は開祖天霊師は魂清浄の神法を開基されるまでの9年間は自宅の風呂場で冷水を浴び、大國主大神様の石造の重い軽いを確認する行をされていた経緯があるのですが、これは魂清浄の神法が開基される頃までの話であり、魂清浄の神法が開基された後は特に水を浴びる事などを奉賛会会員に推奨されてはおりませんので、この点を誤解なきようお願い致します。魂清浄の神法が開基された後は魂清浄を唱えさえすれば迷霊が17霊界に昇天出来る訳ですから別に水を浴びる必要もないのです。

巷の色々な刺激の強い行法と比べますと、天霊神霊研究所本部道場の畳の上での行(無心で魂清浄を唱え続ける行)は簡単に見えるのかもしれませんが、実はなかなか容易なことではございません。日々自分の人生を営む畳の上の行だからこそ、深山幽谷の行のように多くの不安や迷いに目隠しする訳にも行かず、逆に厳しいのだと思います。
一日千日の行と言われる通り、迷霊を昇天させ正神につながる意味でこれ以上の早道はございませんので、迷霊に騙されて横道に逸らされないように気を付けて頂きたいものと思います。

繰り返しとなりますが、魂清浄の神法の行は、一日の行が既存宗教の修行の千日分の行となります。それは本人の行により本人の体内の迷霊だけではなく、その迷霊の発信源ともいうべき本拠地(神社仏閣聖地等)からも迷霊が昇天させられるようになっているからです。また、本人の親族の体内にいる迷霊も一緒に昇天させる事が出来ますので、一日の行が千日分の行となる訳です。

2013年11月11日

赤色

6色の玉の所で少しお話ししましたが、魂清浄の神法で使用されるいくつかの色の内「赤色」は良くないとされています。中国やいくつかの国では赤色はお目出たい色とされておりますが、ここではあくまでも魂清浄の神法に限っての話しという事でご了承頂きたいと思います。
開祖天霊師の講義録の中でいくつか抜粋してみますので、ご参考にして頂きたいと思います。(口語で分かり難い部分にはカッコで補足しました)

<お札(おふだ)>
(質問者)お札を包む布は、先生は良く赤は最低 だと仰いますが、よくお札には赤を布でしてありますが。
(開祖天霊師)赤でない方がよい。 赤でない方がいいです。赤は最低です。確かに最低です。避けた方がいい。

<行の心得>

(質問者)大声を上げて(魂清浄を唱える事について)隣近所の手前に体裁が悪いって言っちゃだめだって(天霊師が)言いますけど、やっぱり、(隣近所の人が)あの人は狂ったんじゃないかって(言いますから)。」
(開祖天霊師)肚(はら)を据えてないってことです。(隣近所の人が)笑ったら、「お前もやれ、体が軽くなるぞ、やってみろ」、それ程の度胸がなくちゃね。こっぱずかしいなんて駄目だ。 特に皆さん方はこれから魂清浄の幹部なんです。幹部って事は骨ということなんだ。骨だから、自分が(魂清浄の修行を)やるのに恥ずかしいなんて言ってては力がなくなってしまう。 大神の方で力を与えてやるって言えば、(本人は)恥ずかしいです。(そうしたら大神も)おおそうか(じゃあ)俺の方も恥ずかし い(となる)。
(質問者)唱えている時に人が来ると家内が合図するんです。
(開祖天霊師)御夫婦で肚据えてや ってごらんなさい。恥ずかしい、そう言う霊が(あなたの体内に)おるからです。恥ずかしいと考える事 は、堂に入ってないという事、肚を据えてやりなさいよ。そうやってくると、例えば色々他の宗教の(霊的な)関係がはっきり掴める。皆さん方は肚を据えてないから、あっちでうまい事言えば、あーそうかなー。こっちで・・・。ともかく眉唾のもの程こわいんだよ。正しいもの程、何かこの朱に交われば赤ってね、朱に交われば、赤に交われば赤になると言って悪い事に赤を使ってあると同じ事でね。最低だ最低だと言うんだけれども、肚据えて来ると迷わなくなくなる。


<魂清浄の祭式作法>
魂清浄の場合の祭式を決めておきたいと思います。(中略)
更に(一般には)女の方は緋(ひ)の袴を履くという事がありますけれども、魂清浄では赤は最低でございますので、履いてもらわない予定であります。何を履いてもらうかと言うと、これを履いてもらう、□□□□□って言いますね、こ れを履いてもらう。男でも女でも同じでございます。服装も(後略)