2017年11月3日

英勲(京都伏見の斎藤酒造)の蔵開き

本日は晴天なり。遠路はるばる京都は伏見、斎藤酒造の蔵開きに参りました。

天霊神霊研究所では開祖天霊師のご指示により、祭式の際には斎藤酒造の「英勲」を用います。
なぜか甲府市内の酒屋にはこの京都の英勲を置いてある店が多いです。関東の他県ではまず見たことがありませんし、関西でも京都以外で英勲を扱っている店は少ないそうです。
以前奉賛会会員の方から、この酒蔵が大國主大神様に関係しているという話を聞いたことがあります。本日はその辺の調査も兼ね蔵開きに行ってまいりました。


斎藤酒造の蔵開きは、多くの人で賑わっておりバンド演奏まであってまるで高校の文化祭のようでした。安価で色々な種類のお酒を味わうことができましたが、生原酒などは普段飲んでいる英勲とは異なり、まるで砂糖が入っているかのように甘味で香り立つものでした。
また、これだけ大勢の人が集まっているに関わらず、霊的にはきつくないのが不思議でした。伏見稲荷の近くですから敷地を出ると重い感じがするのですが、ここではそのようなものが感じられませんでした。

酒蔵見学ツアーに参加させて頂きましたが、設備衣類のあちこちに松尾大社のお札が貼っていました。伏見稲荷や梅宮大社などのお札もありました。いずれも大國主大神様をお祭りしている神社ではなく、大國主大神様と英勲の関連性が分かりませんでした。


ふと地図を見てみましたら、斎藤酒造の裏手に本当に小さな神社があり、その名前がなんと「大国主神一切神社」となっておりました。その神社に行ってみると「一切神社」
とのみ記載されていて、鳥居と小さな神殿があるだけで、由縁書きなどはありませんでした。その神社で魂清浄ののりとを唱えてみましたが、清々しい感じがしました。そしてここが英勲と大國主大神様の繋がりだったのだと分かりました。

不思議なのは、斎藤酒造の方すら気づいていない(酒蔵に大國主大神様をお祭りしておらず)、一切神社にも大國主大神様の名前が書かれたものがないのに関わらず、遠く甲府におられた開祖天霊師はどうやってこの事をご存知になられたのでしょうか。
やはり大國主大神様のご指示を受けられたとしか思えませんでした。

本日は英勲をいくつか買ってきて、支部道場の御神殿に献饌させて頂きました。大國主大神様の御姿(御神体の石像)がにっこり微笑まれていたのが印象的でした。





2017年10月10日

新しい支部道場

自動車で新しくできた支部道場に向かいました。非常に古い土地柄で霊的にも深い地域ではありますが、支部道場がある街に入ると空気が軽く感じられ、支部道場に近づけば近づくほど、体がどんどん軽くなっていくことが分かりました。支部道場は清々しく街の中心になっている事を教えて頂いたようです。今後、支部道場を中心にしてこの地域も清まっていくことでしょう。

点から線に、線から面に。魂清浄の神法が広まるほどに、國がきよまっていくようです。支部道場のみならず、海外在住の奉賛会会員の方々からも同様の感想を頂いております。

魂清浄の神法を通じて大國主大神様に仕える方が一人でも多く増えることを心から願います。奉賛会会員の家に大國主大神様が巡回され清めめられると同時に、その地域もまた清められているのではないかと思います。

2017年10月8日

秋季大祭2017

今回の秋季大祭は日曜日で多くの人で賑わいました。今回は早朝から夜遅くまで滞在させて頂き心ゆくまで行をさせて頂くことができました。温泉にも入らせて頂き感謝です。とにかく体の芯から迷霊を抜いて頂いたという感じでした。途中、心地よい疲れで何度も寝てしまいました。

2017年9月8日

長月の御祭(いい日旅立ち)

本日は本部道場の長月の御祭に参加させて頂きました。
6日に大きな太陽フレアが発生し、その影響で地磁気が不安定になっているということでした。太陽が照りつける非常に暑い日となりましたが、それがフレアに依存するものかどうかは分かりません。

今日は御祭の後に、先日お亡くなりになった奉賛会会員の神葬祭の祝詞がよまれました。これも開祖天霊師がおつくりになられた祝詞ですが、非常に心に感動を生む内容でした。そして故人とのお別れをリアルに感じさせられました。故人にとって十七霊界への良き旅立ちとなったことでしょう。二代目天霊師もずっと瞑目しておられました。

今年は変革の年、新たな人生の旅立ちの年であると感じています。そして大神様が常に手をひいてくださっている事を現実の姿を持って御教え頂いています。
「一生変化し続けるこの人生を、大國主大神様と共に歩かせて頂きたい」そう強く念じた1日となりました。

2017年8月20日

花より実をとれ

開祖天霊師がよく口にされていたという言葉の一つに「花より実をとれ」という言葉がございます。

この言葉を現代の辞書で調べてみても見当たらず、似たような言葉では「名を捨てて実を取る」「花より団子」「花も実もある」ということわざが見つかりました。
これらのことわざの「花」とは外観や地位、名誉などの外見できるものを指し、「実」とは実益、実利など中身が充実している状態を指します。
ですから「花より実をとれ」という言葉も単純に「外見にとらわれず、中身重視で・・」という教えだと考えていました。

ところが先日、行をしていた時にこの言葉が頭に浮かんで来たのですが、その時突然「実というものは、花が終わった後で出来るもの」という直感が来ました。
そこで正しいのかは分かりませんが以下のように自分なりに解釈してみました。

通常、花が咲き終わった後で実が成りますが、収穫できるまでにはそれ相応の時間を要します。
これと同じように、大國主大神から授かった「才能」「力」なども促成栽培ではなく、じっくり時間を掛けて、実が大きくなるまで育ててから収穫してほしい、早く成果を得ようと焦ることなく、じっくり時間をかけて実力を養いなさい、という御心ではないかと思いました。

この直感を得る少し前に、就職活動について悩んでいる学生の方々とお話しする機会があり、よきアドバイスができるように祈願しておりましたので、それに関連してお答えを頂いたのではないかと思います。

開祖天霊師、二代目天霊師からお教えて頂いた様々な「言葉」について、行を通じて思ってもみなかった局面から理解できる事がございます。その状況に応じての教えと思いますので、いつでもどこでも通用するかは分かりませんが、大神様が私達をいつも見ていてくださっている事を感じます。(下の写真は文面とは関係ございません)

2017年8月8日

葉月の御祭

本日は甲府にある本部道場の葉月の御祭に参拝致しました。
大型で動きの遅い台風5号の影響で、本日の山梨県の雨量は400mmを超えるとの予報があり、昨日から中央自動車道は不通となり、電車についても甲府駅を通る中央線本線も終日運転見合わせになるなど、果たして全国の会員の皆さんが無事に参拝出来るのか危惧しておりました。
しかし、山梨県直撃という予想が多かった今回の台風は天気予報での予想に反し、今朝方能登半島の方角に向かい、結果として本日の参拝予定だった方々は全員無事に参拝する事が出来ました。甲府は雨も降らず真夏日となりました。この劇的な展開に半ば唖然としながらも流石は本部道場の御祭だと感服致しました。これは自然神の大神様方のお力によるものと思います。

本日、御祭の後に何組かの霊界誘導の祭式が行われました。また病癒しの行が行われました。魂清浄の神法の霊界誘導や病癒しの祭式では、毎月の御祭の時とは全く異なる専用の祝詞がよまれます。これも開祖天霊師がおつくりになられた祝詞です。
病癒しを祈願された方の身にまつわる迷霊や関連する迷霊達を17霊界に導く際に霊導きの鞭や除霊石を用いる事があります。
霊導きの鞭は通称・竹鞭などとも呼ばれますが、鞭と名が付いているからと言っても、決して人を叩いたり人に触れたりする事はありません。

魂清浄の神法の病癒しでは、人の体に触れる必要は全くありません。距離は関係なく、対象者が近くにいても遠くにいても同じように効果を発揮する事が可能です。他の宗教などで行われているいわゆる「手かざし」「手当て」などとは根本から異なるものです。

二代目天霊師に異を唱え勝手に分派活動をしている団体の中には、行と称して人を叩いたり蹴ったりする者がいるそうですが、いくら一生懸命魂清浄を唱えても、分派活動ゆえに大國主大神様が迷霊の昇天を許さないため、何の効果も出せず、力任せに迷霊を出そうと試みているのかもしれません。その為に叩かれた人が怪我をしたケースまであると聞きましたが、これが事実なら危険極まりない行為だと思います。病を癒すと称して病を作っている様は本末転倒であると思います。
痛みを与える事で迷霊が痛がって出るなどと考えているのかもしれませんが、体から無理矢理出した迷霊を霊界に昇天されられないのですから、迷霊は再度他の人の体の中に入り込みます。これは堂々巡りであり、単に迷霊を虐めるだけの行為にほかなりません。いずれにせよこれらの行為は魂清浄の神法ではありません。
魂清浄の神法は離れて癒すのが原則」です。迷霊といえども、全ての霊は大神様方の子供ですから虐めるのではなく、17霊界に昇天させてあげて幸せにしてあげなくてはいけません。

正神の大國主大神の元で魂清浄ののりとを唱えて、迷霊を17霊界に昇天させる為には、二代目天霊師の奉賛会会員になって頂く必要がございます。霊的にそのような仕組みになっています。これは上記のような誤りを教えている分派活動を防ぐためのものです。

他の方法や他の宗教で迷霊にアプローチされる方々については個々人の責任で行われている事と存じますので、ここで申し上げる事は何もございません。
しかし、魂清浄の神法を通じて大國主大神にお仕えする場合には、二代目天霊師の元で大國主大神にお仕えしない場合は、大神様方から「分派活動」と見なされますので、この点だけは肝に銘じて頂きたく存じます。

2017年7月8日

文月の御祭

今日は本部道場の文月の御祭りに参加させて頂きました。甲府は34℃という猛暑日となり、人が入りきれないほどの本部道場の熱気は筆舌に尽くしがたいものでした。今回は遠くヨーロッパの会員の方々も来日参加されましたが、本部道場の行の熱気には驚かれたことかと思います。

このような暑さの中で魂清浄ののりとを長時間に渡り唱え続けました。途中、頭がフラフラするような感覚がありましたが、終わった後は頭が澄み切った状態になりました。その後に行われた病癒しの祭式でも魂清浄を唱えましたが、御祭の祭式の時とは全く異なる行となり、ここでも多くの学びがありました。

今回はとにかく暑さで体力を消耗する一日となりましたが、91歳の天霊先生はいつもと変わらぬご様子でした。青年、壮年の会員も暑さでふうふう言っているような場面でしたので、さすが先生!と思いました。こういうところにも行の姿が見えるものかもしれません。

直会では洒落た手作りのお弁当を頂きました。とても美味しかったです。毎月8、9、10日の本部道場の御祭の直会の料理を手作りされるわけですが、そのご苦労には頭が下がります。これを長年続けるということは並大抵の努力ではできません。いつも有難うございます。

また、今日は本部道場から参拝者全員にお土産を頂きました。本部道場敷地内の大きな杏の木が多くの実をつけたという事で、これを用いて杏ジャムを作って参拝された方にお土産として持たせてくださったのです。保存料は一切使用されておらず、甘酸っぱくてとても美味しいです。うちでは凍らせて保存しているのでシャーベットとしても食べられます。
大國主大神様が杏の花がお好きという事もあり、生前開祖天霊師も庭に杏の木を植えておられました。この杏の実を用いてジャムを作りますと胃腸薬として用いる事ができるのだと教えられております。開祖天霊師がお造りになられた大國主大神様のお姿(石像)のお腹の部分にもこの杏の花が彫刻されていますので、本部道場に行かれた際によくご覧になってください。


2017年6月8日

水無月の御祭

本日は本部道場の水無月の御祭に参加させて頂きました。甲府は一日雨の予報でしたが、今回の御祭りも一滴の雨も降りませんでした。涼しくて行をするには最適な一日になりました。

祭式の後に全国から集われた奉賛会会員の皆さんと一緒に魂清浄の”のりと”を長時間一心に唱えました。本日は非常に深く入り込んで行に打ち込む事ができました。なかなかここまで集中した行はできないという位まで、ただひたすらに体内の迷霊を昇天させるための作業に没頭しているという感じでした。

行に没頭している途中で、ふと本部道場でここまで集中して行ができているという現実を客観的に見られる瞬間が訪れまして、その稀有な状態を感じ取り、それと同時に大神様に対する満腔の感謝の念が自然に溢れて出て来ました。普段の行ではなかなかこのような状態にはなりません。本部道場の8日の御祭であるが故に体験できている事なのかもしれません。

和やかに直会がすすみ、心地よい疲れを覚えて、道場内でうとうとしてしまいました。しばらくして足の裏の痛みで目が覚めたのですが、足の裏から吸引力の強い掃除機のノズルを当てられてているかのように迷霊が出て行く様を感じました。
他の宗教なら考えられない事かもしれませんが、天霊神霊研究所では御神前に足を向けて寝ても良い事になっております。大神様が足の裏から体内の迷霊を抜いて17霊界に昇天させてくださる事になっております。本日はそれを実際に感じさせて頂いたのでしょう。
今日も精一杯の行をさせて頂きました。まさに自分自身の魂の洗濯の日となりました。今はただひたすらに眠いです。

2017年5月8日

春季大祭2017

本日は本部道場で春季大祭が執り行われました。甲府の気温は30℃を超える真夏日となりました。昨日でゴールデンウィークが終わりましたので、高速道路も電車も比較的空いていた様子で良かったです。会社や役所などにお勤めの方は、ゴールデンウィーク明けに休暇を取得するのは至難の事だったと推察致します。『神事優先』を言葉通り実行される方々には必ず大神様方からそれ以上の恩頼(みたまのふゆ)を授けて頂けるという事ですので安心してのぞんで頂きたいと思います。


この暑さにも関わらず、二代目天霊師は終始静かにニコニコしておられました。お神酒も食事もお茶菓子もよくお召し上がりになります。お神酒などは必要以上は一切召し上がらず、お酌しようとしてもお猪口を手で蓋されて「もう、これで」とお断りになります。こういうお姿が長寿に通じるのかもしれませんね。

本日は直会の後で、遠方から来られた方々が魂清浄のバッヂをお求めになられました。皆それぞれにご自分の好きな番号のバッヂを選び、神前にあげられたリストにお名前とバッヂの番号を登録して頂きました。バッヂの番号による差はないと思いますが、何か自分に関係する数字を選びたいものですね。皆さんがその番号を選んだ理由がまちまちで、それぞれの性格を表している様で興味深かったです。中には番号にはこだわらないからと、そばにいた二歳の子に選んで貰った方もおられます。かくいう私は誕生日と同じ番号を選びました。今回は特にヨーロッパ在住の会員の方々からもバッヂの要望がありました。日本国内のみならず海外でも魂清浄の神法の優位性を常々体験されているという事でした。魂清浄の神法が世界中どこでも力を発揮できる事を示しているのではないかと思います。

「魂清浄の神法」の本にもありますように、五月は大神様方にとって一年が始まる月です。春季大祭のあった本日は差し詰め元旦に当たるのではないかと存じます。
(下の写真をクリックすると読みやすくなります)
今年も ”魂清浄の神法を通じて” 奉賛会会員の皆様の心身およびご家庭、経済状態も含めまして皆向上致します様に祈念致します。

2017年5月3日

魂清浄のバッヂ(バッジ)

天霊神霊研究所奉賛会会員用の魂清浄のバッヂが出来上がりました。これは天霊師の名刺と同様に「護符」になります。このバッヂの裏には「天霊」「魂清浄」と彫られており、それに加えて一つ一つ異なる「番号」が刻まれています。

開祖天霊師の時代と同様に、本部道場には、それぞれのバッヂの「番号」と「所有者」が登録され、そのリストが神前にあげられています。除霊石や霊導きの鞭を使用する際には、天霊師の名刺かこのバッヂを身に付ける必要がございます。

個人的な感想ですが、このバッヂを身に付けると活力が湧いて来るように感じます。気力が続くと言いますか。本日は三時間続けての行となりましたが、一心に唱える事が出来ました。名刺もバッヂもどちらも護符なのですが、全く同じでは無いように思いました。皆さんの感想も聞いてみたいです。
なお、今回のバッヂはネジ式ではなく、ピンですので、どんな服装にも用いることができ便利です。


<開祖天霊師の講義録より抜粋>
 修行する場合については道場もしくは準道場をお使いになる様に。それが修行でございます。毎日は(家で唱えるのは)お勤めでございます。皆さん方大神様へのご挨拶でございますので。もちろん、私(開祖天霊師)は皆さん方の名前がここに登録をしてある、(魂清浄の)バッジ持っておられる方々は登録してあります、「特別祈願」になっております。或いはその他の方々も同じ様に名前が挙げておりますと大神がしょうしております。私が(魂清浄を)上げると同時に皆さん方が唱えて頂く。或いは皆さん方が唱えていなくてもコンスタントに(迷霊を)取って行きませんと間に合いません。

2017年4月23日

研修会修了

本日は2016年度の研修会の最終日でした。
すでに先月中に講義は終了しておりましたので、今回は「処祓(ところばらい)の祭式」の実習が行われました。処祓の祭式は実際に大國主大神様に降神して頂いてから土地や家を浄めます。使用される祝詞も専用の祝詞がございます。
今回の実習でも多大なる効果がありまして、なぜか家が広くなったように感じると言われる方が複数おられました。この澄み切った感じがまた他では味わうことができないものと思います。

最後に研修会終了の祝詞がよまれて無事研修会が終了致しました。今回は沢山の祝詞を授けられました。一つ一つ内容が異なります。
今回の研修会ではお一人お一人に修了証が授けられました。一年間本当にお疲れ様でした。このような研修会は、ただ知識を増やすだけでは何の意味もありません。これを実践に移して頂き、少しでもご自分の生活にお役立て頂きたいものと存じます。

本日は多くの行事がありましたので疲れが出たのか、10年ぶり位にしゃっくりが出て止まらなくなりました。ふと開祖天霊師が教えられた「しゃっくりを止めるまじない」を思い出して、すぐに実行に移してみました。すると、まじないをした途端、しゃっくりは止まり、その後一度も出なくなりました。全く見事なものだと思います。このように自分の体を通して神法を体験致しますと、魂清浄の神法の凄さが身に沁みて分かります。
以下に開祖天霊師が開発されたまじないが記載されています。奉賛会会員の方は具体的な方法を教わることができますので、皆様も折を見て試してみてください。


2017年4月8日

卯月の御祭

本日は本部道場の卯月の御祭でした。
全国的に雨の予報で、甲府も同じく雨の予報だったのに関わらず、一滴も降りませんでした。お陰様で奉賛会の方は皆濡れずに参拝する事が出来ました。さすが本部道場ですね。

今日のお祭りでは一時間半近く、魂清浄を唱えましたが、体内の迷霊が急激に抜けた感覚があり、フラフラになって心地よい眠りを誘われました。隣で唱えていた方も同じような事を仰いました。長年行を重ねてきましたが、ここまでの感じはそうはありません。ありがたい事です。

今日の甲府駅前は「信玄公祭り」で賑わっておりました。こちらも雨に降られず良かったですね。

2017年4月1日

大國主大神様のご確認(信州諏訪)

日本で初めて大國主大神様をご確認された方は、今から約3700年前(縄文時代)に新潟県と富山県の境、海沿いの地域(北陸地方)の行者の方ということです。

開祖天霊師が大國主大神様からご指導頂く以前に、日本で最後に大國主大神様からご指導を受けられていた方は、今から約1600年前(古墳時代;仏教伝来以前)に、信州諏訪地方の行者であったということです。

開祖天霊師が書かれた本「迷霊の実態」には、亀を使った「まじない」のことが記載されています。生きている亀に向かって家の厄災を背負ってくれるように言い含めてから、大川に放すと厄災がなくなるというまじない(現在は大國主大神様がこのまじないを禁止しておられます)ですが、このまじないは諏訪の行者が大國主大神様から教えられたものということです。

また、天鈿女大神様が日本で最後にご確認されたのは今から約1200年前(平安時代)ということです。
それ以降、日本で行われた霊媒は全て迷霊によるものということです(迷霊霊媒)。
そして現代になり、開祖天霊師が大國主大神様にお仕えするようになってから、約1200年ぶりに正神霊媒が可能となったということです。
開祖天霊師の場合は、大國主大神様、天鈿女大神様のような人格神だけでなく、産霊大神様、天地宇宙大神様のような自然神のご霊媒も実現されました。

これは私見ですが、古来日本人が大國主大神様や天鈿女大神様など正神の大神様方を確認された場所は、北は糸魚川付近から南は三保の松原までの、いわゆるフォッサマグナ地帯であり何か不思議な感があります。
今回の話題である信州諏訪地方も、開祖天霊師、二代目天霊師が本部道場を設置された甲府もフォッサマグナの中ですし、日本武大神様(ヤマトタケルノミコトも大神になられております)も生前には現在の甲府近辺で行をされたと言い伝えられております(約1900年前)。JR甲府駅の隣の駅は酒折駅で、日本武尊を祀る酒折宮が目の前にあります。かつてこれらの地域には、正神の元で行をするのに適した環境があったのかもしれませんね。


<開祖天霊師の講義録より抜粋>()内:注釈

実は大國主大神様はその過去において、3000年以前には盛んに日本においては大國主大神様が皆さん方(日本人)を導いた訳でございます。
その当時から大國主大神は「私の後裔(子孫)をぜひ大國主大神様に面倒みて頂きたい」と、あっちからもこっちからも頼まれている(祈願を受けている)訳です。

ところが、そういうふうな者(大國主大神様を確認できるような優秀な行者)がいない。出て来ない。大國主大神が「この者についていけよ」というふうな行者が生まれてこない訳です。だいたい正確に言えば、大國主大神様が御指導した最終の方は1600年位前、諏訪(信州諏訪)のオカダという、大國主大神様が仰るんですが、その方までだそうです。今から1600年位まで信州にオカダというらしいですが、その頃までだそうです。だから大國主大神様の御霊媒というのは、大体1600年位以前、最終だと言っておりました。

天鈿女大神様(のご確認)は今から1200年以前ということです。この間400年位の差(1600ー1200=400年間)が在る訳ですね。

それで、諏訪の方では例の亀に言い含めるあれ(厄災を亀に背負って行ってもらうまじない)があったそうでございますが、それ以降は無い様でございます。だからこれ以降は行者が出ておらないという事です。

初めて(現代に開祖)天霊(師)が現出し、更に天霊は産霊神並びに天地宇宙大神の御霊媒をやる様になりましたので、魂清浄を上げている方々がはじめて御霊媒として出てきている訳です。ですからこの間つまり(1200年前から現在に至るまでの)空間がある訳でございます。空間が在る訳でございます。

2017年3月30日

英勲で乾杯!

街を歩いていたら英勲の小瓶を見つけました。「英勲」は京都伏見の酒。開祖天霊師が天霊神霊研究所の本部道場の祭式の時に用いるのに指定された銘柄です。ある理由があリます。

本日、行をしていたら何かお祝い事があるような感じだったので、何か意味があるのかもしれないと思い、神前にあげた後で頂きました。英勲で乾杯!

2017年3月28日

慶事

本日、我が家に吉報がもたらされました。長い冬を経て、待ち望んでいた花がやっと咲きました。志を定めてから一年がかりとなりました。そして祈願通り、いや祈願以上の思ってもみなかった余禄も頂きました。これは大神様方の粋なお計らいとでもいうのでしょうか。

今回、殆ど前例がない道なき道を志しましたので、数々の障壁に悩み、それを乗り越えるために行に打ち込み、大神様に真剣に祈願し、その中で得た着想を試しては、また行に打ち込むということの繰り返しでした。突然の直感で教わることもあり、人の言葉から悟る場面もありました。もはや万事休すという所まで追い込まれた時には、本部道場の絶大なる応援を得て、事態がガラリと好転することも体験致しました。

よく「大神様は人を育てる」といいますが、確かになかなか楽はさせて頂けないようです。今回も生みの苦しみを覚えました。けれども、多くの経験を積み、大神様や人への感謝の気持ちを育むことができたと思います。物事が何でもかんでも簡単に成し遂げられたら、有難みを噛みしめることも出来なかったでしょう。

天霊先生をはじめ、幾度となく応援の修行、祈願をしてくださった本部道場の師、相談に乗ってくださった奉賛会会員の方々に深く御礼申し上げます。本当に有難うございました。深謝

2017年3月23日

二代目天霊師 91歳のお誕生日

本日3月23日は二代目天霊師の91歳のお誕生日です。誠に御目出度うございます。

二代目天霊師はこの御歳になられるまで全く何の病もされず本当に強健です。お食事もいつも壮年期の方々と同じ量をきちんと平らげられます。食後のデザートも大変好まれます。
まさに「魂清浄の神法を実践される方はこのような姿になれる」という事を体現しておられる存在だと思います。

また、そのお姿の「穏やかなること春風の如し」です。奉賛会会員の小さな子供から老人に至るまで常に自然に穏やかに対応され、皆すぐに懐いてしまいます。本当にそういう方なのです。

通常、高齢に近づくにつれて、持って生まれた性格や感情の起伏をうまくコントロールできなくなり、アクの強い御老人に変貌していく方が多いと思います。体内の迷霊の姿そのものと言えるようなお年寄りも多く見かけます。

天霊先生の常に穏やかなお姿は、心の底から穏やかであるが故なのでしょう。「人格の完成」とはこのような姿をいうのではないでしょうか。他人に迷惑をかけることがなく、その存在が奉賛会会員に「希望」を与えてくださっています。

奉賛会会員の皆さんから敬愛されている天霊先生が益々健康に歳を重ねられて、長生きされる事を会員一同心より祈念致します。


2017年3月18日

奉賛会会員の意義

本日は本部道場の修行の日に参加させて頂きました。午前、午後と長時間の荒行となりました。
全国から参加される奉賛会会員同士で近況を報告し合ったりするのがまた楽しみです。

本日の話の中で、未だ奉賛会会員になっていない方が、道場外で魂清浄ののりとを唱えた場合、果たしてその方の体内の迷霊が17霊界に昇天できるのだろうかという質問がありました。

結論から申し上げると、答えは「NO」です。
天霊師と繋がった方が魂清浄を唱えてはじめて大國主大神様が迷霊を17霊界に昇天させてくださるように約束が出来ております。これは大神様と開祖天霊師とのお約束ですから何人たりとも変更はできません。

「天霊師と繋がっている人」とは「奉賛会会員(とその家族)」です。お一人お一人が会員登録されて大國主大神様に会員としてご報告・ご祈願されています。

ですから当然ながら、奉賛会会員と一緒にいる人(友人、知人、先生、生徒、患者など)は大國主大神様と繋がっておりません。奉賛会会員として登録されていない方がいくら魂清浄を唱えたところで迷霊は昇天いたしません。これは分派活動をしている方々と同じ状態ということができます。いくら唱えても迷霊が寄ってくるだけで昇天できない状態です。

奉賛会会員の中には、他の方に魂清浄を唱えることを勧める方も多くいらっしゃると思います。
その時は、天霊師の奉賛会会員になって初めて天霊師と繋がり、大國主大神様が迷霊を十七霊界に昇天させてくださるということを予め肝に銘じていなくてはなりません。これは魂清浄の神法の「本筋」です。

例えば、奉賛会会員と一緒に、会員ではない人が魂清浄を唱えたとしても、その方自身の修行で迷霊が十七霊界に昇天する事はないという事です。ここに奉賛会会員になる意義が生じるという事です。

誰しも初めて魂清浄の神法に出会った時は、本部、支部、準道場で唱え方を教わり、その後会員になるかどうかを決める日があるでしょう。実際には、その時会員になるかどうかの決断で、そのまま大國主大神様と繋がるかがどうかが決まる事になります。厳しいようですがそのようになっています。

「大神様次第で、(会員になっていなくても、たぶん)助けてくれるはず」というのは筋違いで何の根拠もない「分派の常套文句」です。万が一、ご自分がその類の発言を始めたら要注意です。霊的にも危険と思いますので、ご勝手な判断をされないようにお気つけください。
本当に相手のためを思うなら、まずは天霊師と直に繋がって、魂清浄ののりとを唱える必要がある事を教えてあげる事が奉賛会会員として取るべき行動だと思います。

また、たまに勘違いしている人を見かけますが、奉賛会会員個人には特別な力などありません。天霊神霊研究所においては、あくまでも各人が天霊師と繋がってはじめて、大國主大神様と繋がる事ができる、大神様からお力を授かる(預かる)事ができるのだという事を再確認して頂きたいものです。これは本部、支部、準道場の道場主、会員いずれにおいても立場は皆同じです。

(参考リンク)



2017年3月8日

弥生の御祭

本日は本部道場の弥生の御祭に参加させて頂きました。お日様ポカポカの快晴でしたが、少し肌寒い日でもありました。

今日も開祖天霊師のご息女である育子様ご夫婦をはじめ、遠方から多くの奉賛会会員の方々が参加されました。今度初めて海外留学される若い会員の方が参加されましたので、直会の後で二代目天霊師を囲んで記念撮影を行いました。ヨーロッパの下宿先に二代目天霊師と一緒に撮った写真を飾りたいと仰っていました。
ヨーロッパの迷霊達がその写真を見たら、その方が二代目天霊師と直接繋がっている方である事が即座に分かるだろうなどと思いましたが、実際には大神様から授かっている六色の玉は迷霊から見えるそうですので、その方を一目見ただけで大國主大神様と直接繋がっている人であることが分かるでしょう。

本日は直会の後に奉賛会会員の病癒しの祭式が行われました。これも長時間の行となりました。病癒しの祭式では、専用の祝詞の中に対象者のお名前を入れて読み上げますが、祭主(斎主)の方はその方の肉体や霊的な状態、意識までも感じる事があるという事でした。

天霊神霊研究所奉賛会の会員の方は、体調が悪くなって本部道場に連絡しますと、本部の方で遠隔で行をしてくださいますし、今回のように病癒しの祭式をして頂く事もできます。
地方の会員や海外在住の会員など、すぐに本部道場や支部道場に来られない遠方の会員にとって大変心強いです。「魂清浄に距離はない」という事を多くの会員が体験されています。

今日の富士山もまた見事でした。富士山は毎日見ていても常に雄大で、毎日新鮮な感動を覚えます。私たちの魂清浄の行も常にそうありたいものですね。



2017年3月1日

そうだ、天霊師の元に帰ろう

初めて開祖天霊師/二代目天霊師に出会った日の事を思い出せますか?

自分の悩みを解決して頂いた日の感激を覚えていますか?

そして今、あなたは何をしているでしょうか?

初心忘れるべからず。 


一から出直してもまだ遅くはない。

そうだ、天霊師の元に帰ろう。

2017年2月28日

国民感情








<開祖天霊師講義録より抜粋>

例えば日本の方々が支那へ渡りますと必ず憎しみを思われます。というのは日本人が向こうへ行きまして支那人を幾人かを殺しておる。その霊がその後裔(こうえい)に入っている為に見ただけで苦々しくなる、こういう霊作用でございます。圧迫民族が非圧迫民族と仲が悪くなる。つまり黒人が白人と仲良く出来ないという事は、共に奴隷として使われた霊が黒人に居るために、白人を見ると事ごとに反対をしたくなる霊作用でございます。

従ってそういう風な霊が昇天をしてしまえば何の事は無い訳です。皆さん方日常生活をしておって、バスの中へ乗ってごらんになって、「あの人いい人だな」と感じる人と、見ただけで目が煮えくり返る感じのする人、そういう風な方々を拝見するんじゃないかと思います。私もよく過去におきましては、何だかアンチキショウ憎たらしいっちゅう様な、見ただけで何となくなんかこうしっくりくる人もあると思います。あるいは何にも感じない場合も在る訳です。勿論、見ただけでそういう風にお思いになるということは、昔から以心伝心と(申しますので)向こうでもそういうにお思いになるでしょうけれども。

猫の霊が居るのにネズミの霊が行けば、何だかネズミの方はですね、なんか悪い感じがするんじゃないかと思う訳です。そういう風な姿が現実に現れて、それが手を動かし足を動かして、何だこの野郎というように、頭打ったり喧嘩になったりする訳でございましょう。それが大きくなれば心を合わした戦争になる言う風な事に相成る訳でございます。

こういう風な霊が全部(十七霊界に)昇天してしまって、私達の肉体に私達の霊魂が一つ(だけ)ならば、病も致しませんし。憎しみも元々無い訳でございます。(迷霊が)継承されておりませんから互いに手をつないで行けるのではないかと思う訳でございます。まそういう風に迷霊は色々の活躍をして、時には自分で思わん事をしでかしてしまう(迷霊にさせられてしまう)様な場合がある訳でございます。

2017年2月18日

自分磨きの日

今日は本部修行の日でした。午前と午後にそれぞれ長時間の行が行われました。

皆それぞれのスピードで魂清浄ののりとを唱える状態になると、急速に行に没入し、手や体が自然に動き出したり、肚に力が入って体の力が抜けたりと自分の意思とは関係のない状態になります。自然に任せていると非常に深く入っていきます。

本部道場での修行は、体から迷霊が抜けていく感覚もよくわかり、その抜け方のスピードも支部道場や他で唱える時とは段違いに早いです。そして行が終わると、体が軽くなってしまい、心地よい眠さに包まれます。この状態が永遠に続けば良いのにと思うこともあります。私の場合は毎回感じる事が異なるのでマンネリということはあり得ません。

本部道場の修行の日、毎月18日は、兎にも角にも行に集中する日、「自分磨き」の日です。ご自分の運命のベクトルを上向きにするための行でもあります。極力参加致しましょう!

2017年2月10日

如月の御祭り

本日は如月の御祭りに参加させて頂きました。
昨日まで生業のため関西に出かけていたのですが、雪が降りしきる中、少しヒヤヒヤしましたが祈願通りに電車の遅れも1分もなく無事に帰って来ることができました。ホッ。
今日も全国的に大雪の予報でしたが、甲府はポカポカ陽気でした。一緒に参加されていた奉賛会会員の方が道場内に差し込む日差しが「暑い」と避けておられました。まるで別世界ですね。

毎回感じることですが本部道場のお祭りの時だけはお天気が良いようです。今回の天気図を見る限り、甲府の周辺の天気は荒れ模様であり、この三日間は御祭りのために大神様が雨雪を避けさせてくださったのではないかと思います。このような事が人間に出来るはずもなく、まさに神事だと思います。おかげで遠方から来ておられる方々も雪に出会うことなく到着されました。感謝


2017年1月30日

二代目天霊師との座談から

私が大神様から言われてすることであって、それ以外の事を私はしていないつもりだけど。まあ、人生1才から始って何才までこの世に生き長らえていけるか知らないけれども、生まされたというか生んで頂いたというか、この世に生まれてこの年(当時86歳)まで生かさして頂いて、色々見聞きしてね、体験さして頂いた、一つの人生ですね、お互いが。
それは大神に対して、お礼を常日頃申し上げて、人生を送る。「俺が生まれて来て俺の人生だ」と言うのではなくて、大神樣方から御授け頂いた人生で、色々気が付き目につく事があったならば、これを大神の御神示だと思って履行していくという事が一番の人生だと私は思って今日まで生きて来ている。
だから、今あちら(17霊界)へ、身罷られてもこれは神の御神示だと思って時を過ごしている。だから皆さんもその様な気持で、生きるも死ぬもこれは自分の考えじゃないね、大神樣方のお計らいというか取り持ちというかね、それで日を送っている。着るもの、食べるもの、すべてが神から御授け頂いているということだね。だからあまり欲張らず、かといって施しという線に於いても、これも難しい事ではあるけども、自分の力、人力に於いて尽くせる事は尽くして世を送っていく。あまり我利我欲はあまりしない様に、授かったらば施す、これが大神樣方の教えだと私は思ってお仕えさして頂いてるんだけど。まあ、より美味しい物を頂くとかね、より良いものを着るとか、こういう事は二の次にして、 自分が食べたり着たりしている事が今、出来ているならば、それ以上に物があれば悩める者に施すと。どれだけ我利我欲を欲しいままにしたって、あの世へ行くにはそんな物は必要無いんだからね。自分の食べるものとか着るものとかが補充されたならば、あとは悩める者に施してね、助けて上げる、だだその施された者が十人十色でね。俺は動かなくてもいいんだ、施して貰っていればいいんだという奴も居るしね。その内の八割はそういうのが多いんだよね。二割は施してあげよう、俺がこうしてやっていられる事は大神様の御蔭だからと施すのは二割位。施してもらって当り前だと思っているのは八割。今の世の中は、そういう人類が多い。尽くせと言うよりか尽くしてもらうという方が多い。
まあ、幾世代、一つの世代も終るかもしれん、また、私より前の世代の人が施して来てるかも知れん。先代の人は、自分(二代目天霊師)が(先代に)生きてないから分らないけれど、その様にして順送りになって来ているんだよね。だから、我欲も必要かもしれんけど、ほどほどにして、自分が、我欲が満ちたならば、今度は人に施して、ただ施される者も、まともに生きずに施されるのが幸いだなんてのが世の中八割だね、施してもらえばやりたい放題して、施されて、あはは安気だ、安楽だというのが八割、二割が施してあげてる方だから、その時点の見境が大変だね。
ただその八割は、目が見えて施さんで生きてる時はいいかもしらん、あちら(17霊界)へ行ってからが大変だよね。そんなことし てて、あちらへ行ってから大神様は許さんと思うね。だからこの世に於いて施されて幸せな人生を送って、あちらへ行ってもその様な人生を送れるかと思うとこれは間違いで、やはりこの世に於いて尽くして、初めてあちらへ行って施されるという事ね。まあ、生きている人生なんてものは知れたものだね。百年も生きられないんだから、七、八十年、生きればいいとこ。ところが、あちらへ行ってからは、何百年何千年になるのかは、私もまだ行っていないから分らないけど、そうじゃないかと思うんだね、私は。
だからあちら(17霊界)へ行ってからの時代が長い、その時は生きてる頃の見返りを受けるから、やっぱり、この世にある限りは最善を尽くしてからあちらへ行くという事だね。人生なんてものは、七、八十年でしょ、百年までは生きられないと思うけれど、百年を生きたとしても、あちらへ行ってからは、何百年何千年になるのだから、みんなこの七、八十年を目度に、何も人に施すなんちゅうのは二の次でね、自分が生きるには、それなりの人生があるから、自分の事をね、人の事は二の次にして、自分の人生を生きればそれが一番だと思うね。
みんなが自分の事も出来ないのに人に施すなんていうことまで言ったら、人に施すなんていう事は、どこまでやればいいのか、そんなことはやり尽くす事は 出来ない事だから、まずは自分の事を、人に迷惑をかけん様に、自分の事を自分で尽くすと。食べるものから着るものからね、人に迷惑をかけてはいけない、それに尽きたら今度は人に施すなんて思う様な人もあるかもしれんけど、それも必要かもしれないけれど、そんなことは余計なことで、まずは自分の事だけを目一杯、人に迷惑をかけない様に人生を送れば、それが一番だと私は思って生きてるんだけど。人に施せるだけになれば偉いものだけど、(普通は)自分の事だけで目一杯だな。
2012.12.9 二代目天霊師 談

2017年1月10日

植物霊物語と神話伝説辞典

開祖天霊師が執筆された「植物霊物語」は会報「天霊新報」の19号(昭和47年9月発行)から61号(昭和51年2月発行)に不定期に連載されていました(全28回)。

植物霊物語の中には他の書籍からの引用が多く見られますが、開祖天霊師が執筆の際に参考にされた書籍が「神話伝説辞典」(東京堂出版)です。初版は昭和38年4月、内容は神話、伝説、昔話、説話、歌謡、信仰に分類されており、513頁にわたる大作です。

開祖天霊師がこの本を読んでおられた時代には、今のようなインターネットの検索機能などありませんから、必要な情報を探すためにこの本を隅から隅まで読まれたことでしょう。

当時の植物霊物語の連載は、魂清浄の神法が完成して間もない時期(17霊界完成は昭和34年6月16日)であり、魂清浄の神法をこの世に広めようとしておられた開祖天霊師のご活動の一つであったかと存じます。実際にこの本を手に取って読んでみますと、当時の開祖のご苦労が眼に浮かぶようです。今は中古でしか手に入りませんが、比較的安価に入手可能ですから、一度手にとって読んで見られてはいかがでしょうか。

現在、植物霊物語は天霊神霊研究所から発行されておりません。
実はこの植物霊物語は天霊新報への連載以前に、一般雑誌「神霊文化(のち改め日本神学となる、日本神学連盟発行)」に昭和43年10月から不定期に連載されておりました。
今日現在、巷で売られているものは、天霊師の許可なく誰かが勝手に出版したものです。これらは上記の神霊文化に掲載された文章を元にしており、のちに天霊神霊研究所発行の天霊新報に連載されたものとは若干内容が異なっております。また、これらは著者である天霊師が公式に認定したものではありません。どうぞお気をつけください。

もし、天霊新報に掲載された植物霊物語を読んでみたい方がおられましたら、甲府市の天霊神霊研究所本部道場まで御連絡頂けましたら、天霊新報そのものをお見せする事ができますので、御気軽にご相談ください。メール送信


 

2017年1月9日

松葉酒

昨日本部道場から頂いてきた松葉を使用して、今年も松葉酒を漬け込みました。
例年の通り、二升瓶を二瓶分漬け込む予定でしたが、大國主大神様のお姿(石像)の重い軽いで伺ったところ、今年は一瓶で良いとのお答えでしたのでその通りに致しました。
アルコール度数が高いものを使用していますので、ちびりちびり飲むようなものですから、一瓶でも一年間楽しむことができるでしょう。

昨年一年間漬けた松葉酒が非常にまろやかで得も知れぬうまみを帯びています。これは貴重です。疲れた時のこの松葉酒は格別です。


2017年1月8日

睦月の御祭り

本日は本部道場の睦月の御祭りに参拝させて頂きました。日曜日であり、明日の成人の日との連休ということもあり、全国から大勢の奉賛会会員が参加されました。
今日の甲府は雪の予報でしたが、関西や北陸などから遠距離を運転してこられた方々は誰も雪に降られなかったということです。結局、御祭りが終わり、皆さんが帰途につかれた後、静かに雪が降り始めました。電車で来訪された方々は帰りに甲府駅に辿り着いてすぐに雪が降り始めたので濡れずに済んだそうです。あまりのタイミングの良さに大神様方が雪を止めてくださったに違いないと仰っていました。

また本日は、本部道場の年送り大祭、年迎え大祭の際に神殿に飾られていた松葉を頂きました。これらを使用して、今年も松葉酒を作る予定です。
私の家では毎年4リットル瓶を二本分の松葉酒を仕込んでいます。現在は昨年正月に漬け込んだ松葉酒を飲んでいますが、非常にまろやかで滋味のある風味に仕上がっています。
松葉酒は美味しい上に大神様の霊薬にもなるということですから大切に飲んでいます。
念のため、二代目天霊師の本部道場で使用された松葉を使った場合のみ「霊薬」になるそうですから、ご自分の家の松葉を使用しても霊薬にはなりませんのでご注意願います。

昨年末に本部道場で行われた研修会では、幣の裁ち方、組立て方、祓いの作法について実演しながら講義されましたが、この時のビデオ編集がようやく終了し、奉賛会会員のみ限定で公開されました。撮影・編集に携わられた方に感謝を申し上げます。
この動画を見れば、初心者でも正しく幣を裁ち、組立てることが出来るよう、非常に分かりやすく解説されています。会員になられて日が浅い方、分派から移って来られた方などは必見と思います。
本部道場で使用される幣については、他(支部、準道場、連絡所、一般家庭)とは一部組立て方が異なりますが、今回はこれについても解説されています。

2017年1月5日

年の始めに

魂清浄の神法は「一にも行、二にも行、三にも行」。今年も気合を入れていきましょう!

2017年1月1日

謹賀新年2017

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。昨年は皆様から良い話を沢山聞かせて頂き、魂清浄の神法の優位性を再確認させられる場面が多く見られました。今年も奉賛会会員の皆様がさらにご発展されることを祈念いたします。

 大晦日から元旦にかけて本部道場の年送り大祭、年迎え大祭に参拝させて頂きました。
これらの大祭は大晦日の夜23:30過ぎから新年にかけて祭式が行われますため、遠方から大勢の方が泊まりがけで参加されました。そのまま本部道場に宿泊された方々、ホテルを予約された方々、強靭な体力の持ち主は祭式後にまた遠距離を運転して帰られた方々もおられます。皆様のその熱心さには頭が下がります。頭が魂清浄一本になっていないとなかなか出来ないことだと思います。皆さま本当にお疲れ様でした。
 
大祭後の直会では、美味しいお正月料理の数々が振舞われました。デザートも秀逸でした。また奉賛会会員の方がお持ちくださった沢山の馬刺しにも舌鼓を打ちました。本当に有難うございました。
 このように御祭りの準備をしたり、大量の直会の料理を準備して大勢の人を迎え入れることは、想像するよりも多くの労力を要するものであり、大國主大神様が奉賛会会員をお迎えする準備を代行している事になり、これらもまた重要な神事です。基本的に神事は全て無償の行為ですから、参加される方々も常にそれを念頭に置いて、お互い感謝の念を忘れぬようにしたいものです。

 今年2017年は奉賛会においても個人的にも多くのイベントで盛り沢山になりそうです。魂清浄の神法を通じて会員各人のさらなるご発展がありますよう祈願致しました。
 大祭の帰りには参拝者全員に大神様からのお年玉として「葡萄液」を授かりました。これは万能薬になると言われています。毎年、年の初めにご家族で大切にお飲み頂きたいと思います。
 また今回、一位の木の苗を授かりました。これは東北にお住いの奉賛会会員の方から本部道場にお送り頂いたものです。まだとても小さな苗でとても可愛らしいです。これから大切に育てていこうと思います。この東北の会員の方にこの場を借りて御礼を申し上げます。誠に有難うございました。

今朝の富士山はまた格別でした。見事な初富士です。二代目天霊師の下で大國主大神様にお仕えしておられる奉賛会会員の皆さんとそのご家族の一年が、この富士山のようにさらなる高みに達することを祈念いたします。