2013年12月28日

<重要> 病気癒しの病院ではない

1972年1月8日に発行された天霊新報第11号に,1971年12月24日予言の日に大神樣方の御神示の一部として「信奉者一般の心得」があります。その中に次の一節が記載されております。

「最近天霊の口をとって教えるのだが、
 天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではない。正神を教える所であると云う事だ。
 これは、大神の御言葉である」

これは大國主大神様に一生懸命お仕えし、修行の過程において、病気も治癒してくるわけであり、本末転倒な考え方を戒める言葉にもなっております。病気とは精神、肉体、経済、家庭・・・といずれの病も同様の事です。

また、ご祈祷によって人様の病を癒すお手伝いをされる場合があると思いますが、祝詞をあげたり、除霊石を使用するのは人間ですが、実際面でお力を発揮して全ての迷霊を昇天させてくださるのは大國主大神様です。それに従って病が癒えてくるのです。これは決して除霊石や竹鞭を使用した方のお力ではありません。当たり前の事ですが、人間は大神ではありません。あくまでも代理、代行です。また、病を持つご本人の修行により大神様からお力やお薬を授かって病が癒されるのです。

この点を間違えますと巷の祈祷師、占い師の類(自分の体内の迷霊の力を使用する方々)と同様になりますので、癒したのはご自分の力かのように勘違いをなさらないよう御注意が必要です。
初歩的な内容ですがこのような簡単な落とし穴にハマる方々がおられます。

また、道場外で除霊石等を使用して治療や祭式等を行ない個人的に報酬を受け取るような事は「大神様を利用する行為」です。これでは本来のお働きは期待できないでしょう。
大神様を治療の道具にしてはならない(大神様を利用してはならない)事を深くご認識頂きたいと存じます。

以上は「信仰」という面から考えてみれば、どなたでも理解出来る事なのですが、迷霊の渦中に入りますと意外と気付けないようですので、特に御注意が必要です。


なお、大神様へのご祈祷をして頂いて良くなった方は、天霊師がおられる本部道場に参拝し、直接大國主大神様に分相応の御初穂(※)を添えて御礼を申し上げる事になっております。どんな時でも祈願をして良くなったら大國主大神様に御礼を申上げる事を忘れてはいけません。
天霊神霊研究所は正神を教える所です。大神様が目に見えないからといって良くなってもお礼も申し上げないようではいけません。それでは何の為に行をしているのか分からなくなります。個人的には、大神様と人との関係は人と人の関係と似たような所があるように思います。そのため良いおつきあいが出来るように良い心掛けが必要と考えております。


繰り返しになりますが、魂清浄の神法におきましては、ご祈祷・治療してくださった方個人に御初穂・報酬等を差し上げる必要はございませんので、この点はくれぐれも御間違いのないようにお願い致します。お礼はあくまでも本部道場で直接大國主大神様に申上げてください。また天霊神霊研究所から報酬を請求するような事も絶対にございません。


(※ 天霊神霊研究所では御初穂と言います。”初穂料”という言葉は使いません。また御初穂については分相応という事ですし、お金でなくても良いとされています。これは開祖天霊師の時代から変わりません。
ですから例えば、何かのお店のように何々をしてもらったら△△△△円ですとか、巷の祈祷師のように何の病気を治したら成功報酬で□□□万円等という事は有り得ません
天霊神霊研究所は病気癒しの病院ではございません


開祖天霊師のお言葉として、魂清浄の神法では「神事で食べても良い(職業としてよい)のは天霊師のみ」となっているそうです。つまり奉賛会会員が魂清浄の神法の神事を職業にする事(報酬を得る事)は許されておりません。
これは神格位一位である天霊師(職)となると、人間としての財の枠が無くなり、何もかも毎回大神様から授けて頂かなくてはならない状態になるからであるからではないかと推察致します。
ただ現実には、開祖天霊師も二代目天霊師もご自分の職業をお持ちの上、神事に従事して来られた経緯がございます。
そういう意味から考えてみても、奉賛会会員の方の中に魂清浄の神法を職業にしたいと思われる方もおられるかもしれませんが、残念ながら許可はされません。

1972/1/8発行 天霊新報第11号より抜粋

2013年12月24日

12月24日 予言の日

本日は本部道場にて予言の日の祭式が行われました。開祖天霊師御生前には大神様が御降神されて来年の様々な予言を行われておりましたが、現在は祭式のみとされています。この日は大神様方の御祭りとも言われており30億〜50億柱の大神様方が集われるという事が開祖の講義録も残されています。毎月8日の御祭りとはまた違った素晴らしい雰囲気の漂う御祭りでした。本日は休日ではないこともあり20名位しか参加されておりませんでしたが、神前の雰囲気は大勢の方でごった返しているような感じを受けました。大神様方が大勢いらっしゃったからそう感じたのかも知れませんね。

<開祖天霊師講義録より抜粋>
だいたい予言の日の時、12月24日に予言をいたしますが、その時には30億(柱)位の正神が本天体にお降りになるそうです。(地球には通常500柱位※しかおられないので)他所から間に合わせてくれる(他所の天体を担当されている大神様方も応援しに来てくださる)。そして予言をやって頂くようでございます。ただ大神様方が慣れていませんとなかなか、(霊媒を)勉強してくださっている大神様方なら、はっきり率直にいきますけれども、なかなかそういう状態の為に時には当たり外れがあるのではないかと。ま、そういうことのないように御願いして盛んに勉強をしてもらうようにはしております。(※現在は地球に1億柱の人格神が配置されているそうです。)

また、予言の日といえば、開祖御生前には12月24日の予言の内容が翌月1月の「天霊新報」(当時の会報)に掲載されていました。開祖天霊師が昇天された年でもある1975年の1月の天霊新報には、2013年現在にも通じる内容が残されておりますので,記録の意味も込めて抜粋させて頂きます。

<1974年12月24日の予言(天地宇宙大神の御霊媒)より抜粋>

「奉賛会について」
現状は乱れている。ムホン者は処罰する。魂清浄の頂点は一つしかない。幹部はしっかり努力するよう。小さな根性では駄目である。自ら過ちを悟れば許す。

「霊媒について」
霊媒は本部神前のみ。他は許さないことにした。これは間違いが多いから。迷霊が多すぎ迷霊に連れて歩かされないよう。

「信者について」
一にも行、二にも行、三にも行を心がけよ。自宅は道場ではないので本部または支部で行なう。支部長は本部で行なうよう。責任を負っているので。熱心にやった者には熱心の程度に授ける。
神仕えすると忙しくなるが必ず大神様が手配してくれる。取り違えのないように。一生懸命やれば良い必ず栄えるようになっている。何事も恐れることはない。魂清浄をあげない者は皆迷霊である。

2013年12月18日

一事が万事

魂清浄の神法において「行を積む」という事はどういうことなのでしょうか。当時の奉賛会会員が開祖天霊師に質問している録音が残されています。開祖天霊師は行を積んで肚が据われば魂清浄の神法は「一事が万事」であることが分かると言い切っておられます。
口では魂清浄の祝詞を唱えていても、いつまでも経っても疑心暗鬼の状態ままでは、体内の迷霊に足元を見られてなかなか望む結果を得られないのではないでしょうか。
以下に開祖天霊師の講義録からの抜粋致します。(一部カッコ書きで注釈を加えました)

<開祖天霊師講義録の抜粋>

(質問者)行を積むと言う事は魂清浄を沢山上げた(唱えた)事が行を積んだと言う事ですか。
(開祖)迷霊を体から取った事が、取った(昇天した)数が多ければ多いほど行を積む。
(質問者)自分には分からん訳ですね、どの位かは。
(開祖)いや分かりますよ。やってみりゃ分かります。「お前はこの位の行があるぞ」と分かります。と言うとどういう事かと言うとね、「一事が万事」なんです。一事が万事。一つ病が治れば、みんな治るんですよ。従って、肚を据えてくれば一事が万事ということが言える、肚を据えて来ますと。例えば今ここに居る人が、ああ痛い痛いと言うのをポンと治すとします。特に薬を付ける訳でも何でもない、魂清浄やれば治る、全部治る。例えば、耳の痛いのが治れば目の痛いのも治る。腹の痛いのが治れば頭の痛いのも治るはずなんです。はずじゃない、治らなければならん。一事が万事なんです。その一事が万事の一事に徹すれば、そうすれば迷霊がびっくりして側(そば)になんか来ませんよ。逃げなきゃって、手をつけられちゃうんだほんと・・で逃げちゃう。あるいは魂清浄上げれば、(17霊界に)早く行かなけりゃならないって訳で行きます。まあ抵抗する様なやつ(迷霊)も居ます、中には。




2013年12月14日

霊媒




佛教なんかで   とか色々言うのが迷霊霊媒です                                13

迷霊霊媒をする場合にですね、大体人間霊もいたしますけれども人間霊てば迷霊の迷霊の人間のですね、動物、案外こちらの方が多い様です。これもいたしますけれども人間の霊ですね。人間がやる場合もあります。ありますが殆ど動物が多い様です。中でも人間と親しい猫霊なんか中々見事にやります。大体日蓮宗辺りで霊媒「   
 」「やるのは殆どこれば多い、猫霊が多い。猫霊が多い、中々うまいです。ですから疲れるですね。霊媒が非常に一つやるともうぶっ倒れるですね。猫を随分集めて猫が一所懸命その人のまねをするってわけです。そんだもんだから大変なんです。私が一所懸命ね、修行してる時でございます。けどよくそのこういう動物霊もしくは人間霊これにその随分ま悩まされたと言いますか騙されたと     14

言いますか、事があるんです。例えばこう座っておりますと天霊、天霊って言うからなんでございましょう。明日何処何処へ行きなさい、あ、そうですかと行って見ると何にもないてわけ、それから帰って来まして大神にそのおっていうと、いやわしはそんな事教えない、多分迷霊の言ったこんではないか。迷霊誰だ。って言うとわしは狐霊です。或はわしは猫霊です。色々その言うわけです。だから自分以外の場合に付いてもですね、よくそれが正神であるか迷霊であるか言う点を非常にその、ま、迷った事が随分あったわけでございます。それはそういう風にしないと問題があるわけです。と申しますとですね、こう言う問題があるんです。道場、道場に於いて魂清浄を唱えてそうして口がきれた場合、口がきれるというと中には分らん方もあると思いますが、自分の自由意志以外の何者かですね、何者かが自分の口をとる場合が                             15

口がきれると申します。いいですね。自由意志以外の何者か或は自分の自由を入れなくてもいいです、自分の、自分自身の、自分自身の意志以外の何者かが、自分の言葉を自分のマイクロホンですね、自分の喉、マイクロホンです、のそれをとる様な場合があります。それが口をそういう風な場合、口がきれたとこう申上げるわけです。その場合皆さん方の御家庭で降りた場合は、もう全て迷霊と見てよいわけです。迷霊と見てよいわけです。そう言う風な場合がありますので、道場で口がきれた場合に於きましては正神でございます。道場、道場とは本部道場若しくは支部道場でございます。それ以外は違います。正神は道場若しくは、正神は道場以外では大体とらせないのを原則としております。正神は道場以外、以外では原則として正神はですね、道場以外は原則として口をとらせないのが原則。       16

あくまでも原則でございます。従いましてあちらこちらで大国主大神だという様な事がありましても、それは違っております。そう言う風、限定されてしまって来ておりますので、どうか一つ過りの無い様にして頂きたい、よろしいですね。だから今、今の所はですよ、今様においては道場以外で口をとる事は原則として許さない。だから町でもって霊媒があってそこでわしは大国主大神だってそれは嘘八百でございます。だからよくその突き詰めれば白状します。責められますと白状します。だから、正神霊媒、命霊媒までは所謂道場でないとやらない、いうのが原則になっております。魂清浄が生まれて以来ですね、魂清浄の神法が生まれてから、そういう風にしようじゃないか、大国主大神、そうでないと頂点が外れる場合があるから、そういう風にしようじゃないか、こういう事でございます。ですから、他所で行われている                                 17

霊媒というのは嘘八百、つまり迷霊霊媒、人間動物の(二)(ホ)、(二)(ホ)で行われておるわけです。迷霊でございます。その事を頭に置いて頂いて他所の書物、或は他所の色々の問題を、に、照準を合わせて頂く様にこれからお願いを申し上げたい。更に鞭を御持ちになりますと、その点をですね、動揺をなさらない様にお願いを申し上げたいわけでございます。よろしいですね。例えば書物でもって、大国主大神様がああ言ったこう言った、嘘八百です。だからあくまでも道場で口をきってもらったものは正神である、つまり命以上ですね。(イ)(ロ)(ハ)そういう事でございます。だけど(二)(ホ)はですね、動物霊媒、人間迷霊霊媒、これはですね、どんどん行っております。エーそういう風にですね。(イ)(ロ)(ハ)はですね、道場に於いて行われるだからそうでない所で行われている様な場合に於きましては(二)(ホ)、(二)(ホ)だこういう風にお考えに   18

なって頂く様にお願いを申し上げておきます。(テープ10Bの48分22秒)

2013年12月12日

人間の能力拡大

人間誰しも、自分の中の眠れる才能・能力を発揮したい、開花させたいと願ったことがあるのではないかと思います。一般的に人間の脳は10%程度しか使われていないと言われております。
開祖天霊師の講義の中でも、一般の人間は自己の本霊(本人霊)が脳の10%位しか使用できず、残りの部分は迷霊に占拠されているとされています。そのために自分の才能が思うように発揮出来なかったり、自分でも想像もしなかったようなミスを犯してしまったりと、自分自身が自分の思うようにならないことは誰もが体験している事ではないでしょうか。

開祖天霊師は魂清浄の祝詞を唱えることで、自分の脳を占拠している迷霊が昇天し、本人霊が使用出来る脳の領域を増やす事が出来ると説明されております。これは巷で天才と言われる方々はともかくとして、常々なかなか目の出ないその他大勢の方々にとっては朗報といえるのではないでしょうか。この開祖の講義録の一部を抜粋致します。(口語で分かり難い部分には注釈を加えました)

<開祖天霊師講義録より抜粋>
そういうことで「少ない投資で最大なる効果」を産めるようにしてくださるのが大國主大神様のお導きであるわけでございます。それには私達の体に居ます迷霊を早く昇天をさせて頂きます。そして(直接)本人霊に大國主大神様のご指導をして頂けば、やること成すこと間違いなく出来る。従ってそういう道徳、もしくは倫理も(自分の中に)構成されて参るわけでございます。ここに至って、道徳あるいは倫理と申さなくても、いつか知らぬ間に自ら自分がその道を踏んでいるような姿になるようにならなければ嘘でございます。どうか一つ、そういうふうに造ってある、そういうふうに構成してあるわけでございます。ですから、魂清浄を(唱えて)早くそういうもの、迷霊を出しまして(昇天させまして、本人霊が使用出来る脳の領域を)100分の10から脱しまして、100分の30、100分の50、100分の70、最後には100分の10(←100の言い間違い)の姿になりますれば、毎日の新聞を賑わすような、あのようなテレビの事件は出てくる筈がないわけです。作ろうとしても出てこないわけです。
どうか一つその点を皆さん方、心に置いて頂きまして、自分の行っている行動、自分の心から、口から出る言葉、言霊、言葉。いわゆる物も言いようで角が立つという、表現も同じ様に致しましても、表現の仕様、仕方によりましては、悪くも良くも解釈出来るわけでございます。考えなし(に言動をとる)というふうな(事を)、皆さん仰るわけでございますが、私達はあくまで、物を総体的に考えるよう、いわゆる物事を総体的に考えることが出来る。物事を総体的に把握する。そういう様になるためには、やはり迷霊が居っては都合が悪いわけでございます。どうか一つ、魂清浄はそういうふうに私達がセクト的(←”総体”の反意か?)にならないように、姿に転換をする行法である。人類の最後の願い、共々に太く長く生活をして、また世継ぎになる人達に対しましても、この地球の表面を良くしていこうじゃないかと。そうして永遠の幸福が得られるようにしていく宗教です。魂清浄の神法であるわけでございます。
(中略)

(質問者)我々の脳は迷霊に占拠されまして、自分の持っている10%程位よりも使用されていないという事でございますが、修行していきますれば10%のものが50%でもとのお言葉が出たんですが、言葉の綾としまして100%自分のものが使えるという事に成るというの意味でございましょうか。それとも10%がフルに使えるという事に成るんでございますか、いかがなもんでございますか。
(開祖天霊師)段々増えてくという事です。10%がですね、一割が二割、二割が三割に、三割が四割になる。こういう事です。魂清浄を上げて迷霊が取れてきます。そうすると今度は自分自らの力がそのまんまそこに出て来る。こういうことです。
(質問者)そこでそのパーセントが物理的にこれが先生の体験から出たお答えでございますか。それとも神様から教えられたお言葉でございますか。
(開祖天霊師)両方でございます。
(質問者)両方でございますか、有難う御座いました。

2013年12月8日

師走の御祭

今日は本部道場の師走の御祭でした。師も走るというほど忙しい時期にも関わらず、大勢の奉賛会会員の方々が参拝されました。天霊先生も皆さんが座りきれないのではないかとご心配されるほどでした。今日は御祭りの後にも様々な祭式が行われましたので、直会の時以外はずっと魂清浄の祝詞を唱え続けていたように感じるほどしっかりと行をする事が出来ました。本部道場の御祭りの日は普段の三倍の迷霊を昇天させて頂けるという事なのですが、今日は本当に多くの霊が昇天したようで体はすっかり軽くなりましたが、少し疲れてふらふらするほどでした。

御祭りの後に天霊先生のそばで一緒にこたつに入らせて頂きながら、先生が戦時中に色々苦労されたお話などを伺う事が出来ました。戦争の時代は本当に皆が大変であったとしみじみと述懐されました。来年3月には88歳になられ米寿を迎えられるので、本当にお目出度いですね、とお話ししていましたら「目出たいねえ、でもいつお迎えが来てもおかしくないからねぇ。ハッハッハ」と屈託のない笑顔でお答えになられました。確かに先生にとっては生も死もそれほど大きな通過点のようには感じられていないのかもしれませんね。それでも毎月多くの会員の方々が遠くから先生を慕って来られているのですから、少しでも長く長生きしてくださいとよくよくお願いを申上げました。

2013年11月26日

一日千日の行

開祖天霊師の講義の中で何回かお話しされている体験談があります。それは開祖が静岡県の知り合いの所に出かけた際に、たまたま出会った静岡県一番の行者と言われる方から試合を挑まれた時のものです。その行者は××宗総本山の有名な△△山で37年間も滝行をされた方で、霊的にはその滝に関係する大きな蛇霊を使役する行者でした。
以下開祖ご自身の講義からの抜粋(口語のために理解し難い箇所には注釈を加えます)。


<開祖天霊師講義録より抜粋>
(行者が使役する)大きな蛇(霊)がね、火を吐く様、舌が火を吐いてる様です。(だからその相手をしている)私も大変なんです。それから(私が)「ヤーッ」て一発やったわけです。そうしたらこの人達(見物者達)がみんなガタガタ、ガタガタンとびっくりして逃げちゃったわけなんです。異様な力が・・これは行者の命取りの試合ですよ。だからもう妖気満々なんですね。そうするとですね(今度は)、こう出て来た(蛇霊の)頭のこう大きなやつが腹を出して出て来ますね・・すごいです蛇(霊)ですね。そうするとね、又手を合わせてると今度は私の心臓を蹴ってくるわけです。タッタッタッと蹴られるんです。(もう私の)命が止まりそうなんですね。タッタッタッと心臓を蹴ってくる、それから(今度は私が)蹴ってくる奴(迷霊)を外すわけです。(これを)外しといて又(私が)突いたんです、「ヤッ」と二回目ですね。しばらく経つとですね、その間5分間なんですけども時間が随分長いような気がしたけど、その次に今度は又「ヤッ」て三回目に私がやりました時には(行者の体が)ピ タッと(床に)伏せましてね、頭が上がらん、下へくっ付いて上がらん。(そしてその行者は)勘弁して下さい、勘弁して下さい(と謝った)。それから(私がこの行者を)勘弁してやりまして試合は終わったわけです。

そうしますとね、その行者は何を言うかと思ったら、「(行者)貴方は何年修行しましたか?」「(開祖)ちょうど十年、大國主大神様につきまして十年」。こちらの方(行者)は△△山で三十七年やっておる。そうすると大國主大神様は私の口をとって説明するのに、「(開祖)私の一年は千年、私の一年は千年。私の一日は貴方の千日。私の一日の行は千日の行です。それが十年間。貴方は一日の行が一日だ。」
問題じゃないですよね。私が一日千日の行をやって十年間。貴方が三十七年間。一年三百六十五日。こ っちは三千六百、三万六千日ですね。違うんですね全然。
「(行者)よく分かりました、どうか勘弁して下さい」という風な事で、後で直会をして別れましたけれども、その時に、こんな小僧(開祖)にやられてしまって本当にもうしょうがないと思うけど仕方ありません。力と力(の勝負)ですから。簡単に5分で押さえられてしまったですね。(中略)

その時(その行者が)「私(行者)に対して何か注意はありませんか?」と言うので、「(開祖)実は貴方が(今後)滝へ入る場合に、滝ですね、滝の中へ入ったら頭の方は冷やさない様に、頭を冷やしたら体を温めておかないとこれから貴方はすぐに死んでしまいます。」そういう風に注意申し上げたわけでございます。そうすると「(行者は)とにかく明日まで待ってくれないか」ということで、明日(次の日)この人(行者)は滝に入って来ました。そうしてその方法を聞くと、頭をちょっと(滝で)打たせたら、もう体がまるで・・何て言いますか、死にそうな目に合いました。(行者が)ほうほうの体で帰って来たわけです。そういう風な場合迷霊同士、(今回は)私の方が正神だからこっち(行者)の命は奪わなかったわけですが、迷霊同士の場合だったらヤッと突いたらそれでお終いなんです(相手が死んでしまう)。こういう風な事は、こういう風な行はですね、ここで出来るんです。自分が一人だと思うと大間違いです。幾らでも距離がありますから、距離がありましても問題は無いわけです。だから昔はいわゆる「行者の頓死」があったというのは、こういう風な形でやられしまったわけです。強い霊で弱い霊をやってきた(押さえつけてきた)。だから行者の頓死について私は論文を書いた事がございます。


以上が「魂清浄の神法は一日で他宗教等の千日分の行を行う事が出来る」ということを大國主大神様が体験を通じて開祖天霊師に教えられた時のお話しです。言うまでもなくこれは天霊師がおられる本部道場で行をした場合のみに当てはまります。

尚、上記の行者が37年も深山で滝行をして強烈な霊力(迷霊)を有していたという事ですが、これは滝行により蛇のような冷血動物の霊を体に入れていたために今まで滝行をしても問題が生じなかったと思われますが、開祖天霊師との試合により行者に憑いていた蛇霊が昇天させられたため普通の人間になってしまい、次の日にいつものように滝行をして死にそうな目に合ってしまったと言う訳です。普通の人間は、冷血動物ではなく、保温動物、哺乳動物で体熱を持っている動物ですから。

魂清浄の神法ではこの行者の滝行のような深山幽谷などではなく、日常生活を行う畳の上での行のみを教えております。魂清浄即日常生活、日常生活即魂清浄というわけです。魂清浄の神法の観点から見ますと、深山幽谷等の特別の場所で行なう行は基本的に迷霊の修行法であると言えるでしょう。動物、蛇、蛙等の水中動物はそのような場所で生活しているから、それらが霊化した後もそのような所に多く集まっている訳であり、そのためそこを人間達の修行場所とさせるわけです。修行させておいて人間の体内に入りその霊力を駆使しようということでしょう。

実は開祖天霊師は魂清浄の神法を開基されるまでの9年間は自宅の風呂場で冷水を浴び、大國主大神様の石造の重い軽いを確認する行をされていた経緯があるのですが、これは魂清浄の神法が開基される頃までの話であり、魂清浄の神法が開基された後は特に水を浴びる事などを奉賛会会員に推奨されてはおりませんので、この点を誤解なきようお願い致します。魂清浄の神法が開基された後は魂清浄を唱えさえすれば迷霊が17霊界に昇天出来る訳ですから別に水を浴びる必要もないのです。

巷の色々な刺激の強い行法と比べますと、天霊神霊研究所本部道場の畳の上での行(無心で魂清浄を唱え続ける行)は簡単に見えるのかもしれませんが、実はなかなか容易なことではございません。日々自分の人生を営む畳の上の行だからこそ、深山幽谷の行のように多くの不安や迷いに目隠しする訳にも行かず、逆に厳しいのだと思います。
一日千日の行と言われる通り、迷霊を昇天させ正神につながる意味でこれ以上の早道はございませんので、迷霊に騙されて横道に逸らされないように気を付けて頂きたいものと思います。

繰り返しとなりますが、魂清浄の神法の行は、一日の行が既存宗教の修行の千日分の行となります。それは本人の行により本人の体内の迷霊だけではなく、その迷霊の発信源ともいうべき本拠地(神社仏閣聖地等)からも迷霊が昇天させられるようになっているからです。また、本人の親族の体内にいる迷霊も一緒に昇天させる事が出来ますので、一日の行が千日分の行となる訳です。

2013年11月11日

赤色

6色の玉の所で少しお話ししましたが、魂清浄の神法で使用されるいくつかの色の内「赤色」は良くないとされています。中国やいくつかの国では赤色はお目出たい色とされておりますが、ここではあくまでも魂清浄の神法に限っての話しという事でご了承頂きたいと思います。
開祖天霊師の講義録の中でいくつか抜粋してみますので、ご参考にして頂きたいと思います。(口語で分かり難い部分にはカッコで補足しました)

<お札(おふだ)>
(質問者)お札を包む布は、先生は良く赤は最低 だと仰いますが、よくお札には赤を布でしてありますが。
(開祖天霊師)赤でない方がよい。 赤でない方がいいです。赤は最低です。確かに最低です。避けた方がいい。

<行の心得>

(質問者)大声を上げて(魂清浄を唱える事について)隣近所の手前に体裁が悪いって言っちゃだめだって(天霊師が)言いますけど、やっぱり、(隣近所の人が)あの人は狂ったんじゃないかって(言いますから)。」
(開祖天霊師)肚(はら)を据えてないってことです。(隣近所の人が)笑ったら、「お前もやれ、体が軽くなるぞ、やってみろ」、それ程の度胸がなくちゃね。こっぱずかしいなんて駄目だ。 特に皆さん方はこれから魂清浄の幹部なんです。幹部って事は骨ということなんだ。骨だから、自分が(魂清浄の修行を)やるのに恥ずかしいなんて言ってては力がなくなってしまう。 大神の方で力を与えてやるって言えば、(本人は)恥ずかしいです。(そうしたら大神も)おおそうか(じゃあ)俺の方も恥ずかし い(となる)。
(質問者)唱えている時に人が来ると家内が合図するんです。
(開祖天霊師)御夫婦で肚据えてや ってごらんなさい。恥ずかしい、そう言う霊が(あなたの体内に)おるからです。恥ずかしいと考える事 は、堂に入ってないという事、肚を据えてやりなさいよ。そうやってくると、例えば色々他の宗教の(霊的な)関係がはっきり掴める。皆さん方は肚を据えてないから、あっちでうまい事言えば、あーそうかなー。こっちで・・・。ともかく眉唾のもの程こわいんだよ。正しいもの程、何かこの朱に交われば赤ってね、朱に交われば、赤に交われば赤になると言って悪い事に赤を使ってあると同じ事でね。最低だ最低だと言うんだけれども、肚据えて来ると迷わなくなくなる。


<魂清浄の祭式作法>
魂清浄の場合の祭式を決めておきたいと思います。(中略)
更に(一般には)女の方は緋(ひ)の袴を履くという事がありますけれども、魂清浄では赤は最低でございますので、履いてもらわない予定であります。何を履いてもらうかと言うと、これを履いてもらう、□□□□□って言いますね、こ れを履いてもらう。男でも女でも同じでございます。服装も(後略)


2013年10月20日

10月20日

10月には秋季大祭の他に、もう一つ天霊神霊研究所に関係する日があります。それは10月20日です。この日は開祖天霊師のお誕生日なのです(9月1日は「天霊」という神格位一階位の”職”ができた日といえます)。

個人的に毎年この日も自宅でお祝いをしております。丸山忠三という方がこの世に生まれてくださったお陰で、魂清浄の神法を打ち立てることができた訳であり、その足跡に想いを巡らせる日でもあります。また後進である私たちに何が出来るのだろうかと自問する日でもあります。

現在の天霊神霊研究所奉賛会会員の方々は開祖天霊師、二代目天霊師から正統に魂清浄の神法を伝えられた(授けられた)方々です。この魂清浄の神法が今後もご自身、ご家族のご発展の礎になることでしょう。またそれに留まる事なく、親しい方、次の世代を担う方々にも是非伝えていって頂けたらと願います。魂清浄の神法という宝物は分かち合えば分かち合うほどに満ち溢れてくるものです。若い時分からこの魂清浄の神法の開基に人生を捧げられた開祖天霊師もそれを願っておられることでしょう。


2013年10月8日

秋季大祭

10月8日は天霊神霊研究所本部道場の秋季大祭でした。今年も多くの方がご参拝になりまして、多くの新しい会員の方にもお会い出来とても嬉しかったです。

個人的な話しですが、大祭の前夜は毎回寝付きが悪くなり困ります。体内の霊が人一倍多いせいだと言われるかもしれませんが、体内の迷霊が全ていなくなるのは家系の中で初めて魂清浄を唱えた方を一代目として子供、孫、曾孫・・・だいたい6代後位の子孫からであると開祖天霊師の講話の録音でも明言されておりました。そこから考えますと今の人間は体内の霊の多寡を比べた所でみな50歩100歩という所でしょう。中には数十年魂清浄を唱えたから体内の迷霊の殆どが昇天しているなどと豪語している人の話を聞いた事もありますが、そんな筈はありませんので恐らく計算間違いか何かでしょうか・・・。

話しは元に戻りますが、御祭りの前夜に寝付きが悪くなるという現象は、御祭り当日に体内の迷霊が大挙して昇天するために、前日に体の表面に浮き上がりやすくなっているのでしょうか。反対に考えてみますと、大祭当日に昇天できる事を体内の迷霊自身が知っていて、期待しているのかもしれません。これはあくまでも私見です。興味のある方はご自分で研究して頂きたいと思います。
とにかく今年の秋季大祭もその期待(?)を裏切る事なくフラフラになる位に ”抜けた!” という感覚がありました。そういう現象の後には日常生活の中でも色々な良い現象が起きる傾向にありますので楽しみです。次の春季大祭までの半年間が奉賛会会員とそのご家族親族の皆様の飛躍の年になる事を願って止みません。

魂清浄の神法を始めますと、それぞれの方に変革が起こり、安定期に入り、その後で地道に、しかし確実な飛躍があるように思います。しかしこれは、あくまでも二代目天霊師の元で正しい方法で行なった場合に限ります。


2013年9月18日

大國主大神様


魂清浄の祝詞を唱える行をしている時は、出来る限り何も考えない状態、「無心」が望ましいのですが、気がついてみれば色々考えながら口だけは唱えていた等ということもよくある事だと思います。そんな時には考え事に集中していて自分がどこに向かって手を合わせているのか、行をしているのかも分からなくなっているものです。

魂清浄の祝詞を唱えている時間は、まさに大神様が降神されて私たちの体内の迷霊を17霊界に昇天させてくださっている時間とも言えるでしょう。
天霊神霊研究所の御祭神は大國主大神様です。魂清浄の祝詞を唱えている間に、どうしても何か考え事をしてしまう時、あなたのそばに大國主大神様が来てくださっている事を思い出して(気付いて)みるのも良いかもしれません。

中には大神様が来ておられる事が感じられないと仰る方もおられるでしょう。感じられないから否定する or  感じられないけれども肯定する  or  あえて判断はしない等々、行の姿勢、信仰とはやはり人それぞれであり、それで構わないと思います。ただし、大神様の存在を否定しますと行の成果が出難いようですので、その点だけは注意が必要と思います。巷には会員になれば何でもかんでも救えるというような既成宗教もあるようですが、それとは明らかに異なります。

魂清浄の神法という本に次のような文章が記載されております。
「さらにこの信仰は、宇宙人類の最高神たる大國主大神にお仕えする道であり、それによって我々もまた、最高の地位を約束された尊い存在であるという自覚をここになされて下さい。」
天霊神霊研究所奉賛会会員の方々は、いついかなるときでも大國主大神様の存在を忘れる事がないように心がけたいものですね。

2013年9月8日

切幣(きりぬさ)

天霊神霊研究所本部道場では、毎月の御祭りの献撰を行なう時に、大幣も新しいものに作りかえます。その際、前月度に使用された大幣は会員の皆さんの中で欲しい方が分けて頂く事が出来ます。
これを切幣(きりぬさ)と呼んでおりますが、この切幣には様々な使い方があります。オーソドックスな方法としては、これを小さく切ったものを使用して室内を浄める事が出来ます。塩や水を撒く事が出来ない場所の浄めには良いものです。

切幣を部屋の四隅、ドアの所などに左右左の順番で撒いていきますとその部屋を浄める事が出来ます。家の浄めと同じように北東方向から右回りに浄めます。ホテル等は不特定多数の方が泊まりますから霊的にも汚れている場合が多い訳ですが、ホテルの部屋の中を切幣を使って浄めることで短時間で清々しくなってくることを何度も経験しております。浄め終わった後の切幣はそのまま廃棄しても構いません。

ここで余談となりますが、天霊神霊研究所の「浄め」は必ず「右回り」で行なう事になっております。一部の分派では、浄めの対象によっては左回りで浄めるなどと教えておられると聞きましたが、これはもはや魂清浄の神法とは言えません。
天霊神霊研究所の信奉者の方は浄めの方向についてこのようなお間違いがないようにお気をつけ頂きたいと思います。お浄めは正神の大神様との間で約束された手順で行なわないと正しい結果を得る事が出来ません。

尚、切幣の使い方として、お風呂のお湯の中に入れてから湯船につかりますと体が楽になるようです。本日は本部道場の御祭りでしたが、一部の会員の方が色々な使い方を研究して良い効果をあげておられるお話を伺いました。


2013年9月1日

天霊師生誕祭

本日九月一日は甲府の本部道場にて天霊師生誕祭が行われました。多くの会員崇敬者参列の中、このお祭り専用の特別な祈願祝詞(開祖ご存命中に作成・使用された祝詞が残されています)がよまれ、その後、全員で魂清浄を唱えました。毎年この日に思う事ですが、本部道場の雰囲気が特別なものになります。今日は特に迷霊が昇天する感覚が強くありまして、新会員で初めて参拝された方も皮膚感覚がいつもと違うと仰っておられました。

また、本日から御守りである天霊師の名刺が新しくなりました。記載された内容も効果も変わりませんが、開祖天霊師が残された名刺と同じように上質な和紙を用いて、魂清浄のマークには金が貼り付けられており、粗末には扱えず、大切に持っていたくなるようなものでした。

今日は開祖が残された和紙を用いた名刺の現物も拝見しましたが、新しい御守りは良く復元されていると思いました。この名刺(御守り)は紙などで包んで持参しても構いませんが、赤色のものは使うべきではないと開祖がコメントされています。赤は最低の人の色という事でした。透明のカードケースなどに入れると中身が読めるので良いと思います。
この御守りは大切に綺麗に扱う事で末永く使用する事が出来ます。開祖の時代から汚れた場合には取り替えて頂くという事で、一般の神社仏閣の御守りのように一年に一回取り替えるというような性質のものではありません。ご神体の一つとして大切に末永く御持ち頂きたいと思います。

2013年7月8日

穴をあける

現代人の体内は自己の本霊(本人霊)と他の迷霊が同居している状態であり、複合霊的存在という事が出来ます。魂清浄の神法はこれら本人霊以外の迷霊達を17霊界に昇天させて体を順次浄めていく運動ともいうことが出来るでしょう。具体的には魂清浄の祝詞を唱えますと体内の迷霊が体外に出て、大神様がその迷霊を17霊界に昇天させてくださるという事になっております。

毎月8日に行なわれるお祭りの日に参拝しますと、体内で幾重の層のようになっている迷霊の領域に迷霊を抜くための穴を開けて頂けるという事です。この「穴」は定期的に魂清浄を唱える行をしていないと次第に塞がってくるそうです。こういう所にも本部道場の御祭りに参加する意義があります。本日8日は本部道場の御祭りでしたので参拝された方は皆大きな穴を開けて頂けたことでしょう。
開祖天霊師の講義録に詳細説明がございますので抜粋をご覧ください。


<開祖天霊師講義録より抜粋>
肚を据えてやっておる、或はコンスタントにやっておりますと、(霊が抜ける)穴が開けてありますから、従っていつか知らん間に治っていく訳ですけれども、コンスタントにやりませんと、私がよく祭典(毎月8日)とか行の日(毎月18日)を作りましたのは、霊の(抜ける)道を作りましたのは、、しばらくやりませんと霊の出ていく穴が塞がってしまいます。ところが、お祭(毎月8日)には大きな穴を開けて霊を昇天させる様にしてあります。(体内の)霊というのは、本人(霊)がここに居りますと(これを)取り巻いておる訳で す。(迷)霊が取り巻いておる訳です。それが魂清浄をあげますと、こういう風に先ず穴を開けます。そして本人と大神様とが繋がれて、順に順にこれ(迷霊)を掻いていく様にしてあります。
ところがだんだん穴が塞がってくる、段々(霊の出る量が)少なくなって来るのでございますけれども、常に魂清浄 を上げておりますとそういうことが少なくなって来る訳でございます。 同じ様な(穴があいたままの)状態でいく訳です。
ですからお祭に参加するという事は、この穴を大きく開ける、こういう事になります。だから一所懸命魂清浄を普段から上げて努力をして頂く事が大事ではないかと思う訳でございます。



2013年6月8日

委任事項

6月の月次祭も無事に終わりました。梅雨入りしたと聞いておりますが心地よい風が吹きこみ気持ちの良い一日となりました。この月次祭の間に「委任」というキーワードが思い浮かびましたので、忘れないうちに書き留めておきましょう。

魂清浄の神法の中において「委任」という言葉がよく使われますが、例えば、開祖天霊師から授けられた虫切りの術を行なう場合などには、必ずお守り(天霊師の名刺)かバッチ(裏に天霊と彫られている)を持って行なう必要があるそうです。これも一つの委任の形であるようです。(虫切りの術は開祖天霊師から直接授かった方のみ限定であり、他の方に伝えられませんので、その点誤解なきようにお願い致します)
また、支部長(支部道場主)になりますと、天霊師の委任を受ける必要があるため大國主大神様から直接巻物(委任状)を授かる事になっているそうです。また、支部長でなくても授かる事もあるそうです。

「委任」という言葉が使われている所を見ましても、魂清浄の神法に於いては、あくまでも個人の力ではなく、大神様,天霊師のお力を使わせて頂く事を委任されているに過ぎないという事がお分かりになると思います。ですから人に迷惑をかけたり、筋道を外した言動をとると、すぐにお力を取り上げることが出来るという事でしょう。奉賛会会員お一人お一人が魂清浄の行を通じて、大國主大神様から委任を授かり,大神様の代行となる方がこの地上に増える事を願います。


<開祖天霊師の講義録より抜粋>
 支部長さんになりますと、私、天霊の委任を受けることができる。その委任は大國主大神の命に基づいて委任を受けますので「巻物」をくれます。この間、ある支部長が巻物を貰って、「先生、俺はあれ(巻物)を貰ったんだ」と言うんだね。それで、「中伝だろうか?」と。中伝なんて本部でなきゃ渡しません。この「伝」を渡す時には、ここ(本部道場)より以外渡してくれません。だからひとつ、これは念押しました「違うぞそれは」と。
でまあ(その支部長が)「いやあ、よく分かりました」って、行をやってるうちに「委任事項を受けることである」と教えられましたと。
その通りなんです。そういうような委任事項を持っておりませんと(天霊師の)代理ができません。だから、例えば皆さん方の中にも、一生懸命修行をして戴いて、皆さん方はこの地球の表面で、人類が約三十七億ぐらいいらっしゃる。皆さん方はお一人で、一人一人でございますので、どうかひとつ、私の委任をどんどん皆貰いまして、一人でも多く救って戴くように、支部長さんだけじゃなくて、どうかひとつ、皆さん方お一人お一人が委任を持ちまして、それを大國主大神様を通じて差し上げられる、私が直接差し上げるわけにはいきません。

神事と申しますのは、順序があります。神事には順序があります。
どうかひとつ、皆さん方がそれぞれ一人一人戴いて、世のため人のため、多くの人たちを救って戴くように、お願いを申し上げるわけでございますけれども。どうかひとつ、それぞれ修行ができるように、お願いを申し上げたいわけでございます。

2013年5月25日

修行に定年なし

今日の甲府は少し蒸し暑く、街を歩く人の殆どが半袖の服を着ておられました。いよいよ夏が近づいてきたようです。本部道場では今日も心地よい風が吹き通り、行に集中するにはもってこいの環境となりました。
今日も二代目天霊師が祝詞をあげてくださいまして、その後、一緒に魂清浄の祝詞を唱える行を2時間続けて行いました。一心に行をしていると、体のあちこちがだるくなっては、すっと楽になるという事の繰り返しで、体のコリが取れてどんどん軽くなってくる感じでした。

天霊先生は87歳というご高齢ですが、今日はかなり早いペースで行をされまして、ついていくのがやっとという感じでした。途中で気がついてみると先生は誰よりも大きな声で魂清浄の祝詞を唱えておられました。先生はいつも行の始めから終わりまで揺るぎない姿勢で唱え抜かれます。疲れ知らずで行が終わった後も淡々としておられます。こちらはというと、行が終わった後、すぐに立ち上がることも出来ない感じでした。流石に2時間ともなると堪えます。こういう状態を「行をつけて頂く」というのでしょう。「修行に定年なし、生涯修行」という言葉を聞いたことがありますが、今日はそれを現実の姿で教えて頂いた形となりました。天霊先生は寡黙で多くを語られませんが、その姿勢で教えて頂く事が多いです。

2013年5月18日

修行の日

本日5月18日は本部道場の修行の日でした。二代目天霊師が祝詞をあげてくださいまして、その後、長時間の行に没入致しました。二代目天霊師が祝詞をあげてくださった後に行をしますと、他の方が祝詞をあげてくださった時とは全く異なり、体全体からあふれるように迷霊が昇天して行くのが感じられます。実際の皮膚感覚でも通常との違いが分かるほどです。そして行が終ると心地よい疲れが出て眠たくなります。

今日は遠方の会員の方がお見えになりましたが、その方が仰るには、本部道場で行をする時だけ全身の毛穴が開いた感じとなり総毛立つのだそうです。不思議な話しだと思いながら拝聴していましたが、人によって感覚は異なるものの本部道場での行、特に天霊師に先達して頂いたときの行はやはり格別のものがあるように思います。

一般に霊的な感覚の鋭い方が本部道場で行をされますと、しばらくはご自分から霊が抜け続けている事を感じ過ぎてしまい、ここは霊的に浄まっていないのではないかと錯覚される方もおられるようですが、行が進み抜ける時の感覚が穏やかになってくればその凄さが改めてお分かりになる事でしょう。これは体験無しには語る事が出来ない領域と思います。

今日の本部道場は新緑の風が吹き込んでとても気持ちが良かったです。行をしながらほのぼのとした幸せを感じていました。畳の上に座りながらも穏やかな風の中で行が出来るのはこの季節ならではの事でしょう。私にとってはこれが何よりの恩頼(みたまのふゆ)だと思いました。

2013年5月8日

春季大祭

今年の春季大祭(五月八日)は水曜日で平日でしたが、二代目天霊師がおられる本部道場には入りきれない程多くの奉賛会会員の方々が参拝されました。その二日前にゴールデンウィークが終ったばかりですので、会社等にお勤めの方々はお休みを取るのにご苦労された事と思います。皆様の晴れやかなお顔を拝見して誠に肚の据わった方々ばかりだと感服致しました。大祭、月次祭は開祖天霊師と大神様との間で毎月八日(九日、十日は予備日です)と決められており、大神様がお決めになられた事ですから人間が勝手に動かす事が出来ません。八日に参拝すれば大神様が必ず授けてくださるとも言われており、これは人間心として嬉しいものです。御祭りへの参加については開祖天霊師も「心がけ次第である」と言われています。

大祭の後、奉賛会会員の皆様と一緒に魂清浄の祝詞を唱える行に入りました。大人数で皆一心に唱えましたのでそれはもう迫力がありました。御祭りの日には「通常の三倍の体内の霊を昇天してくださる」と言われておりますが、毎日の行とは全く異なり、急激に集中して頭の中が真っ白になった感じがしました。その時不思議な事に隣の部屋におられた二代目天霊師の存在が感じられてきて、目を瞑って行をしていたのですが目の前がどんどん明るくなってきて最後には眩しく感じられるほどでした。そして行が終ると体がすっかり軽くなり気持ちよくなってしまいました。これは個人的な体験ですが、大祭の日にあらためて天霊(職)という存在を教えて頂いたように思いました。


開祖天霊師が書き残された膨大な資料の中には当時の弟子達の人物評もあったそうですが、他への厳しいコメントの中、二代目天霊師については「最も信頼できる存在」というような評が書かれてあったそうです。
二代目天霊師はお会いするといつも穏やかな春風のようであり、二代目天霊師の前では皆さん自然にくつろぐ事が出来るようです。開祖天霊師のようなある種の凄さは感じさせられませんが、開祖から天霊(職)を引き継がれて、一途に魂清浄の神法を守り抜いて来られたのでしょう。
二代目の奥様の桂霊師が語っておられた話として、二代目天霊師は夜、寝入っておられる間にも魂清浄を唱えておられる事があったそうです。開祖天霊師はこのように謙虚さの中にも強い想いを秘められて、それを静かに一途に貫くような二代目天霊師であるからこそ生前に最も信頼することができ、安心して天霊(職)を引き継ぐ事が出来たのではないかと思います。開祖天霊師は多数決の害を繰り返し述べられましたが、オレがオレがと我の強い一癖ある弟子が目立つ中で、謙虚で静かな二代目天霊師が多数決などで選ばれる事はなかったかのではないかと思います。
開祖が唯一選ばれた二代目天霊師の人格に接してみて初めて開祖の御心を推し量る事が出来るのではないでしょうか。

老子が残した”上善は水の如し” という言葉は正に二代目天霊師のような方を指すのではないかと思います。あまりにも自然すぎて、こちらが不自然であるとその存在が理解出来ないのでしょう。

2013年4月28日

六色の玉

天霊神霊研究所で魂清浄の神法の行を進めていきますと、その修行の状態により大神様から「六色の玉」と呼ばれる玉を授かる場合があります。これは目には見えない玉であり、6つの色に分かれており、上から黄金、白、黄、青、緑、赤となります。それがさらに大きさで6級に分かれており1級が一番大きく一番上位になります。つまり6×6=36種類の玉があります。この玉にはそれぞれに応じたお力があり、授かると現実の生活の中でも力が発揮されるものという事です。
これらは大國主大神様の権限により授かるものであり、天霊師を含め他の方が色や階級を決める事は出来ないという事です。それぞれの玉の内容について思いつくままに記載します。

1.黄金玉:最上位の玉、伝を授かると黄金の玉が授けられる。支部長に授かる。
2.白玉: 自分の本人霊が大國主大神様の籍に入る。
3.黄玉: 
4.青玉: 
5.緑玉: 大神の子と言える。21日間の行を1回終えると授かる。
6.赤玉: 戻し玉、普通人に返る。それまでに頂いたものを全て御返しする。

開祖天霊師の生前の講義でもこの六色の玉について何度もお話しされておりますので、そのいくつかをご紹介致します。
その中には、六色の玉、霊名、道場、準道場を授ける場合はあくまでも大神様の意志によるものであり、たとえ開祖天霊師であっても勝手に授ける事は出来なかったことが語られております。

神事は筋道に厳しいものです。大國主大神様の権限について人間がとやかく言った所で大國主大神様がお授けにならないものは絶対に授かることはないのです。
人それぞれにより体内の霊的な環境(先祖や自分の宗教歴等により霊的に重い軽いがある)が異なりますので、21日間の行を何回やったから自分は玉の色や級が○○玉に上がっている筈とか、21日間の修行をする度に皆一様に玉が自動的に上がるなどと言う事はあり得ない事です。
また、自分は相当修行が進んでいるので霊名、準道場、支部道場、天霊職(絶対に有り得ない)を授かるはずだ、授からないのはおかしい、などという考え方は傲慢で自己中心的な考え方です。このような言動は自らが大神様の御権限を侵している事を示す事にもなります。
天霊神霊研究所はあらゆる点において既存の宗教とは異なりますので、他宗教から移って来られた方々は考え方を切り替えて頂く必要がございます。

当然の事ですが、魂清浄を唱えていても二代目天霊師を否定している方々は、大神様から授かったもの全てを大神様にお返しする事になります。大國主大神様が分派者をお許しにはならないからです。

以上は少し修行が進んできた方がハマりやすい「落とし穴」です。お気をつけ下さい。


<開祖天霊師講義録より抜粋>

「大國主大神様は六種類の玉をお持ちになっております。ここにあります赤緑青黄白金なんです。これへ黄金がありますのでこれだけの玉、三十六玉お持ちになっております。三十六玉、赤玉は戻し玉、白を頂きましても業績が悪いと赤を飲まされます。そうすると元へ返ってしまう訳です。普通人に戻ります、で又順に貰います。
修行段階と授かる玉と力、それから術、これはですね私が強調するわけにはいかないものです。力と術は、これは大國主大神の御権限に基づいて皆さん方に授ける事になっておりますので、私が強調する訳にはいきません。ですから皆さん方が修行して玉を頂きます。そうして物事を実現していきます。それが力なんですね。どの位、だから私がどうって訳にいかないんです。つまり玉も同じです。この玉も同じなんです。玉を下さるのは大國主大神様がくださるんで、天霊がそれをいざこざいう訳にはいきません。これは天地宇宙大神、産霊大神を通じて、大國主大神の御権限に基づいて決定されたものでございますので、私がどうって訳にはいかない。それだけは一つ皆さん。それから名前(霊名)がそうです。名前も同じです、名前も。私が上げたいと思って考えておりましても、大國主大神様の方からお話がありませんと、どう仕様もありません。例えば道場。準道場、支部道場そういう風な場合も同じでございます。大神の方で御授けをして下さいますので、私が喋喋する訳には参りません。そういう風な点に中々問題がある訳でございます。」

「中々厳しい、大國主大神様、厳しいです。ではこの赤玉はどういう事だ、赤玉はどういう事か。赤玉はですね、全部これを消します。つまり大神の子で無くなる訳ですね。赤玉を頂戴してしまいますと、そういう風な行でもって赤玉を頂戴した場合については、必ず鞭は、鞭及び辞令は一時天霊預かりなさい。大変な事になっちゃうんですね。だからもし皆さん方が修行致しまして、そして赤玉を飲まされてしまったいう風な場合においては、高等の修了証書及びその鞭を、初伝を貰った場合は初伝の証書とそれからその鞭、或いは除霊石を、私の所へ直接私の手に戻す様に。例えば除霊石を頂いても、人を介して届ける様な事は相成らん。馬鹿にしてるんですね。だから授けられたら授けられて者の手に、一時お預けをします。こういう事です。だからその時、私文句も何も言いませんから、こういう訳でございますと。例えば鞭の場合でもちゃんと私に、私の手に渡す様に。私の手から渡すんだから、そういう風に固く約束して頂く。」

「玉はですね、玉には一級二級〜六級まであるわけです。そしてじゃあ職能はどうかといいますと、これは大神様の大國主大神様のお持ちになってる玉ですから、本当の大國主大神様のお姿(天霊神霊研究所の御神体である石の大國像)というのは、お座りになって俵の上にお座りになってこうして玉を持ってる姿が本当なんですね。本当はそうなんです。だけど私がこういう風に槌の形にしてありますけれども、本来は玉をお持ちになってるですね。そうしてこの玉を頂きますとすぐ大神様の子になる、大國主大神様の子供になるわけですね。子供になる。だから大神の子、みんなが神の子だっていうけど嘘なんです。玉を頂かないと大國主大神様の子にならない訳です、宜しいですね。三七、二十一日の行をやりますと、緑(玉)なんです。三七、二十一日の行をやりますと緑(玉)なんです。だからその前は所謂大國主大神の子になりません。その点をはっきり今日は打ち出していい。大神がおっしゃいますので。私は大神の子でありますというのには、緑の玉を貰わないと駄目でございます。」

2013年4月8日

みんなで心を合わせて

「みんなで心を合わせて、みんなで心を合わせて、努力して貰うよりほかないな。もちろんわし共も導くぞ、よいな」

これは大國主大神様から天霊神霊研究所奉賛会会員に対する励ましのメッセージです。
人それぞれに大神様から与えられたお役目があり、自分が出来ることを進めていくほかないと思います。心を合わせてというところがミソだと思います。

2013年3月23日

二代目天霊師 87歳のお誕生日

本日3月23日は二代目天霊先生のお誕生日です。本日87歳になられました。
本部道場にお集まりになられた奉賛会会員の皆さんでささやかなお祝いをしました。会員の方の手作りケーキがとてもおいしかったです。
下の写真は天霊先生がケーキのろうそくの火を吹き消しておられるシーンですが、とても力強い息吹で一気に吹き消されました。長い息、長生きして頂きたいと祈願いたしました。


2013年3月10日

一にも行、二にも行、三にも行

開祖天霊師は生前「一にも行、二にも行、三にも行」と口癖の様に仰っておられたという事です。これは魂清浄の神法においては、宗教的な教えや理論について熟考したりするよりも、実際に魂清浄を唱える行を最優先し、自分の体内に巣食っている迷霊達を17霊界に昇天させる事こそが人間としての幸福への最短距離であるということを教えてくださっているのではないかと思います。
さらに人間として最大の幸福は、大國主大神様に仕えて、大國主大神様と共に歩かせて頂く事であると仰っておられます。そんな開祖天霊師の御言葉が録音に残されておりますので是非お聴き頂きたいと思います。


<講義録音内容>
人間として生きる最高の道は正神に仕えて神と共に歩かせて頂き、つまり大國主大神様と共に歩かせて頂く、これが最高であるわけでございます。そうなりますと作物であろうと或は家庭生活であろうと、或はその他の問題であろうと必ず大神樣方の方でそれぞれの人毎によりまして最善の方法、道を与えてくださいます。人間として生きる最善の道ほど大國主大神様に御仕えを致しまして、そうして日々是好日、毎日がいい日であらなければ、そういう風にあって欲しい、そうならなければ嘘でございます。
そこで更に人間の能力の拡大はどのようにすれば出来るのだろうか。それは私達の体の中の迷霊を早く昇天させるより他に方法はございません。体細胞よりも多いような霊をどんどん昇天させてあげるより他に道はありません。そうするにはどうするかと言いますと、「一にも行、二にも行、三にも行」でございます。そして迷霊をいち早く十七霊界へ送って幸福にしてやることによりまして、迷霊も感謝いたします。それから大國主大神様方もその御努力に報いて頂けます。更にまた、それを先祖霊あるいはその他の霊も感謝をしてそれを現世に及ぼして参ります。

2013年3月8日

先祖霊・子孫霊

天霊神霊研究所では17霊界に昇天していない霊を、生前の種別に関係なく「迷霊」と呼んでおります。毎日、魂清浄を唱える行の前に祈願祝詞や祭典祝詞を奏上しますが、この中に「祖先霊」「子孫霊」という名称が入れられております。この祖先霊については自分のご先祖様の霊であろうと推測がつくと思いますが、子孫霊となると・・・自分の子孫?・・・少し分かりにくいですね。

この先祖霊と子孫霊について開祖天霊師が生前の講義の中で明解に説明しておられますので少し紹介させて頂きます。以下の文中の「  」内は当時の奉賛会会員から開祖への質問内容です。


<開祖天霊師講義録より抜粋>

会員: 「先祖霊は分かります子孫霊というのはどういう事ですか?」
開祖: これから説明を致しますが、先祖霊というのは自分より年上の場合に霊化した人、子孫霊というのは自分より年下の亡くなられた方の霊、これを子孫霊と申します。先祖霊は自分より年上の霊、子孫霊は自分より下の霊。
 例えば水子でもって早産してしまったという場合については、子孫霊になります。あるいは妹さんとか弟さんとかという風な場合については子孫霊になります。それではいわゆる、子孫霊のどの程度が影響があるのか、祖先霊でもどの程度が影響があるのかと言いますと、よく法律でいう六親等内か親族であるいう風に現世でも言っております。その程度、あるいはそれ以上、あるいは八親等十親等位にあたる場合もある様でございますが、その限界については大神に私も伺っておりません。私は法律的に六親等位かなと考えておりますけれども、なにか大神に伺ってみますと十親等位考えているのではないかと思います。それ以上になりますと今度は殆ど考えられない様な気がしますけれども、しかしあるいはそれ以上になるかもしれません。あるいは千年二千年又或は五千年位前の祖先霊が出てくる様な場合もあると思います。

会員: 「霊というのは人間が死んだら、動物植物死んだ場合、霊というのは成長する訳ですか?」
開祖: 成長します。
会員: 「子供で死んだら大人になるとか?」
開祖: します。十七霊界へ入ると成長します。
会員: 「その為の霊食なりいろんな物があるわけですか?」
開祖: そういう事です。出来なかった事を出来る様にして総てを
会員: 「子供の霊でも十七霊界にだんだんだんだん大人の霊が多くなると?」
開祖: 成長する様にしてあります。それはよく大神仰っています。水子でも育つよ、おっしゃいます。

以上が講義録からの抜粋です。
この中で17霊界に昇天した霊達は、霊食を食べて成長するという事が語られています。霊が成長するとは夢にも思いませんでした。生前にしたくても出きなかった事が出来るのが17霊界であるという事にも言及されており、17霊界は本当に霊を幸福にしてあげられる霊界なのだと意を強く致しました。魂清浄を唱えて少しでも多くの霊を17霊界に昇天させて幸福にしてあげたいものですね。

2013年2月28日

初心忘るべからず

この写真を見るたびにそう言われているような気がします。
初めて大神様の前に出られた日の事を覚えておられますか?誰にでも初めて魂清浄を唱えた日があります。その時の心境を保ち続ける事は容易な事ではありません。続けていくうちに慣れが生じて無駄なものが付着するものです。今現在のご自分の心境と比べてみて如何でしょうか?
開祖は会員が何か失敗する度に「また一からやりなおし」と言われました。常に赤子の心で大神様に相対するという事です。大神様の愛の元でいつでも何度でもやり直しが出来るということは素晴らしい事ですね。

2013年2月24日

天霊祭

開祖天霊師は1975年2月24日23時40分に17霊界に昇天されました。大変風の強い日だったと聞いております。その後、毎年この日に「天霊祭」という祭式が行なわれる事になっております。

本日は開祖が昇天されてから38年目の天霊祭となりました。今日もまた大変風が強い日でした。本部道場に多くの奉賛会会員が参拝され、祭式の中では天霊祭の祝詞がよまれました。
その祝詞の中に奉賛会会員の方々が、大神様の恩頼(みたまのふゆ)を授かりながら、世の中の方々に魂清浄の神法を伝え、導き、救おうと努力しているさまを、どうぞ御覧くださいというような下りがあり感動しました。静かに頭を下げて祝詞を聞きながら心を新たにする事が出来ました。
その後で参拝された奉賛会会員皆さんで一緒に魂清浄の祝詞を唱えましたが、いつもに増して非常に清々しくなりました。

魂清浄の神法を多くの方にお伝えする事も大切ですが、大神様にお仕えする方々がそれぞれに、より深く深く大神様と結ばれていく事が大切と感じさせられる一日になりました。
天霊神霊研究所で行なわれる祭式では、毎回多くの気付きが与えられ、心も体も浄化して頂けます。その有り難さを強く感じさせて頂いた日でもありました。

2013年2月5日

小さな石像

天霊神霊研究所本部道場の最上段には開祖天霊師から伝わっている大國主大神様の石像二体の内、大きな石像が祭られております。



2013年2月2日

18日

天霊神霊研究所本部道場では、毎月8日に月次祭が行われます。この日は普段はお目にかかれない様な大神様とも縁を取り持って頂ける日でもあります。また、普段の日の3倍の霊を体内から昇天させて頂ける日とも言われております。祭式とその後の直会(なおらえ)が主となりますので、意外と魂清浄を唱える時間が少ないように思われます。

そういうこともあり、毎月18日には「修行の日」が設けられております。この日は文字通り、ひたすら魂清浄を唱える行を行うための日と言えるでしょう。自分自身の体内の迷霊を昇天させることに集中できる日です。

天霊神霊研究所で教えて頂いている魂清浄の神法は、一魂清浄から十魂清浄までの祝詞を繰り返し唱え続けることにより、大神様により体内の迷霊を昇天させて頂ける、それと同時に自分自身の本霊(本人霊とも言う)が磨かれて、正神の大神様と直接つながることが可能となるというものです。
現在の人間の体内には種々の理由により多くの迷霊が入り込んでいるために正神とつながることが困難となっております。そのため、いくら信仰心が厚くても、自分の体内の霊が昇天し少なくならないことには、現実の生活の中で正神とつながることは難しいという事です。

それら体内の迷霊を、圧倒的に早く昇天させて頂ける場所が本部道場です。これは魂清浄の神法の責任者である天霊師が本部道場におられることと、常駐されている大神様方は天地宇宙神を始めとする総ての大神様であるからです。いかなる霊が来ようとも昇天させられる霊的な体制がとられているという事です。支部道場もこれに準じます。残念ながら準道場はその体制が弱まるために頑固な霊は昇天させられないとのことです。これは行を重ねていきますと、どなたでも体感ではっきり分かるようになります。
迷霊が体内にいることは大神様に対して罪を犯していることになるのですが、これら体内にいる迷霊の立場に立ってみれば分かることで、本部道場に行く方が準道場に行くよりもはるかに恐ろしいことは想像に難くありませんね。

魂清浄の神法は自分自身の体内の霊のみが昇天する訳ではなく、ご家族ご親族など同じ霊系の方からも迷霊を昇天させて頂けるというご配慮を受けることが出来ます。そのため一人千人の行とも言われます。ご家族やご親族が病気などで困っている場合に、自分が代わりに本部道場で修行し祈願することにより早く体内の迷霊を少なくすることで事態を好転出来るという訳です。大きな問題をお持ちの方が出来る限り本部道場を使用して行を行なう必要があるのはこのためです。魂清浄の神法を始められましたら、出来るだけ早く体内の迷霊を少なくすることが人生好転のための要諦ではないかと思います。




2013年1月1日

年送り年迎え大祭

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年も開祖天霊師の時代から伝えられてきているお話しや二代目天霊師と開祖天霊師のご息女の育子さんから教えて頂いたお話などを少しずつ書きためていくつもりです。
あくまでも個人的な備忘録ではありますが、これまでにも色々な反響を頂くことがありました。その中には魂清浄の神法の誤った情報を教え込まされたきた方々もおられました。今後も皆さんのご参考になるようでございましたら、これに勝る喜びはございません。

本年も天霊神霊研究所本部道場と地方の道場それぞれにおいて、年送り年迎えの大祭が行われました。大晦日23:45から年送りの大祭が行われ、元旦になった時点で、神前の水を全て若水にかえた後、年迎えの大祭が行われました。開祖天霊師の時代から変わらず続けられてきた内容です。年迎えの大祭では祝詞奏上の時に道場の中を爽やかな風が吹き通り、全く新しい場所に来たかのように感じさせられました。

今年の年送り大祭・年迎え大祭も真夜中にも関わらず多くの方が参拝されました。お年玉として下の写真のような葡萄液を頂戴致しました。これは「万能薬」として用いられるようになっております。これも開祖天霊師の指示により始められたものという事です。
また、本部道場の正月の松飾りの松を外す時には、これを奉賛会会員にお下げ頂き、これを材料にした松葉酒を造る事が出来ます。これも万能薬として一年を通じて用いる事が出来ます。下の写真は昨年頂いた松飾りの松と○○○○と△△を使用して作られた松葉酒です。大神様とのお約束としては、必ず本部道場で使用された松飾りの松を使用する必要があるということです。他に2つの材料を入れることで霊薬となるそうです。松葉酒の味は苦みの利いた美味しいものですが、人によっては受け付けない様子です。体調の悪い時に少し飲みますとてきめんに効きます。これは大変重宝しております。
天霊神霊研究所ではこれと同様に多くの霊薬について作り方を一覧にして奉賛会会員に公開されております。今後も色々試してみて効果を記載していきたいと思います。開祖天霊師は病気直しの煎餅なども製作されておられました。

皆様とご親族の今年一年のご多幸を御祈り申し上げます。人に迷惑をかけない範囲で精一杯お好きな道でご活躍頂きたいと存じます。今年もまた、元旦に葡萄液を飲ませて頂きまして、身体のみならず心の滋養も養うことができたように思います。皆様の毎日が晴れ晴れとした元旦のようでありますように心より祈念申し上げます。